第7話 俯瞰
「おや、珍しいですね。こういった催しはお嫌いだと思っていましたが誤りでしたか」
エルラフリートの声に鬱陶しそうにクヴェンは顔を向ける。競技会を見渡せる建物の窓辺に立っているクヴェンに気付いたエルラフリートもまた同じ目的で足を運んでいた。
「フォルトゥナートが出ると聞いたからな」
クヴェンは手にしていたグラスを口に運ぶ。微かに漂ってきた酒精の匂いにエルラフリートはそっと息を吐き出す。
「如何なものかと思いますよ」
「非番だ。それに、燃料みたいなもんだ。この程度で足が覚束なくなることはない」
控えめに窘めるエルラフリートの配慮など斟酌することなくクヴェンは端的に答える。家格で言えば自分の方が上だがクヴェンの手腕を認めているエルラフリートはそれ以上深く追求しない。
「フォルトゥナート殿は主催者からの強い要請で参加しているそうです」
クヴェンが首肯したのを目の端で留めて、エルラフリートは言葉を続ける。
「花を添える為に引き受けたとか、生真面目な方ですね」
エルラフリートの言葉にクヴェンは同意することなく窓の外を注視した。元から口数が多い方ではないクヴェンとの間に流れる沈黙の気まずさはそのまま距離間を示している。従うべき相手の行動原理を理解しているかと問われればエルラフリートは反応に窮してしまう。見ているものは同じ筈なのに、時折、違うものを見ているのではないかと思うことがある。聖女に対する態度もその一つだ。クヴェンからは崇敬の念が感じられないのだ。かといって、軽視しているのかと問われれば、それもまた肯えない。守ることに対して懈怠は欠片もない。あの緋色の両眼を通してユーディットを見れば少しは理解に至るのだろうか。
「聖女様もテオフィル様と楽しそうにしていらっしゃいますね」
観覧席にいる婦女子の姿に自分の守るべき相手を見つけ出したエルラフリートはクヴェンに声を掛けるが反応自体は期待はしていない。
「相変わらず、馬鹿面晒してやがる」
不敬とも捉えられかねないクヴェンの発言をエルラフリートは黙殺する。この程度、挨拶代わりだ。上層部に聞かれたら懲罰動議になりかねないが、咎める人間はこの場には居ない。
「――
詰難に代わり笑顔で素直な感情をエルラフリートは告げる。振り返り瞠ったクヴェンの容に微かな疲弊が滲んだ。
「――そうか」
関わり合いになるのが億劫だとばかりにクヴェンは顔を窓の外に向けた。
「おや、討議ならば負けませんよ」
掛かってこないのかとエルラフリートは不服そうな顔をするが、クヴェンは顔を顰め長息を吐く。
「相手の得意分野で戦う馬鹿が何処に居る」
寡黙と言えば聞こえが良いが、言葉を衒う事が出来ないクヴェンにとって必要なのは実力だった。百の言葉よりも十の行動、一つの結果が相手に確かなものとして渡せるものだ。
「――フォルトゥナートが出てきた」
広い楕円の競技場にフォルトゥナートと対戦者が入場する。波打つ観衆に、冷めた眼差しを向けながらクヴェンはフォルトゥナートに視線を向ける。
「普段通りですね」
「あの程度の相手に気負う必要ない」
反対側の窓から外を覗き込んだエルラフリートにクヴェンは薄い反応を返す。クヴェンの言葉も尤もだ、とエルラフリートは内心頷く。フォルトゥナートの前に居る男は既に心が屈服している。距離を少しでも遠ざけたいのか後ろ足に重心を置いて、上半身が後ろに少しぶれている。目の前に居る存在が自分を害するという危局を把握出来ているのだろう。
「少しは面白いものが見られるかと思ったが、外れか」
期待が逸出したのか苦い顔をするクヴェンに、一回戦で何を都合の良いことを、とエルラフリートは思いながらフォルトゥナートの対戦相手の青い外套の男が動いたのを視認する。フォルトゥナートが腰に据えた剣を抜いて受けに回る。ガンガンと数合打ち合う音が建物の中にいる二人の耳にも届く。遠目だが、一連の動作で力量差を二人は感じ取る。一方の剣先は噛み付かんばかりに息巻いているのに、一方の剣先は力量を受け入れてひれ伏している。下がった剣先はその心の根を表しているようだった。
「態々受ける必要がないものを」
「直ぐに倒してしまっては、余興になりませんから」
フォルトゥナートの剣に苛立ったような様子を見せるクヴェンにエルラフリートは当然のことを指摘する。これは、祭りのイベントの一つだ。真剣勝負の命の遣り取りではない。
「この戦いの勝者は清らかな乙女から祝福を受けられるそうですよ」
「くだらない」
一笑に付して取り合わないクヴェンの様子にエルラフリートは、首を竦める。
「この場合、市のお偉方の息女ではなく聖女様を指し示していると思いますが?」
それでもつまらないことだろうか、とエルラフリートが目顔で尋ねるがクヴェンの態度は一貫して変わることがない。一瞬、眥がピクリと動いたのをエルラフリートは見逃してしまう。
「羨ましいとか思わないのですか」
口に出した言葉が無意味なものだったとエルラフリートは軽く後悔する。この手の話では悲しいほど平行線だ。
「ふん」
こちらを見遣り鼻で笑ったクヴェンに心がざわめく。価値があるのだ、と抗言したところでクヴェンの持つそれを覆す事が出来ないのはなんとはなしに理解している。クヴェンが聖女を蟻視しているわけでもなければましてや女性蔑視しているわけでもなく、ただ興味がないのだ。だからこそ、エルラフリートは自分の持つ信仰心にも似た敬愛に固執する。誰が疑おうとも貶そうともエルラフリートの中の確固たる地位が揺らがなければ問題ない。信じるものを押しつけたいわけではない。芯を持っておぞましいほどの執着を見せるのは人間がきっと自分で選び取ったものに他ならない。ただ、分かり合えないだけだ。
「気付かぬことを哀れだなんて大口も叩けません。ただ、いつか、思い知らされます」
「……何をだ?」
億劫そうに返答したクヴェンが発言に耳を傾けるものだからエルラフリートは愉快な気分になっていく。一応、聞いておこうなんてそんな素振り普段のクヴェンならばしないだろう。酩酊しているからなんてそんな理由ではない。ユーディットを気にしている純粋な証左だ。
「
はく、と何かを吐き出そうと動いた口を真一文字に結んだクヴェンは視線を窓の外に投げる。
割れんばかりの拍手と喝采。
余興としての体を保っているのだろう。
「――終わったな」
「ああ、そうですね。やはりフォルトゥナート殿が勝ちましたね」
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