1章:現在~六歳

私の人生は呪われている。

悲劇のヒロインを気取っているわけではないけれど、本当におかしいのだ。

お父さんが家から出て行った。おばあちゃんが実家に帰った。お母さんが帰ってこなくなった。助け合ってきた幼馴染が離れていった。大好きな人が死んだ。そばにいてくれた恩人が自殺した。

数えたらキリがない。私が失ったものは、もう一生戻らない。

自分の力で、なんとか状況を改善させたものもあるけれど、失ったものは大きい。

ずっと、失うのは「当たり前」だと思っていた。

笑人が亡くなった時も、「どうにもならない事もある」と思って耐えてきた。

でも天葉が自殺した時、それは違うと気づいた。

私は「他の人だったら普通は経験しないような事を経験している」と。

その経験を意味のあるものにした方が、笑人や天葉、そして私自身が報われる。

だから私は、本を書き続けたー。


「『君との思い出だけは、幸せで満ちていた』『たとえ、どんなに辛くても』」

君は、私が書いた小説のタイトルを口に出す。

「この2つは、別に読まなくていいよ。私が読んでほしいのは、こっち」

私は人差し指で、その小説のタイトルが表示されているところを指した。

「『覚悟があれば』」

再び君は、小説のタイトルを口に出した。

「これが誕生日プレゼント?」

「うん。ー良に読んでほしくて」

良は驚いたとばかりに目を見開いた。

「あ、でもそんなに嫌なら、ちゃんと他のプレゼント用意するから…」

「いや…光羽が読んだのを『私』にも共有してくれて、なんかすごい嬉しくて…」

良は俯きがちにボソボソと喋りだした。

『彼』には「面白い本を見つけたから」という理由で通している。

ーまさか、私が書いた本だとは、流石に恥ずかしくて言えない。

「ありがとう。読ませてもらいます」

良は、微笑みながら頭を下げた。


家に帰ると、今までにないくらいの高揚を感じた。

過去の事、全て赤裸々に書いた。

「君との思い出だけは、幸せで満ちていた」「たとえ、どんなに辛くても」は、笑人と天葉への贈り物として書いただけの、序章に過ぎない。

ー覚悟があれば、が本当に私が書きたかった内容だ。

それを1番初めに読む知り合いがー良だ。

意味や言葉遣いなどには、あまり自信がない。

でも文章構成や、伝えたいことの明確さなどには自信がある。

ー良は、私が人生で1番最後に愛する人になるだろう。

だからこそ『彼』には周りの誰よりも早く、読んでほしかったのだ。

大好きな人を失ったことのある私だからこそー。


「おやすみー」

私は布団に潜り込んだ。

今日は少し感傷に浸りたい。今までは過去の事を思い出すだけで、暗い何かに呑まれていくような感覚に陥っていた。

でも今なら大丈夫だ。

ーもう過去を手放す。

決意と共に私の脳は、自然と4歳の頃に遡っていたー。


   ※ ※          ※ ※


「初めまして。真偉と言います」

私が保育園に入園して1年が経った頃。おばあちゃんが、私のロッカーに荷物をしまっていた時に、彼と彼のおばあちゃんが挨拶をしに来た。

目の前には、私と同い年くらいの男の子と、優しい顔立ちのおばあさんが立っていた。

真偉ー確かそう言っていたっけ。珍しい名前だけど、特別な意味が込められていそうだな。

当時の私は4歳だったけれど、他の子と比べたら、落ち着いていてしっかりしていた。

だから幼児特有の「人の名前をバカにする」なんて事はしなかった。そもそもするつもりさえ無かった。

「初めまして。光羽と言います」

おばあちゃんも真偉たちに私の名前を教えていた。

それからおばあちゃん同士が意気投合し、私と真偉はよく一緒に帰っていた。

少し離れたところで、のんびりと遊ぶ程度だったが、私にはかなり楽しい時間だった。

それに私も真偉もかなりの人見知りだった。友達なんてほとんどいなかったし、会話にも一苦労だったので、何か似たようなものを感じたのかも知れない。

ー2人きりになると、たくさん話せた。


「お前、何で水筒持ってきてるの?」

私は今、同じ学級の子達から責められている。

保育園では水道で水を飲むというのがルールなので、水筒の持参は、遠足や特別な行事がある時以外は認められていない。

それなのに、私のカバンには水筒が入っていた。

「何で持ってきてるの?」

「いけないんだー」

「先生ー。光羽が水筒持ってきてるー」

「ダメなんだよー」

「何してんの。バーカ」

私は暴言責めにあっても無言を貫いていた。

実は、私は少し前から男子たちからのイジメに近い意地悪にあっていた。

イジメ、とまでいかない理由は、直接手を出された事はないからだ。

ひたすら暴言を吐かれたり、わざとぶつかられたり、順番を抜かされたりといった些細な事だから。

それに私は、人と話すという事に必要性を全く感じていなかった。

だから保育園内では、ほとんど誰とも話さない。

「光羽さんは一歩遅れています。小学校生活が心配です」

去年、担当だった先生にまで、こんな事を言われてしまうくらいの問題児。

でも、それがどうしたの?みんなの精神年齢が低いだけの事でしょ。私は、何を言われても全く動じなかった。

「ごめんねって言ってんじゃん」

私が冷たい視線でそいつらを睨みつけると、そいつらは即黙った。

ーしょうもない人間だ。

男子は集団で固まって動くという特徴がある。その中でも、中心人物の意見は絶対。

その人の意見に従うことが偉いと思い込んじゃってるバカ共。

クソ野郎。

私が心に不満を溜め込んでも耐えられたのは、もちろん真偉がいたから。

真偉は、こいつらが私に何かしてきても、一緒になって何かしてくる事は無かった。

帰り道でも普通に接してくれた優しい人だった。


「ただいまー」

おばあちゃんと保育園から帰宅すると、私は少しため息をついた。

ー私は家庭環境が良くない。

それに気づいたのは、もう少し先の事だった。でもみんなの家庭と私の家庭とでは、大きくかけ離れたものがあった。

数時間後ー。

「なんで早く帰ってこないのよ!」

始まった。夫婦喧嘩が。

「仕事だよ」

お父さんが帰ってきた途端に始まる、怒鳴り声と冷たい声のサーカス。

「ヨシエの方が遅く家出たのに、ヨシエの方が帰りが早いなんて有り得ないでしょ!」

お母さんは疲れているだろうに、どこからそんな声が出るんだ…?

あと自分のこと「私」じゃなくてヨシエって言ってるんだ。

「うるさいな。ヒロエさん起きるだろ」

ヒロエとは私のおばあちゃんの名前だ。

「あんたが早く帰ってくればいいだけの話でしょ! なんでいっつも時間にルーズで…」

うるさい。今何時だと思ってるの。私が止めたほうがいいのかな?

「おかえり。今何時だと思ってるの」

おばあちゃんは淡々と言葉を発する。私の心の声を代弁してくれて、ホッと胸を撫で下ろした。

しばらくするとガシャンと大きな音が聞こえた。

お父さんが部屋に閉じこもったのだ。

「…ホントムカつく」

お父さんに聞こえていないか確認して、お母さんがおばあちゃんに愚痴る。

「あの人さ、帰ってきたらすぐ部屋に行くじゃん。光羽の面倒全部私が見てるんだけど」

おばあちゃんまでもお父さんの悪口を言い出す始末。

私は、お父さんとお母さんと母方の祖母との4人暮らしだ。

少子高齢化とも言うくらいなので、一人っ子なんて今どき多い。それは別にいいのだけれどー。

大人3人の喧嘩と悪口が絶えない環境だった。


「出ていけ!」

夜中、お父さんが怒鳴る。

机がものすごい大きな音を立てた。お母さんはまだ帰ってきていない。

「どうしたの」

ソファで寝ていたおばあちゃんが飛び起きた。

「ここは俺の家だ。よそ者は出ていけ。光羽の面倒は俺が見る」

お父さんが今までに見たこともない表情で、おばあちゃんを睨みつけていた。

仲が悪いのは、お父さんとお母さんだけではない。お父さんとおばあちゃんの方が、止めに入るのも憚られるくらい仲が悪かった。

「別に出て行くのはいいけど、光羽の面倒をあなたが見れるの?」

おばあちゃんはサラリと言いのけた。でもお父さんからしたら挑発されているように感じたみたいだ。

おばあちゃんを怖い顔で睨みつけた後、自分の部屋に戻って行った。

最近、お父さんの帰りが遅くなった理由を私は知っている。

家に居たくないからだ。

家に帰った途端にお母さんに怒鳴られ、おばあちゃんに文句を言われるのだ。

確かに、私もお父さんの立場だったら逃げ出していたかも知れない。

「ミーちゃん。ごめんね」

おばあちゃんが私のそばに来た。

「もう寝なさい」

私は素直に従った。


「ふざけんな!」

今日は保育園が休みだ。お父さんもお母さんも休みの貴重な日だから。

おばあちゃんは実家に帰っているので居ない。

ー喧嘩は相変わらず絶えなかった。

「ちょっと…まだ話は終わってないでしょ!」

お母さんはお父さんの部屋に乗り込んだ。勢いよくドアが閉められたっきり、しばらく出てこなかった。

私は少し離れた部屋で、頭を抱えた。

ずっとみんなが心配だった。怖い顔になっていくお母さん。家に帰りたくないくらいに追い詰められているお父さん。私の世話で手一杯のおばあちゃん。

私は喧嘩が激しさを増したこの数カ月間で、出来る限りの事はしていた。例えば、お父さんとお母さんが近くにいる時は、私もさり気なく近づいて2人を喧嘩させないようにした。お父さんとおばあちゃんが2人の時は、なるべくリビングにいる時間を長くした。

