第4話 余命五年を生きるということは

【診察室】


「五年後に俺は死ぬんですか」

「……直接的に言えば、そういうことになるね」


 余命宣告。それは俺が中学生になった矢先に受けたもの。

 元々生まれた当時から目に見えない内部障害を抱えていたらしい俺の身体は、自分の思っていた以上に貧弱だった。


「現在の医療技術ではもう手の施しようがないんだ。治療法が見つかっていないから、深江さんにはこの現実を受け入れてもらうしかない」


 そこから五年後ということは、数えると俺が十七歳になるくらい。

 当時の俺にとっては、それがどのくらいの時間でどれくらい密度の濃いものなのかを想像すらできなかった。ただ数値的な五年という言葉でしか理解できていなかった。

 そのせいか、それに対する感情はなにも生まれていなかった。悲しいとも苦しいとも思えなかった。


「言われなくても受け入れますよ。……それしか方法がないなら。他人の死は受け入れづらいんですけど、自分の死は受け入れることができますから」

「感受性が高いんだね」

「違いますよ。他人に興味を持ちたくないだけです」

「というと?」

「想い出を作りたくないんです」


 そう伝えると、先生は少し険しい顔をして声にならない声を出していた。


「それはどうして…?」

「その人の中で、自分が生き続けてしまうのが怖いんです」


 もし俺に親がいれば、死んだら悲しむからとか迷惑をかけてしまうからという心配をしただろう。けれど、そんな心配はしなくてよかった。

 ごく一般的な家族という存在とは無縁の生活を送ってきた俺にとって、関係のない話だったからだ。


「施設には私から連絡しておく。深江さんはこれからしばらく入院することになるから、その準備をしてもらえるかな」

「あの、先生」

「どうした?」

「長い付き合いの先生だからお願いするんですけど」

「なんだい? もったいぶらずに言ってみ」

「みずほには自分から話すので、それまで黙っていてくれませんか」


 中学生の俺には、カノジョがいた。名前はみずほちゃん。

 自分の身体のことがあるため、他人から受け取る愛情が苦手だった俺は特定の仲がいい人という存在を認めてこなかった。それをよしとしなかったのが、みずほだった。


「内緒にするのか」

「いえ……多分俺から話さないと怒られますから」

「もう尻に敷かれてるんだねぇ」

「そういうのじゃないですから…! みずほには昔のことを忘れてほしいんです」


 彼女を介して、俺は友人と呼べる間柄の交流関係が生まれつつあった。周囲から孤立していた俺にとって、まるで新しい世界にたどり着いたかのような感覚だった。

 だが俺は気づいていなかった。恋人同士であるはずの瀬戸みずほとは、ほとんど関わっていなかったのだ。恋愛のれの字も理解できていなかったため、カノジョにどう接したらいいのか分からなかった。

 受け入れることができた理由は単純で、彼女とは幼馴染だったから。それだけの理由だった。

 幼馴染とはいっても、幼いころから同じ施設で育てられたからというのがその理由なので、特に面白味はない。今になって思えば、あの感情は友情と恋愛感情の掛け違えだったんだ。


 みずほがいれば、その場が明るくなる。どんなときでも周囲に気を配り、元気を振りまくような笑顔は心を奪われるほどに綺麗だった。とても施設育ちとは思えないほどに、上限のない温もりがそこにはあった。


 そんな彼女に惹かれるまま過ごしていたある日に、俺は意識を失っていた。



【病室】


「…んんっ?」


 目覚めたと思った。しかし、瞼は異常なまでに重くのしかかっており、とても開けられるようなものではなかった。

 全身が鉛のように固まっていて、まるで上からおもりを置かれているようだった。乾ききった喉に音を響かせるのは至難の業で、いつも通りの声を出せずに掠れてしまった。


「…ぁあ…あ」


 耳元で聞こえるのは、機械的なピッピッという一定のリズムで流れている音だけでそのほかの音は一切なかった。正体不明な音と自分の身体が全く動かないという不安に襲われて、どうすればいいのかが分からずただ焦っていた。


