第8話 ローストビーフの代金。

大学が終わりようやく肉屋に向かったが当然端切れは無いし、端切れどころか普通のローストビーフも無くて口がローストビーフだった俺は絶望に襲われながら帰る事になった。


こうなったらスーパーのペラペラローストビーフでも良いから買って食べる。


そう思った時、背後からクスクスと笑い声が聞こえてくるとスマホに着信があった。


それは貴子さんで、写真が添付されていた。


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亀川貴子

さて、右のは誰のでしょう?

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アドレス帳に田中貴子と入れたら「薫くんにはやっぱり亀川貴子で登録して欲しいけど駄目?」と言われて亀川になおした事を思い出しながらメールを読むと本文と共にローストビーフが2パック並んだ写真が添付されていて、ついつい期待してしまうと背後から「嬉しい?」と飛びつかれた。


タバコ臭い。


俺は振り向かずに「貴子さん?」と声をかけると「へへ、当たり。ローストビーフ買い損なってへこんだ所を狙ってたんだよぉ」と言って降りるので振り向いた。

ニコニコと笑う貴子さんは本当に歳不相応で可愛らしい仕草をする。


だがニコニコする貴子さんの手にはローストビーフが無い。

俺の視線を感じた貴子さんは「あ、ローストビーフはウチの冷蔵庫だよ。近いから取りに来てよ」と言った。


俺は慌てて「え…殴られ…」と言ったが貴子さんは「まだアイツは帰ってこないから平気だよ」と、聞く人が聞けば誤解するような言葉だがローストビーフが俺を待っていたので素直に着いていく。


初めて会った日に話した公園から少し行った所にある田中 龍輝と書かれた表札の一軒家の前で貴子さんは「本当はマンションとか賃貸でいいのにアイツガサツでうるさいから戸建なんだー」とボヤきながら玄関をくぐって「ただいまー。麗華ー、薫くん来たよー」と麗華さんを呼ぶ。



「凄っ、本当に肉で人って釣り上げられるんだ!」

そう言って2階から降りてきた麗華さんは俺を見て笑った。


「ようこそ田中家に、今なら居ないよ」

「こんにちは。居ないって…仕事してくれてるんだよ?」

俺の言葉に本当に嫌そうに「それ、やなんだよなぁ」と麗華さんが言う。


「え?」

「俺の稼ぎってすぐに言うの。別に住む所もスマホも最低限持てればいいから恩着せられるの嫌なんだよね」


確かにわからないではない。

男としては龍輝さんの立場も苦労もわかるつもりだから、なんとかしたいのだろうが言われている子供の立場はわかる。


「まあ、それもそうかもね。ウチも父さんは言わない代わりによく母さんに「困った事はありませんか?」って聞いてたよ」

そこに貴子さんがビニールに入ったローストビーフを持ってきてくれて「はい。少しだけどどうぞ」とくれる。


目の前のローストビーフは1人で食べる分としては適量で俺が食べる分としては物足りない。でも文句は言わない。会えて嬉しいよローストビーフ。


「ウチはサラダに入れる予定。薫くんは?」

「俺はそのまま噛み締めます!」


貴子さんはクスクスと笑って「嬉しそうな笑顔が見れて良かった」と言って渡してくれたので「いくらですか?」と聞いたら「こら、お金なんて取れるわけないでしょ?」と注意をされた。


それでも「悪いですよ」と言った時、麗華さんが「じゃあ勉強教えてよ!」と言った。


「麗華?」

「薫くんのこの前の教え方がうまくてさ、今度学校の学力テストがあるからそれまで教えてよ」


この言葉に貴子さんが「アンタ塾代にしては安すぎるわよ」と注意をしたが麗華さんは真剣に「えぇ?でも薫くんとなら良い点数取れそうな気がするよ」と言う。

貴子さんは少し悩んだ後で「私とアイツは勉強教えられないから少しの間頼める?」と聞いてきた。


「ええ、毎回1時間くらいなら。ただいくらなんでも女の子と2人きりはダメなので貴子さんも居てくださいよ?」

「うん。居るよ」

貴子さんは嬉しそうなのを誤魔化すように言っているが麗華さんはその顔を見てニコニコとする。


「後は龍輝さんに許可は取ってくださいよ?鶴田家が益々嫌われちゃいます」

これには貴子さんが嫌そうな顔をしたが麗華さんが「私が言っておくよ」と言い、明日から学校帰りに夕方の1時間だけ勉強を見る事になった。


帰り道、麗華さんからメールが入り「お母さんの機嫌が直った!本当薫くんと昴ちゃんさん、美空さんも鶴田家の皆さんサマサマだよ」と書かれていた。


俺はとりあえず「事後報告じゃなくてキチンと龍輝さんの許可は取ってね」と入れてリスクに備えておいた。



だが甘かった。

麗華さんは鷲雄さんに「私の為にうちにきて」と頼んでいた。


鷲雄さんは正月以来、貴子さんと鶴田家を案じてくれているらしく。

奥さんと子供達を後に回して田中家に来て「麗華ぁっ!来たぞ!」と言った鷲雄さん。


「アニキ?」

「あれ?鷲雄?」


「麗華に呼ばれてよ」

そう言った鷲雄さんは貴子さんが一度も龍輝さんを見ない事にショックを受けて落ち込んだが麗華さんから「あのさ、お父さんを説得して欲しいんだよね」と言われ、「あ?なんだ何かねだるのか?」と笑う。

確かに普段の鷲雄さんなら「バーロー、親父がせっせと働いた金で無駄遣いすんな」と怒るがこの時はなんとか田中家を盛り上げようと麗華さんの仲間になる。


だが麗華さんの要求はねだるはねだるでも「期間限定の家庭教師を頼みたいの、今度学力テストでそれが3年の志望校選びに反映されるって言うから少しでも勉強しなきゃって思ってさ、でも今からなんて私には無理だし、折角の方法なのにコレでダメ出しされるとさ、お先真っ暗って言うか」で鷲雄さんは「おめえも大人になったな麗華!言え!今ここには俺がいる!」と言ったところで麗華さんは「明日から学力テストまで薫くんに家庭教師をお願いしたいの!いいよね!?」と言った。


勉強までは良かったのだが、家庭教師が俺だと聞いた龍輝さんは「あ゛?」となったが鷲雄さんも「おお、虎徹の奴もあれ以来数学の点数上がって自信付いてんだよな」と言い「そりゃあ俺が居ないと無理だよな?」と続けた。


流石にこれにはと少し拒絶した龍輝さんだったが落とし所として夕方の1時間だけで土日はなし、俺とは顔を合わさないという条件でOKを出した。


どうやら龍輝さんの中で今も続く貴子さんとの不仲の原因は鶴田家にあるらしい。

麗華さんの報告でおれはそう感じた。


まあ龍輝さんもただでは起きない。

「なあ、今年の帰省の話だけどよ」と切り出して2月、学力テストのある週末に行く話を取り付けて機嫌を直したらしい。


ただ、貴子さんは龍輝さんから父さんへのタバコ攻撃やお正月を台無しにした事にきちんとした謝罪のない事、貴子さんに怒られた事に対して自身の責任はなく鶴田家のせいだと言っている事に怒っていた。

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