まんじゅう笠飛んでった

将源

第1話


「まんじゅう笠が飛んでいった…」

(おいの池物語より)




ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…

雪を踏みしめて歩いているうちに、足の爪先の痛みも感じなくなってきた。それでも身体が暑い。こんなに寒いのに暑い。頭が混乱しているからなのか?もうどれくらい歩いたかわからない。吉野川が流れる村、佐名伝から山を越え、山辺の道を抜けて興福寺まで、まんじゅう笠をゆらしながらひたすら歩いている。

「あの日、あの男にさえ会わんかったら、おいのは…」

ひとり家でじっとしていたら、気が狂ってしまいそうだった。


佐名伝は穏やかな時間が流れていた。わしは百姓の嘉兵衛(かへい)、いつも畑を耕していると

「父ちゃんご飯できたよ」

「おお、すまんの」

わしはにこにこしながら、一人娘のおいのに近づいていった。親子二人、なんとか暮らしていた。おいのに母はいない。

「さゆりー!」

嵐の夜、吉野川が氾濫して、さゆりは逃げおくれて泥色の流れに飲み込まれた。

わしはおいのを抱えて高台まで逃げた。

「これから一人で、どうやってこの子を育てたらええんや」

わしは途方に暮れていた。それでも、笑ろてるおいのの顔を見ていたら

「何とか頑張らないかん」

そう自分に言い聞かせて、生きてきた。おいのは文句も言わず、家事も畑仕事も手伝ってくれた。近所の評判も良くて 「うちの嫁に来てくれんかのう」 あちこちで声がかかっていた。それでも、

「父ちゃん一人にしておくのは心配や」

そう言って、おいのは断った。


年の暮れのせまったある日、おいのは地蔵堂にお供えを持って、お参りをしていた。手を合わせていると草むらから、ガサガサ、ガサガサと音がした。おいのが恐る恐る近づいていていくと

「うっうっ…誰かお助けを」

と男の声がした。おもわず草むらを覗き込むと、黒染の衣を着た僧が丸くなって倒れていた。

「大丈夫ですか」

おいのが声をかけると、僧は顔をこちらに向け

「腹が、急に差し込んで…」

おいのは僧の顔をみて、なぜか胸が騒いだ。

「手当てしないとあかんわ」

そうつぶやいて、僧を担いで家に帰ってきた。

「なんや、どないした?」

「倒れてはったんよ」

「なんぎやなぁ」

わしはその男を見た瞬間、何か起きそうななんとも言えない嫌な予感がした。しかし、病人を見捨てるわけにもいかず、家に入れた。おいのは布団を敷き、男を寝かせた。

「陀羅尼助(だらにすけ)あったやろ」

わしが言うと、おいのはタンスの奥から薬を出して、男に飲ませた。

「少しは楽になるやろ」


※陀羅尼助とは、修験道の開祖である役行者が、大峰山開山の際にオウバクを煮詰めたエキスで作り出した生薬。胃腸の病に用いられている。


おいのは一晩中、男を看病した。朝になって、わしは畑仕事に行ったが、おいのは男のそばにいた。苦悶の表情を浮かべる男の汗を拭いて、腹をさすり、献身的に看病していた。

(なんともありがたい、優しい方なんだ)

もうろうとする意識の中で、男はおいのを見ていた。しばらくすると男は、すーっと何かが身体の中から抜けていくのを感じた。みるみる男の表情は穏やかになり、呼吸もゆるやかになっていった。それを見ていたおいのは

「もうだいじょうぶやわ」

そう言ってほほえんだ。


優しい表情で目を閉じた男の顔を、あんどんの灯りが映していた。おいのはその顔を、じーっと見つめていた。

「なんてきれいな顔してはるんやろ」

胸がきゅーっとしめつけられて、身体が熱くなり息をするのも苦しい。(どうしたんやろう)ため息ばかりが溢れた。おいのは生まれてはじめて恋をした。


すっかり元気になった男は

「一命を救っていただき、かたじけのうございます。私は南都興福寺で学問を続けておる俊海(しゅんかい)というもの。吉野山から高野にむかう道すがら、急な差しこみで動けぬところでした。この御恩は生涯忘れません」

わしらに礼を言って、また修行の旅へと出ていった。おいのは俊海のうしろ姿を、いつまでも追いかけていた。その様子を見ていたわしは、ザワザワと胸騒ぎがした。

「なんぎやなぁ」

やはり予感は現実となった。その日を境に、おいのの様子がおかしくなる。天真爛漫だった娘は、笑うことも忘れてしまった。吉野川が見えるひょうたん池のほとりで、ぼんやりと立ち尽くし、時より涙を浮かべていた。

「なんでやろ…」

おいのには俊海の姿しか、見えなくなっていた。

「さあ、よばれよか」

おいのに声をかけても黙ったままで、食事に箸もつけなくなっていた。

「おいの、食べんと倒れてしまう」

「……」

わしは首を横に振って

「あの男は仏に仕える身や。わしらとは違う世界の人なんや。もう忘れたほうがええ」

おいのはうつむいたままだった。

悶々としたまま、年は暮れていった。新しい年の正月になっても、おいのに笑顔はもどらない。頬がこけて、どんどんと思いつめた表情になっていた。


ザッザッザッザッ…

雪の降るなか、まんじゅう笠をかぶったおいのは猿沢池ほとりの坂道を登っていた。

(俊海さんに会いたい)

ただその想いだけで、大和盆地の厳しい寒さの中をここまで歩いてきた。まんじゅう笠の先を少しあげて

「はっ、はっ、あそこに俊海さんが」

おいのはつぶやいた。

興福寺の山坊を訪ねて面会を求めた。命の恩人がわざわざ訪ねてきてくれたと聞いて、俊海は喜んで出迎えてくれた。

「おいのさん。その節はお世話になりました」

おいのは落ち着かない様子で

「ここでは、話ができんので」

おいのの言葉に俊海はうなずいて、人影のない五重塔の奥の裏手についていった。

おいのはゆっくりと息を吐いた。そして、ちらちらと目線を上げたり下げたりしながら

「俊海さんに会いとうて…自分でもようわかりません。迷惑やと思うたんですけど、もう胸が苦しいてどうしようものうて来てしもたんです」

予想外のおいのの言葉に驚き

「ちょっと、お待ちを」

俊海は首を振って

「私は仏に仕える身、どうせよと。あなたは命の恩人。しかし、そのお心には応えられません」

その言葉で、おいのは動けなくなった。

俊海は目を伏せて

「失礼します」

足早に寺の中へ、逃げるようにして消えていった。

おいのは息が止まりそうだった。頭の中が真っ白になり、立っているのがやっとで、涙がボロボロと雪の上に落ちた。

「あっ」

おいのは小さく左右に首を振り、その場を急いで立ち去った。とにかく、ここから離れたかった。もうこれ以上、惨めな姿をさらしたくはなかった。


ザッ、ザッ、ザッ…

重い足取りで、ふらふらと来た道を戻っていく。冷え切った指先は、もう痛みも感じなくなっていた。ゴォー、ゴォーと北風が、まんじゅう笠を揺らしていた。そんな冷たい風の叫びも、おいのには聞こえない。どうやって村まで帰ってきたのか、記憶もない。気づけば家の玄関の前に立っていた。玄関のわずかな隙間から、温かい味噌汁の香りがした。おいのは涙をぽろりと流して、立ち去った。

