第6話 別にわたしが一番じゃなくてもいいよ。

【教室】


 俺がここに居る意味はない。存在してもいいという状態ではないからだ。

 深江夏海はすでに死んでいるのだから、ここから早く逃げなければいけない。存在を認識されてしまえば、生きていると観測されてしまう。


 ガラガラと音が響いた。誰もいない教室へ、誰かが侵入していた。隠れる隙もなく、俺はただその場で立ち尽くすことしかできなかった。けれどよく目を凝らして見てみると、その姿は見慣れたツインテール姿の女の子だった。


「…みずほか?」

「あれ。うみなんでこんな時間にいるの?」

「なんでって……それはこっちのセリフだぜ」

「わたしのことはいいでしょ。うみはまず自分の心配をしなさいよ」


 例のことをみずほはまだ知らない。ただ俺の身体がそれほど長くないことは知っていた。それが原因で別れたも同然なので、覚えていてくれないと困るけれど。


「なにか忘れものしたの?」

「そう。最近ずっと忘れっぱなしだったんだよね」


 彼女の頬はほんのりと紅くなっていた。その顔をほんの少しだけ見たあと、彼女は迷いなくいつも通りに顔を近づけてきた。

 顔の表面に微かに当たる息遣いに、俺は少しだけ意識をさせられていた。

 すでに終わっているはずの関係は、一ミリ程度さえも動いていなかった。むしろ俺たちに関係は日々縮んでいく一方だった。


 どれだけ積極的に彼女が距離を縮めようとしたとて、俺にとっては過去のカノジョでしかない。それ以上でも以下でもないんだ。


 何度そう伝えても諦めず、彼女はこうして今もまた俺の口の中へ自分の舌を入れていた。たいして長いわけでもないので、彼女の舌は俺の前歯あたりを掠る程度しか来ていなかった。

 特にそれに反応をするわけでもないので、本当にこれだけで終わる。


「…やっぱり、わたしのことキライ?」


 俺とは違って、あどけなさが至る所に残っているみずほが、上目遣いでそう聞いてきた。半ば強引にキスをしておきながら、今更嫌いかどうか聞くなんてかなりとんでもないやつだな。

 そういうやつだと知っているせいか、それが鼻につくことはない。いつも通りにおかしい。


「嫌ってはないよ」


 興味がもてないだけ。瀬戸みずほとの関係は、すでに終わっている。そう思っていないのは、彼女のほう。加奈子とのやり取りで、こういうときにみずほならどうするかなと考えてしまうことはあるが、そんなの誰だって経験あるだろう。


「みずほは別に、一番になりたいって思ってるわけじゃないんだよ?」

「突然なんの話だ」

「分かってるくせに。……別にわたしが一番じゃなくてもいいよ」


 そう言うと、みずほは自らの顔を俺の胸元に当て始めた。そして、そこにある無に顔を擦り付けていた。見た目に沿うように、彼女は甘えたがりだった。

 俺としては、彼女のことを妹として見るほうがあってるんじゃないかとさえ考えていた。


「家にね、みずほより小さい男の子が来てるの」

「男の子? 親戚の子どもとか?」

「ううん。お母さんが再婚するんだって」


 彼女の両親は幼い頃に離婚しており、ずっと母とみずほの二人暮らしだった。そこへ新しい父親と弟が増えるのか。まあ、一般的に見れば新しい家族としての新しいスタートを切るタイミングなのだろう。

 けれど、隣で俺に寄りかかっている少女を見ていると、とてもそういう雰囲気ではなさそうだ。


「みずほ、お前もしかして新しい父親と弟になるかもしれない二人と仲悪いのか?」

「ううん。そういうわけじゃないんだけど。むしろ歓迎してくれてるんだけど……ね」

「そんなの…んっ?!」


 やけくそと言わんばかりの舌の入れ具合に、俺は驚くことも忘れて少しの間放心状態になっていた。やり方がまるであの手の……。


「なあ、みずほ」

「んー?」

「…俺にしゃべらせないために口を塞いでるのか?」

「…ちっ、ちがうよ?」


 なんてわかりやすいやつなんだろう。思ってることが全部口や行動に出てしまうので、これも仕方ないととらえるべきか。


「上手くいってないんだな」

「なんかね、わたしだけ漬物石みたいになってて。お母さんと新しい弟とお父さんのあいだに入って、家で過ごせる自信がないの」

「そんなの誰だって初めはそうさ。…今日いるのか?」

「うん。だから、ゲーセン行くって嘘ついてふらついてたってわけ」

「それで閉門時間になる直前の学校に入ってくるなんて、みずほくらいしかしなさそうだな」

「なによ、悪い?」


 そう言いながら、みずほは俺の服の袖をか弱い力で引っ張ってきていることに気づいた。


「帰れないのか」

「日付変わるくらいまでは帰りたくない。胸が苦しいから」

「そうか。……仕方ないなぁ。付き合ってやる。ただし、最後はちゃんと家に帰るんだぞ」

「うん! ありがとう、うみ」


 ほんの少しだけ震えていたみずほの声が落ち着いていき、ようやく彼女の顔に普段通りの笑顔が戻りつつあった。だからこそ、次に言われることはなんとなく想像できていた。

 彼女自身は、これをすることが最適だと頭のどこかで信じているのかもしれない。


「それじゃね、さっきの続きしよ?」

「……あのな、もう正門閉まるぞ」

「もうここはだめだよ。どっちにしろ、学校は抜け出したほうがよさそうだね。…河川敷でも行く?」

「ああ。俺はいいんだが、あそこは風通りがいいから寒くないか」

「やってれば温まるでしょ?」


 返事をする気にもならなかった。

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