「ん…? え?」


 耳元ではなく、上の方向から正体不明の声が聞こえた。女の子っぽい声だが聞き覚えのないその声に、不安な気持ちは増していくばかりだった。


「もしかして意識が戻ったの…?」


 上手く発声できない自分の喉にイライラしながらも、俺は口をパクパクさせて反応しているアピールを試みた。


「反応してるのね…! ちょっと待ってて、先生呼んでくる!」



 数十秒後に病室前の廊下に走っているような大きな音がだんだんと近づいてきて、ドアが開いた。


「深江さん? 私の声が聞こえるかい?」



 あとから聞いた話だが、俺はそのとき植物状態だったらしく、意識が戻ることはないだろうと言われていたそうだ。意識がなくなっていたのは約一年数か月ほど。もう無理だろうと先生は思っていたらしい。


「それで先生、ひとつ聞いてもいいですか?」

「どうした」

「あのとき先生を呼びに行った女の子って、誰ですか?」

「……なんの話だ」

「なんのって…あのとき先生が来てくれたのって、誰かが呼びに行ったからじゃないんですか?」


 確かに、耳元で女の子が言っていたのを俺は聞いていた。

『ちょっと待ってて。先生呼んでくる』とあのときそう聞いたはずだった。


「…本当に来てないんですか?」

「ああ。私が行ったのはベッドのセンサーが反応したからなんだ。誰かが呼びに来たわけじゃない」

「そうですか……分かりました」


 答え合わせができないままに病院生活は続いた。自分の身体を自分の思い通りに動かせないことの苦痛を味わいながら、以前と同じように動かせるように必死にリハビリを続けた。



【学校・正面玄関前】


 療養期間を経て学校にそれまで通り行けるようになると、あのときの声の主が明らかになった。ずっと記憶に残り続けた声。忘れられなかった声に導かれて、俺は考えるよりも先に手を伸ばしていた。


「ねぇ」

「…えっと、誰ですか?」

「ごめん。深江夏海っていうんだけど、会ったことあるかな?」


 そのとき俺が期待していたのは、目の前にいるポニーテールの女の子があの日病室にいたと言ってくれることだった。そうすれば、このもやもやがやっと晴れると思っていた。だが、予想していた答えは返ってこなかった。


「いや、今日が初対面だと思うよ。名前は知ってたけど」

「……そ、そっか。ところで、あなたの名前は?」

「ちょっと待って。名前も知らずに話しかけてたの。……東雲加奈子です」


 どれだけ真剣に彼女の声に耳を澄ませても、脳裏によぎるのはあのときの女の子の声と全く同じということだった。


「東雲さんね。これからよろしく」

「深江さんって変な人ですね」

「よく言われるよ」


 奇妙な偶然。そして出会い。

 まさかこの女の子と付き合うことになるとは、ほんの少しだって考えていなかった。そりゃ可愛いとは思っていたけどさ。



【診察室】


「もうすぐ五年です。先生」

「そうだね」

「自分の死なら受け入れられると思ってたんですけど、最近はだんだん怖くなってきました」

「…それはまた、どういう心境の変化だい?」

「想い出を作りたいと、そう思ったんです」

「そう思うのはいい傾向だよ。余命宣告はあくまでも目安だから、もっと長く生きることはあり得る話なんだ。ただ……それがいつになるかは正直言って分からない」


 余命五年と言われて、その年が五年目だった。マイルドに言ってくれているものの、先生はいつ死んでもおかしくないという意味で伝えている。そんなことは聞かなくても理解できた。


 残りの日数、いつ死ぬのか分からない状態で生き続けることには、いったいどういう意味があるのだろう。


「行動制限はもう無視していい?」

「いいよ。死ぬ間際に行きたい場所へ行けなくて後悔するよりはマシだろう」


 おそらくこれが最後の夏……なんだろうな。もしそうならなかったとしても、死んでしまってからでは遅い。

 そう考えたとき、俺は現在いまか未来どちらを向いて生きるべきなのだろうか。それとも、過去を振り返ってやり直すべきなのだろうか。


 自由とは籠の中から飛び出した鳥と同じこと。ゴールがないことは、決して幸せとは限らないのだ。

 行く宛もなく彷徨い続けることには、どんな意味があるのだろう。


「定期検診も今日で終わりでいい。もう診れるところがないからね」

「分かりました。…個人的に相談に来るのはアリですか?」

「いいよ。そのときは携帯電話に連絡をくれ」

「ありがとう、先生」


 用意されていた三つの選択肢のうちの一つだけを、選ばないといけない。時間は止まらずに進み続けるのだから。

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