でも夜とかになれば話は別だ。

ちょっと前にこのマンションに引っ越してきた。買ったから「ローンが…」って大人たちが話していたけれど、もし家庭崩壊したらどうなるんだろう。

私が寝ている深夜とかに何か起きていなければいいけど…。

「もういいよ」

「ちょっと…どこに行くの!」

お父さんとお母さんが部屋から出てきた。ずっとお母さんは怒っているけれど、お父さんは静かだ。

喧嘩が収まってきたのかな、なんて考えた私がバカだった。

お父さんは、一度も私に声をかけることもなく玄関へと向かった。

靴を履いて鍵を開けた。そしてー。

出て行った。

ーそれっきり、お父さんは帰ってこなかった。

私は一瞬の出来事に、頭がついて行かなかった。

とりあえず分かったことは、お父さんがどこかに行って、お母さんが怒った勢いでお酒を大量に飲み始めたことだけ。

「ママ…大丈夫?」

私は、テレビも付けずにいるお母さんに声をかけた。

「うん、大丈夫」

この家族に共通して言えることは、絶対に私には怒ったり手を出したりはしない。

だから私は、躊躇うことなく声をかけられた。

ー本当は怖くてしょうがなかった。

「ママ、すごろくやろう」

私はまだ顔が引き攣っているお母さんの服を引っ張った。

「うん、後でね」

後で、ではダメだ。今じゃなきゃダメ。

私はおもちゃ入れから、折り畳まれた紙を引っ張り出した。


「母子家庭なの?」

「そうなのよ。娘が仕事に行ってる間に、私が真偉の面倒を見ているの」

保育園の帰り、私はおばあちゃん達の会話に耳を傾けていた。

母子家庭。意味はよく分からないけれど、お父さんがいない人の事をそう言うんだな、と理解した。

真偉にはお父さんがいなかった。顔さえ見たことがないというのは、かなり可哀想な気がした。

私はというとーお父さんが出て行ってから、しばらく経つ。

おばあちゃんはお父さんが出て行ったというのに、変わったところが何も無かった。

お母さんでさえ、少し後悔している感じが滲み出ているのに。

「そうなのねー」

おばあちゃんは当たり障りなく、真偉のおばあちゃんの話に相槌を打っていた。

もちろん、自分の娘夫婦の話は一度もしなかった。

ーやっぱり私たちの家庭は変なんだ。


「うわーラブラブ」

もう年長だ。みんな小学校に向けて色々準備している時期。

それなのに私は、変な連中に絡まれていた。

「ラブラブー。キモいー」

そう言って手でハートを型作り、私と隣にいる男子をその中に収めてくる。

子供特有の、男女で仲が良いとカップルにさせたがるやつだ。

「同性が好き」だった場合、迷惑にしかならないだろう。

人見知りの私にも、ついに「友達」と呼べる人が出来た。

でもその人は男の子なので、私は変な連中の格好のネタだった。

「キスさせろー」

そう言って私の腕を引っ張り、その男子の顔に私の顔を押し付けようとしてくる。

気持ち悪い。やめて。本当に無理。

「やめて…」

「ギャハハハハ」

変な連中は笑って私達を見せ物にした。周りにいる女子もこの光景を見ているだろうに、何も言わずに苦笑していた。

止めてよ…本当に嫌なんだけど。

こんなことが毎日続けば、さすがの私でもトラウマになった。

一回だけ、保育園から帰ろうとした時、下駄箱の前で吐いてしまった。

消化不良ではなく、ストレスだと今なら分かる。

ー人間は、残酷だ。


保育園の夏祭り。私は先生のご指名で太鼓を叩く役目になった。

私と同じくらいの背格好の男の子と一緒に、太鼓をリズムに合わせて叩く。

かなり上手かったらしく、盛大に拍手を貰った。

「次、ここ行こう!」

「友達」の男の子と一緒に、保育園内を手を繋いで回った。

周りからは「ませてるねー」という視線を送られたが、全然気にならなかった。

だってさ、男女はこんな風に仲良くするのが「普通」じゃん?

親は全然仲良くなかったんだもん。男女なのに。


お遊戯会。クリスマス会も込みでだったので、かなり手の込んでいる会だった。

私は堂々と意味がわからない曲を歌ってやった。

周りから盛大に拍手を貰った。今年は褒められてばかりだ。


「じゃあ次会えるのは中学ね。それまで元気でいてね」

卒園式。私は真偉と小学校が違うので、少なくとも6年間は会えない。

「じゃあね。バイバイ」

少し悲しかった。でも中学で会える。そう思って引きずらないことにした。

別れ際の真偉も私と同じ気持ちだっただろう。

私と真偉は「一瞬」目を合わせ、進むべき道に向き直ったー。


『幼なじみってさ、将来付き合うとか結婚するとか言われてるじゃん』

『その考え、壊そうか?』

『いや、その考えがどうこう言いたいんじゃないよ。「幼なじみっていいなぁ」って言う人って「本当の幼なじみ」がどういう関係なのか分かってないんだよ』

『「幼なじみは良い関係だけじゃない」ってやつね』

『そう、それ。理解力あるじゃん』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る