第4話 提案




 市の商工会主催の祭りは一般民衆にとっても、貴族にとっても特別なものであり、非日常を味合うまたとない機会でもある。武芸を競う競技会があれば、芸術を観覧する会場も存在し、武装行列が練り歩く日もある。数日に渡り行われる祭りには過去の偉人、聖人の活人画も為す行列もある。日頃の鬱屈したものを解放する為の一つの取り組みだ。そんな華々しい会場に聖女であるユーディットが招待されるのは当然のことで、それにテオフィルとフォルトゥナートが付き従うのも順当だった。

「――もう一度、仰ってくれるかしら?」

 市の会議室というよりは来賓を迎える為の部屋に案内されて、ソファに座ったユーディットの声が何故かハウリングされて聞こえた気がしてテオフィルは頬を引き攣らせる。

「いえ、お嫌ならば良いんですよ。こちらも武芸に長けた人間を揃えていますし、急な話ですから聖女様が躊躇われるのも承知しています。ですが、こういったイベント事ですから、民衆の為にも盛り上がりを用意しなければいけないですし、我々は最適だと思っています。フォルトゥナート様に競技会に飛び入り参加していただけないでしょうか」

 市の警備隊や腕に自信のある商会の護衛、貴族の私兵などが参加する競技会への参加を打診されたフォルトゥナートはユーディットに一任しているのか言葉を返すことはない。競技会の花形であった馬上槍の試合が都合により実施不可と主催者が判断したのは数時間前の話だ。

「いやいや、聖女様が危惧されていることは分かりますよ。幾ら、フォルトゥナート様とて急場ですし、十全に力を発揮することが出来ないかもしれませんからね」

 返答しないユーディットに焦れたのか主催者の一人が、煽るような発言をする。涼しげな顔をしているユーディットに反してテオフィルはその口吻に立腹してしまう。

「我が商会の護衛は卓逸しており、何度も賊の強襲を退けております。今回、エントリーしておりますし是非とも手合わせして欲しいですね」

「聖女の騎士様がよもや、凡夫に負けるなどあってはならないことですからね」

「その腰に据えているものは飾りなのですかな」

 脇に控えていた主催者サイドの一人の容喙にテオフィルは咄嗟に声を荒げてしまう。

「馬鹿にすんな、フォルトゥナートは強いっ……です」

 一斉に注目されて、テオフィルの威勢は凋み声は徐々に掠れ、視線は床を頼りなげに彷徨う。座視することができず、憤慍で済まなかった自分に驚きながらテオフィルは総身を擲って謝罪すべきかと踵に力を込めた刹那、凛とした声が室内に響いた。

「テオフィル、ありがとう。私の思っていること言ってくれて」

 視線がテオフィルから一斉にユーディットに移動し、テオフィルはソッと息を吐き出した。

「私は、フォルトゥナートの意思を優先したいと思います。ただ、お飾りの騎士だと思われては癪ですし、何度も私の窮地を救ってくれました。フォルトゥナートの沈毅な剣を多くの人に知って欲しいと思います」

 ふうわり、と微笑んだユーディットは脇に控えているフォルトゥナートに視線を投げかける。

「それが命令ならば」

 端的な言葉と共に頭を下げたフォルトゥナートにユーディットは笑みを深くした。




「――ごめん」

 主催者が立ち去って、数拍おいてテオフィルは二人に向かって頭を下げた。助け船を出したユーディットと急な試技を容忍したフォルトゥナートへの謝罪だった。

「馬鹿ね。あんな挑発、放っておけば良いのよ」

 呆れた様子のユーディットは辛辣だ。テオフィルの心に鋭い矢のような言葉が複数突き刺さる。フォルトゥナートの研鑽と収斂を、非在にした物言いが受忍出来なかったのだ。

「悠然、と清雅に隙を見せない。常套手段でしょう?」

 ユーディットの言葉に首肯するとテオフィルはそっとフォルトゥナートに視線を向ける。

「………………」

「………………」

 沈黙が場を支配する。

「何見詰め合っているのよ」

「みっ、見詰め合ってなんかない」

 テオフィルの否定にユーディットは一つ息を吐くとフォルトゥナートの方へ首を向ける。

「フォルトゥナート、コテンパンに伸しちゃって」

「簡単に言ってくれるな」

 ユーディットの軽い口吻にフォルトゥナートは答えるが、それに軫憂や負担といった類のものはない。

「あら、出来るでしょう?」

 まさか出来ないのか、と指嗾するユーディットの双眸が猫のように細められる。

「ごめん。フォルトゥナート、俺が辛抱出来ずに余計なこと言ったばかりに……」

「気に病むな。問題ない」

 大事にしたのは自分の所為だという罪悪感がテオフィルの心に染みのように広がっていく。ユーディットとフォルトゥナートが平然としているからといって自分の過失が免除されたわけではない。

「でも、外、楽しそうね。出店とか見世物とか、わくわくするわ」

「ユーディット」

 窘めるようなフォルトゥナートの声にユーディットはいたずらっ子のように笑う。

「大丈夫よ。もちろん、変装していくわ」

 フォルトゥナートの心痛を推し量ることを放棄しているのかユーディットはキラキラと輝く笑顔を浮かべている。

「ほら、これで大丈夫よ」

 移動する時に持ち運んでいる大きな鞄からユーディットは自分の髪とは掛け離れた黒橡色のウイッグを取り出す。

「一人じゃ、駄目だろ。付き合うって」

 ユーディットを単独行動させるわけにはいかないとテオフィルは声を掛けるがユーディットは取り合う気が無いのか無視してウイッグを慣れた様子で装着する。

「ユーディット、用があるなら俺達も一緒に――」

「嫌よ。フォルトゥナートなんて特に目立つじゃない」

 テオフィルの助力となるべくフォルトゥナートの言葉をきっぱりと切り捨てるとユーディットは軽く手を振ってドアの方へと向かう。

「世間知らずの温室育ちのご令嬢じゃあるまいしどじは踏まないわ」

 そう宣言をするとユーディットは部屋を立ち去ってしまう。

「フォルトゥナート」

 まずいだろう、と眼居で訴えたテオフィルはフォルトゥナートの反応を伺う。

「――フィルよりも立ち回りは上手いから大丈夫だろう」

「はっ? いやいや、そういう問題じゃないし、何かあったらどうすんだよ、心配じゃないのかよ」

 恬淡としているフォルトゥナートに思わずテオフィルは突っ込んでしまうが、フォルトゥナートの容に焦りが滲むことはない。

「ユーディットの知慮ならば大抵のことは回避出来るだろう」

 信頼していると臆面も無く告げられて、テオフィルは複雑な感情を抱く。誰かの他者への評価を知るのは据わりが悪いし、自分への評価と比較して自己嫌悪に陥ってしまう。自分は同じように信頼されているのだろうか。

「そりゃ、あいつは、何でも上手くこなすけどさ、でも女の子だし」

 守ってあげなければ、と言う言葉をテオフィルは飲み込んだ。そう告げられるほど、腕に自信があるわけではない。

「……フィルはユーディットに対して過保護だな」

「は? そんなんじゃないし」

 ユーディットに向ける感情を美化された気がしてテオフィルは態と声を荒げる。そんな美しく正しいものではないことをテオフィルは自覚している。劣等感や隔意は確かに存在していて、積み重ねた感情の好悪の天秤が庇護に傾いているだけだ。

「ユーディットはお前が思うよりも肝が据わっている。ユーディットのことよりも自分のことに頓着したらどうだ」

「悪かったな。どうせ、俺はユーディットと違ってぼんやりしてて頼りないよ」

 心の急所を無遠慮に弄られた気分に陥りテオフィルはカッとして捨て鉢のように吐き捨てる。

「そうは言ってないだろ。俺はただ、フィルが心配なだけだ」

「俺が未熟だって言いたいのかよ」

 ムッとして反駁するテオフィルにフォルトゥナートは渋い顔をする。

「どうして、そういう受け取り方しか出来ない。最近、おかしいぞ。ノルドのことをよく見ているし」

「見てないし」

 フォルトゥナートからの指摘にテオフィルは否定するが、実際、あの発言以降気になってしまっているのは事実だ。

「……俺は疎かユーディットにも話せないことか」

「それは――」

 他人から嫌悪されているなんて話、聞いて楽しいものではないだろう。寧ろ、不快感を抱くのが普通だろう。誰が、好き好んで他人を不快にさせたいだろうか。

「取るに足らない話、だから」

「なら、話せるだろ」

 フォルトゥナートの言葉にテオフィルは返答に窮する。

「――フォルトゥナートには関係ないだろ」

 吐き出した言葉は感情に塗れたそれで、理性の一欠片もない。顔を背けたテオフィルはフォルトゥナートの容に焦慮が滲んだのを見逃す。

「フィル。俺は――」


 ガタン


 ドアが荒々しく開けられて二人は視線をそちらに思わず向けた。

「しくじったわ」

 不愉快そうに眉根を寄せてユーディットは嘆息した。



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