第8話 無数の傷
木の根につまずいた。うつ伏せに倒れたまま、息を整える。
土の味。
子供の頃も、よくこうやって転んでは洋服を汚した。
痛みの中、私は泣きはらし、地面を転がる。
そうすればきっと、兄が来てくれると分かっていたから。
『大丈夫かい、ジレンマ』
木漏れ日の中、兄は優しげな顔で私に手を差し伸べてくれる。
私は目を腫らしながら、その手を見つめ、そっと握る。
いつも、どんな時でも、兄は私の傍で見守り、私を助けてくれる。私だけを見つめ続けてくれる、だから……エミールと親しくしている姿に……胸が苦しくて……だから、わざと溺れて……。
私は立ち上がる。
もう誰も手を差し伸べてくれる人はいないのだ。
うっそうとした森の中、私は歩き出す。
あの巨木がある場所へ。
兄がいつもいた、あの場所で。
私も帰ろう。
そこには誰もいない、はずだった。
「ジレンマ……さん?」
巨木の影から声が。
「あ……」
「はは、やはり、ここでしたか」
「サジタリウス様……」
私の顔を見るとサジタリウス公はにっこり微笑んだ。
緑色の王国軍軽装着にはいくつもの勲章が飾ってある。
マントを翻し、公爵は巨木と向き合った。横顔は、やはり兄。
「いやね、エミルからこの場所の事を聞いたことがあるものですから。何でも、亡き兄上との思い出の場所だったとかで」
そう言って、巨木の幹にある無数の傷を撫でた。
私はその光景に顔を背けた。
「……さきほどは、大変危険な状態でしたね。ジレンマさんの、剣に対する熱意は素晴らしいものですが、あれは、いささか度が過ぎます」
私は俯く。なにか言葉を発しようとするが、何も言えない。
「亡き兄上も悲しむのではないかな、許嫁だった相手にあのような行為に及んでは」
視線が突き刺さってくるのが分かる。
エミールのとは違う、今まで受けたことのないような抗する事を束縛するような視線。
「それも貴女にとってエミルは親友ではなかったのですか? エミルはいつも貴女のことを誉めていましたよ、まるで自分の事のようにね」
公爵は幹の傷口の一つを舐め上げるように指でなぞった。
「……っ」
私は自分の身体を抱く。
触らないで、そこに。お願いだから。
か細い声が、森のざわめきに消えてしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます