第7話 幻影

「……ジレちゃんは、ずるいよぉ」


 ボロボロになった身体をなんとか奮い立たせるように、エミールは立ち上がった。


「たった、これだけの言葉を言いたくないから……ずっと逃げてるぅ」

「黙れぇ!」


 練習所全体に響くような、怒声。

 まるで自分の声じゃないような感じだ。

 どこか遠くでこの場所を見ているような居心地だった。


「どこにも逃げる事なんてできないよ」

「言うな! 私は、痛みなど知らぬ! 痛みなど、捨てた」

「じゃぁ、なんで、そんなに痛そうな顔をしているの?」


 どんな顔なのだろうか? 

 私には分からない。だってエミールの瞳の中に私はいない。


「レメウス様は……笑っていた。溺れたジレちゃんを助けられて、きっと」

「違うんだ! そうじゃないんだ……兄様は、兄様は、私が、私が、」


 幾重にも幾重にも闇の中で、ぐるぐると絵が回る。

 微笑む兄。微笑むエミール。微笑む私。

 骸となる兄。骸となるエミール。微笑むわたし。


「レメウス様は!」


 私の混濁した意識の濁りを吹き飛ばすかのようにエミールは大声で叫んだ。

 擦り切れた服の間から白い柔肌がこぼれてみえた。

 繊細な肌には赤い血が滲んでいる。

 それでも、それなのに、


「レメウス様は、ずっと、ジレちゃんを見ていた……ジレちゃんしか、見ていなかったんだよ」


 エミールは笑っていた。

 でも、その笑顔は嘘なんだ。

 分かっていたはずのエミールの想い。

 誰よりも悲しんでいるのは私なのよ! そう言ってくれれば、そう私を憎んでくれれば。


「……どうして笑えるのエミール?」


 手の中にある木刀を強く握りしめる。私にとって確かな存在を握りしめ、振り上げる。

 エミールの左手が真っ赤に腫れ上がっている。

 傷つきたくない、誰からも、傷つけられたくないんだ。

 痛いのはもう、嫌なんだ。


「エミール、私は……笑えないよ」


 上段に構え踏み込もうとしたとき。

『やめるんだ』

 エミールの瞳の中に兄がいた。

 やはり、兄様はエミールを守るのですね。


「ジレちゃん待って!」


 エミールの言葉と兄の幻影から私は逃げだした。

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