「おいのか?」

誰かの気配を感じたが、戸を開けても姿はなかった。

「もう何もかも、どうでもええ」

行き場を失ったおいの。

「お月さん、きれいや」

疲れきったおいのは、池の中へ入っていた。池に映る丸い月に向かってどんどん歩いて行った。そして、とうとうおいのが見えなくなった。

虫の知らせなのか、夜中に目が覚めた。わしは布団から起き上がり、部屋の隅にたたまれたおいのの布団に目をやった。

「んっ?なんや」

布団の間に置き手紙が挟まれていた。わしは手紙に目を通した。

「おいの…」

居ても立っても居られなくなり、戸を開けたまま、外へ飛び出していった。

「ひょうたん池」

ワシは裸足でひょうたん池まで走っていった。池にはまんじゅう笠だけが、丸い月に重なって浮かんでいた。

「お…おいの」

目の前が滲んで見えない。ふらふらとわしは池の中へ入っていった。ひょうたん池の青黒い水の底で冷たくなっていたおいのを抱きかかえた。

「おいの、寒かったなぁ…」

おいのが笑うことは、もう二度となかった。


興福寺でも、おいのに別れを告げた俊海だったが、眠れぬ夜が続いていた。ある朝、いつになく猿沢池が気になり、坂を下りていくと、まんじゅう笠が池に浮かんでいた。風に押されてまんじゅう笠が、岸に近づいてきた。思わず俊海は水面から笠を拾いあげた。

(これは、おいのさんの…)

ザッ、ザッ、ザッ…

後方から聞こえた重い足音に、俊海が振り向いた。後ろに立っているわしに驚いて

「嘉兵衛さん、おいのさんは」

ゆっくりとわしは首を横にふって

「おいのは、ひょうたん池に身を投げました」

「…」

俊海は唾をごくりと飲み込んだ。おろおろと目が泳ぎ、まんじゅう笠を持ち上げて

「この笠が猿沢池に…」

手に取ってみると裏には「おいの」と書いてあった。

「これは、おいののまんじゅう笠。なんでここに…」

「…」

「やっぱりほんまやったんか」

「えっ」

「昔からの言い伝えで、ひょうたん池と猿沢池は底でつながってるんやと。不思議と日照りが続いても、猿沢池とつながってるから水はいっこも涸れへん。おいのが身を投げたとき、この笠を俊海はん、あんたのとこ届けたんや」

「そんな…」

嘉兵衛は懐にしまっていた手紙を取り出し、俊海に手渡した。

「おいのが残した最後の手紙。どうしても、渡さんなあかんと思てここまで来たんや」

俊海は手紙を広げて目を上下に走らせた。



 父ちゃんいままで育ててくれてありがとう。俊海さんのこと忘れたほうがええと言われたけど、からだの中から焼かれるほど苦しいて、どうしても会いたかった。修行してはる俊海さんのじゃまして、父ちゃんにもめいわくかけてしもうた。それでも、仕合わせやった。

もうこれ以上は生きてはいかれん。死ぬのはこわいけど、母ちゃんが待ってくれてるとおもう。ただ父ちゃんを一人おいていくのだけが気がかりです。  

                      おいの  



俊海は目を真っ赤にして、がくりとひざまずいた。

「立派な僧侶にならな、あかんで」

そう言って、その場を立ち去った。

まもなく、俊海は興福寺から姿を消した。生きているとも、死んでいるともわからない。俊海自身も、優しく看病してくれた、おいのの気持ちを受け入れられなかった自分を責めていた。

「仏の道を歩んできたけれど、たった一人のひとも守れぬ自分はどこへ向かっていけばいいのか…」

おいのと共に、恋という炎の中に足を踏み入れて、とうとう帰ってこれなくなってしまった。この話を聞いた村人は悲しみ、おいのの叶わぬ一途な想いに同情して、この不思議な池を『おいの池』と呼ぶようになった。


ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…

わしは佐名伝に向かって、また歩き出した。おいのが踏みしめた道を歩いていた。

「ふふっ、ふふっ、ふふっ…」

うつむきながら、わしの中で何かが弾けた。

「はっはっはっはっ…」

急に笑いが込み上げてきた。悲しみも、憎しみも通り越して、笑えてきた。

ひとりぼっちになった。それでも、残された人間は生きていくしかない。わしの頭の上のまんじゅう笠はもうない。猿沢池に飛んでいったから。

「なんぎやなぁ、人間は」

わしかて、死んだほうがマシやと思うこともある。でもな、本当はもっと生きたかったさゆりの分も、わしは生きる。おいのも居なくなったけれど、与えられた命を使い切る。

そして、すべてを和らげるために笑う。

今日もわしは笑う。

生きるために笑う。



          (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まんじゅう笠飛んでった 将源 @eevoice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