第10話 ちゃぶ台を囲んで

 陽が落ちてしまえば、途端に景色は黒く塗りつぶされていき太陽に温められていた空気は冷えていく。

 かといって暖房をつけるほどではなく、窓を閉め切った部屋の中でほんの少しだけ厚着をして過ごしていた。いわゆる部屋用の羽織ものというやつだ。


「夏海くん、最近雰囲気変わったよね」


 それはコンビニの休憩室での、ほんの些細な世間話。

 勉強に集中するがあまり、俺はちっともこよ姉さんから注がれている視線に気がついていなかった。いったいいつから、彼女はこうして俺のことを眺めていたのだろう。

 声をかけてもらっていたのだろう。いつのまにか入れられていたお茶は、ぬるくなっていた。


「あ、すみません。お茶、ありがとうございます」

「いいのよ。わたし、正直なにもしていないから」


 そう言われた俺は、目の前で手をぶんぶんと音が鳴るんじゃないかというくらいに左右に振った。それを見ていたこよ姉さんはくすっと笑っていた。


「いやいや、そんなことないですから。現にこうして勉強に付き合ってもらってるわけですし」

「いるだけじゃない?」

「いてくれるだけでありがたいんです。適度な緊張感といいますか、見てもらえてるんだっていう安心感といいますか」

「それじゃ、お給金もらわないとね」

「えぇー」


 冗談だとは理解していたものの、本当にお礼をしたい気持ちでいっぱいだった。

 かれこれ、あれから一週間ほどが経過していた。

 シフトが被った日はもちろん、被らない日でも理由をつけてこよ姉さんはここへ顔を出してくれていた。かなり軽い気持ちでお願いしていたからか、ちょっぴり申し訳ない気持ちになっていた。

 だから、なにかしらの形で恩返しをしようと決めていた。


「少し前の夏海くんに比べるとね、よく笑うようになってる。自分で気づいてる?」

「いや、ぜんぜん気にしてなかったです……」


 自分の顔というのは、自分では見ることができない。鏡がなければ確認することすらできない。

 だからこそ、こよ姉さんの言っていることが本当かどうかは分からない。俺はただ自分の頬を挟むように叩いてみた。今の俺は笑えているのだろうか。


「最近はね、本当に表情が暗かったのよ。自分では気づいてないでしょうけど」

「そんなにですか」

「うん。抱えきれないなにかを我慢してるみたいだった」


 勉強会を終わらせて、俺たちはコンビニの裏口から出ていた。

 帰り道は丘を下っていくだけ。ひたすら続く一本道が分かれるところまで、ずっと歩く。そこでいつもこよ姉さんとはお別れしていた。つまり、そこに着くまではずっと二人きりでいられるということだった。

 誰かと一緒にいるとき、なにか話していないと気まずくなるものだが、こよ姉さんとはそういう気遣いをしなくても自然でいられた。ただこうして二人で歩いているだけで幸せだった。


「そうだ。ねえ、あさっての試験終わったあとの予定は?」

「特にないですけど」

「おつかれさま会しない? ずっと頑張ってるんだし」

「そんな! こよ姉、それは申し訳ないですよ」

「お姉さんの好意を受け取ってくれないわけぇ?」


 いつもこの人は唐突なのだ。俺のことを悪意なく振り回して、気遣ってくれて、助けてくれる。背中をさりげなく押してくれる。そんな人だ。

 思いついたことを深く考えずに口にしてしまうものだから、ポンポンと言葉が出てくるのも見ていて面白い。


「ちょっと。なに笑ってるのよ」

「いや、こっちの話です」

「え?」

「分かりました。よろしくお願いいたします」

「よろしい。んじゃ、試験頑張ってね」

「はい!」


 分かれ道に着き、こよ姉さんは俺の肩をポンと叩いてあっという間に消えてしまった。ほんとにもう、なんというか。余韻を残してくれないお姉さんだ。

 そんなお姉さんのことを、俺はきっと好きなんだと思う。

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