第6話 競技会




 翌日、祭りのはじまりを告げる開幕式に出席したユーディットとフォルトゥナートは会場の前方に座っており、テオフィルは会場の端で成り行きを見守っている。

「今日の競技会に騎士様も参加するんだってね」

「ノルド、さん」

 顔を合わせることに対して妙な憚りがあるのは自分だけだろうかとテオフィルは考えながら、爽やかに笑うノルドを見詰める。

「みんなその話題で持ちきり。珍しいこともあるんだね」

「主催者に頼まれてユーディットが了承したんです」

 起因は自分の迂闊な発言だが、とテオフィルは心の中で漏らすが敢えて伝える必要は無い。

「ふ~ん、良いな」

 催しに対して積極的ではないと思われたノルドの言葉が意外で思わずノルドを凝視してしまう。

「参加したかったんですか?」

「合法的に騎士様と手合わせできるじゃん」

 ノルドの言葉にテオフィルの表情筋が固まり、沈黙が落ちる。気まずさを紛らわすように笑みを深くして口を開く。

「フォルトゥナート、と?」

「そうそう、ちょっと手元が狂っても合法的だしね」

 笑顔で返された言葉に反応に困ってしまいテオフィルは靄が掛かりそうな脳内を回転させる。

「フォルトゥナートに何かされました?」

「いんや、別に」

 頭を振ったノルドの言葉に嘘は見当たらず、それは正しいのだろうとテオフィルは受け入れる。剣呑な発言を繰り返すノルドから言葉を引き出した方が良いのか、と思案するが考えたところで誘導することが出来る程弁が立つわけではないとテオフィルは諦める。

「――嫌いなんですか?」

 衒いも外連もない言葉を吐き出したテオフィルは自己嫌悪に陥るが目を瞠ったノルドを視界に捕らえる。

「ふっ、本当、影ちゃん面白いよね」

 口元に笑みを宿してノルドは目尻に滲んだ涙を指先で拭う。

「馬鹿正直な影ちゃんだから言っちゃおうか」

 どんな罵詈雑言が放たれるのかとテオフィルは身構えるがノルドは軽やかに言葉を続ける。

「凄いなー、と思うよ。聖女の騎士なんて七面倒なものこなして技量がある。ただ、それ以上に、打ち負かしたいだけ」

 ドロリとした粘ついた感情とは掛け離れた思春期の少年に相応しいような爽やかな対抗心にテオフィルは面食らう。

「勝ちたいんですか」

「そりゃ、強い奴に勝ちたいって思うのは男として普通じゃない?」

 自分の常識が普遍のことであると信じて疑っていないノルドの言葉にテオフィルは強く頷けずにいる。競いたい、という反発心はあるが引き摺り落としたいという嫉妬はない。性能を競ったところで負けることは目に見えて分かっている。競うこと自体が無駄だとは思えない。紡ぐ時間を積み重ねていきたい、これは何と呼べば良いのだろうか。

「それに八つ当たりかな」

 ニッと歯を見せて笑ったノルドに、傍迷惑な、とテオフィルは答えてしまいそうになるのを押し止める。

「――強い奴は、それを受け入れるのが義務だよ。強さの副産物だ。そうやって、弱者を踏み躙って賞賛を浴びて立っているんだから」

 理不尽な理屈を披露するノルドにテオフィルはフォルトゥナートに自然と肩入れしてしまう。自分は決して優れている人間ではないが、フォルトゥナートの強さが稟気のものだけではないことを知っている。

「フォルトゥナートだって、努力してます」

 テオフィルから抗言されたことが意外だったのかノルドは目を瞠ると驚きを収束させて薄く笑った。

「だから、嫌味なんだよね。才能に胡座をかいていれば、その程度の人間だと見下げることも出来る。努力に、いつか覆されてしまえと呪うだけで済むさ。でも、錬磨の意味を知っている。その強さは届かないものだと諦めも付かない、いつか、なんて仮初めの希望を与える」

 ヘラヘラとして掴み所のないノルドにしては珍しく真面目な様子にテオフィルは驚いて言葉を控えてしまう。

「馬鹿なこと言っているって自覚はしているからね。優れているからって、それだけで選ばれているわけではないって理解していても心が付いていかないんだよね。自分の感情をコントロール出来なきゃいけないのにね」

