第3話 押して圧した柔らかな感触

【勝手口】


 女の子相手に強引にされてしまうのは不本意だったが、そうは言ってられない状況だった。どうやら、俺は実体のない罪に問われようとしてるからだ。


「っていうか、話の途中で腕を引っ張ることはないだろ。お姉さんに悪いじゃないか」

「そんなこと言って。本当は授業サボりたかっただけなんじゃないの?」

「違う。もしサボるならわざわざあんなところに行くかよ」


 遅刻することはあっても、一日休むことはない。夢を見るせいで極端に睡眠時間が足りていない俺にとって、朝の時間はかなり貴重な存在なのだ。それを少しでも味わうために、ぎりぎりを攻めた結果がこれだ。

 ただ今日は限度を超えていたのか、間に合わなかった。間に合わないなら間に合わせるために、時間をねじった。ねじる方法はルートの短縮、つまりショートカットだった。

 なのでこれは正当な理由のある行動で、カノジョから責められるような話ではないはずだ。


「それじゃ、どうしてあそこにいたのよ」

「そんな分かりきったことを聞くのか?」

「ええ。聞かせてちょうだい」


 加奈子に連れられてから今まで、実はまだ顔を見ることができずにいた。彼女がどんなに険しい顔をしているのか、顔を合わせたら自分の意見を言いづらくなってしまうのではないかと、不安な感情が溢れてしまうことを恐れた。

 怒りという感情が酷く苦手な俺にとって、それだけは避けたかった。


「朝って時間がないだろ?」

「そうね。ぼうっとしていたら、あっという間に過ぎていくよ」

「そういうことだよ。ぼうっとしていたら時間が思ってたよりも進んで、慌てて走ったんだ」


 目線を上に向けないまま、下を向いたまま俺はひたすら自分の朝に起きていた事実を零した。なんのひねりも面白味もない、平凡な朝の過ごし方だ。だからきっと、今になって加奈子はとても退屈しているに違いない。


「向かう先がどうして校舎裏になるの。そもそも、お姉さんといちゃいちゃしてたじゃない」

「それとこれとはまた別の話だろ」


 秋の朝は少し肌寒い。そのため本来ならば汗をかくことなんてのはないはずなのだ。しかし、先ほどからこめかみのところを水が伝っていくのがよく解る。おそらくこれは俺自身が流している汗なのだ。

 ひどく感情を揺さぶられているのだ。


「ならなんであんなことになってたのか、教えてもらおうかな」

「どうしてって言われても、あのお姉さんに絡まれてなかったらきっと間に合ってたよ」

「そういう問題じゃなくってね? あそこにいること自体がおかしいって、理解できてる?」


 そこまで言わなくてもいいじゃないか。そう返答したくなるほどに、東雲加奈子は怒りの感情を露わにしていた。

 そんな彼女を見ていて、俺はあまりに冷静だった。怒りの矛先が俺に向いていることは明らかだった。けれどそれよりも、なぜこんなに他人に対して関心をもてるのかのほうがよほど興味があった。

 それはきっと彼女が俺のカノジョであるからかもしれない。ただ俺も同時に恋人であるため、彼女にとってのカレシなのだ。そう理解していても、感情は動かなかった。


「おかしくはないだろ。俺はあくまでも始業時間に『間に合わせる』ためにあそこに行ったんだ。それ以外の理由はないよ」

「それがおかしいのよ。登校するときにあそこを通る必要はないはずよね」

「まあ……そうだね」

「普通に正門から通って来れば、なんの問題もないよね」


 加奈子は怒っている。だから、俺がいくら朝の状況を説明したところで無意味なのだ。その行為自体になんら意味はない。

 だからここで彼女から背中を壁に押し付けられても、なんら意味はない。


「どうしたの急に」

「あのね、心配させたっていう自覚ある?」

「心配してくれたのか」

「当たり前でしょうが。本当に鈍感だよね、夏海くん」


 言い終わったあとで、加奈子はそのまま俺の頬に口づけをした。

 まだ朝で気温が低いせいか、触れた感覚は少し冷たかった。口に直接ではなく、頬にあてるところがなんとも加奈子らしい。

 口づけをしたあとで行き場を無くした彼女の顔は、俺の胸元にたどり着いていた。下に向けていた視線の先に彼女の髪が見え、ほんのりとシャンプーのような淡い香りがした。

 どうすればいいのか分からない俺は、とりあえず彼女の髪の毛を撫でてみることにした。


「……んっ。くすぐったいよう」


 まるで少女のような声を出しながら、必死に恥ずかしがっていた。加奈子は意外と恥ずかしがり屋なのだ。だからこうして俺から迫っていくと、それに反するような行動をとってしまう。

 先ほどまであんなに怒っていたのに、そんな彼女はいったいどこへ消えてしまったのだろう。不思議だ。


「首の付け根あたりが弱いんだよな?」

「あ、いや、ちょっと…待って…ねぇ」


 勝手口のところにいるとはいえ、校舎の中では声が反響しやすく通りやすい。きっと、彼女の声は少なくとも一階にいる人たちの耳には入っているだろう。だが、そんなことはもうどうでもいい。

 彼女の感情を受け取ることでしか、俺は加奈子に近づけないのだから。

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