 自分の機嫌をとることも出来ない、とノルドは肩を落として溜息を漏らした。

「多分、羨ましいんだよね、極論を言えば」

 躊躇いがちに力なく告げたノルドの分析にテオフィルも思い当たる節があり、ああ、と、迎合を打った。

「俺も、フォルトゥナートみたいに強くなりたいって思いますよ」

「……影ちゃんは良い子だよね。何か困ったことがあったら頼ってよね」

 人の良いノルドに結局始終ペースを握られて、この間の発言の真意を探ることはテオフィルには出来る筈もなかった。




 観覧席に移動したユーディットを確認したテオフィルは競技会の会場の何処へ移動すべきかと思案する。フォルトゥナートの試技を見ないという選択肢はなく、人垣に交ざるかと考えていたところスタッフの一人に声を掛けられる。付いてくるように、と言われて進むのはユーディットのいる観覧席であった。材木を組み合わせた櫓のようなそれは地面から数メートル高く会場を見渡すには適している。

「此処からなら、よく見えるでしょう?」

 振り返ったユーディットが何かをしたことは明白で何か不利益を被ることはないのかと不安になる。

「そうだけど、大丈夫なのかよ」

 周囲に居るのは家格の高い貴族や豪商の娘や婦人でこちらを気遣ってるのか不躾な視線に晒されることはない。

「大丈夫よ、可愛いから」

「は?」

「いいのよ。こっちだってフォルトゥナート貸してるんだもの」

 テオフィルの耳元に口を寄せてユーディットは告げると笑みを浮かべる。自分の為の配慮に心の裡を擽られる気分に陥る。面映ゆいような、据わりの悪いような、掌に収まらない制御出来ない感情だ。

「……ありがとう」

「うん、ほら、私の後ろから覗き見れば良いわ。皆、中央の競技場に注目するからこっちを見ることはないわ」

 女性の方が成熟するのが早いと言われるのはこういう時、テオフィルは実感する。年下の筈のユーディットの気遣いは本来ならば年嵩の自分がしなければならないことだ。それが経験だったり立場によるものとは理解出来ているが、及ばないことに心が凋む。自分が正しい人間として不足しているのではないかと気に病みそうになるのを振り払う。

「失礼、ユーディット様。少し宜しいでしょうか」

 浅黄色のドレスを身に纏ったユーディットと年の変わらない少女が不意に声を掛ける。

「なんでしょうか?」

 テオフィルに向けていた柔らかな表情を収束させたユーディットは人好きのする笑みを浮かべた。

「先に謝罪をさせて下さいませ。騎士であるフォルトゥナート様の声威を失墜させてしまうかもしれません」

 少女の言葉に意味を噛み砕いて飲み込もうとしていたテオフィルよりも先に言わんとしたことに気付いたユーディットが声を返す。

「フォルトゥナートが敗れる、ということでしょうか?」

 嫋やかな仕草と穏やかな声に覆い隠された反発に似た気配を感じ取ったテオフィルはギョッとする。

「行儀の良い剣ではなく真剣勝負ですから。勝つのは勿論、うちのディーテリヒです」

 勝利を盲信して疑っていない少女の様子にテオフィルの中で反発心が擡げるがグッと我慢をする。

「……ごめんなさい、ご挨拶させて頂いたかしら?」

 困った、と眉根を寄せてそれを誤魔化すような仕草を見せてユーディットは控えめに笑う。艶やかな綺麗な声に重なる聞こえない筈の本音を拾い上げたテオフィルは女子の揉めごとに首を突っ込んではいけない、と心持ち少し距離を広げる。

「失礼しました。オベラート商会のアヌシュカです」

「ディーテリヒ様の所属している商会ですね。先日は、お父様から活躍を伺いましたわ」

 あの恰幅の良い身なりの良い男の娘かとユーディットは目を遣る。娘は父親に似ると言うが、太めの眉が弧を描く様は似通っている。

「そうです。ディーテリヒは強いんです」

 頑是無い幼子の相手をしている気分になってしまいユーディットはこの状況をご破算にしてしまいたくなる。思い通りになると疑わないその楽観的な性根も迂闊すぎて苛立つし、背後で小動物のように萎縮しているテオフィルも気に入らない。

「フォルトゥナートは弱くはないですわ」

「こう言っては失礼ですが、聖女様は世間をご存じありませんから。強い人は他にも居るんです」

 まるで物を知らないかのように扱われユーディットは心が波立つが、聖女はそういうものだという認識があるのだろうと心を落ち着かせる。

「ええ、真剣勝負ですね。きっと素晴らしい試合になりますわ。楽しみに勝負を待ちましょう」

 寛容さを見せつけるように笑み一つでユーディットはアヌシュカを退ける。ユーディットの笑みと発言に気勢を阻喪とさせたのかアヌシュカは頭を下げると自分の席に戻っていく。

「テオフィル」

 あえかな声を拾い上げたテオフィルは前に座っているユーディットに耳を貸す為前のめりになる。

「私を褒め讃えなさい」

「お疲れ様」

 珍しく疲弊した声を漏らしたユーディットにテオフィルは心の底から労いの言葉を投げかけた。




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