第37話 特別な君へ

 ステージが終わり、殺到するあいりんファンを教師陣が抑える中。


「いやー、盛り上がりましたね。さすがあいりんちゃんだ!」


 空は変装した真凛と体育館裏で話していた。


「よく言うよ。ワタシのことも踏み台に使ったくせにな」

「ぐ……」

「まんまとハメられた。やけに熱狂的なファンがステージから見えると思ったらワタシを応援しているわけじゃなかったとはな」

「最初からこうするつもりではなかったですよ? 真凛さんにも自信を持ってほしいと思ってたのは本当ですから」

「わかってるさ。感謝してる。おかげで踏ん切りがついたからな」

「……てことは!」

「ああ。ワタシは芸能界でやってくよ。生でファンの声を聞いちゃったからな。どこまでやれるかわからないけど、後悔したくない。天下を獲ってやる」


 サングラスの奥の瞳はメラメラ燃え上がっていた。

 あいりんが、真凛が、本物の特別として覚醒した証である。


「俺も応援してます。真凛ファンとしても、あいりんファンとしても」

「はは。空、キミという奴は本当に口が上手い奴だ。なるほど、その巧みな話術で数々の女を口説き落として振ったわけだ」

「ち、違いますって。まじでその言い方やめてください」

「冗談さ。でも、残念だなー」


 真凛は空の手を取り、


「ちゅっ──」

「なっ!?」


 キスをして、ニヤリと笑う。


「これはお礼だ。でも内緒だぞ。スキャンダルになったら困るからな」

「……」

「照れてるのか? ふふ、恋愛禁止じゃなかったら本気で口説かれても良かったけどな。残念ながらワタシはみんなの特別だから、キミだけの特別にはなれなさそうだ」


 真凛はそう言って、空の額を指で弾く。


「またご主人様ごっこがしたくなったらしてやるからな」

「か、からかわないでください。あれは勝手にやったんじゃないですか」

「まあキミはMっぽいしな。ちゃんとパートナーに罵ってもらえ」

「誤解ですって! そんな趣味はありません!」


 などとやっていると、


「おっと、ワタシは失礼するよ。そろそろ身バレしそうだしな」

「あ、はい。気をつけて帰ってくださいね」

「いい報告を期待してるぞ。それじゃあまたな」


 真凛はそう残して帰ってしまった。

 その背中は、まさにトップアイドルにふさわしい自信に満ち溢れていた。



 文化祭の一般公開は終了し、日が沈み始めた頃。


 グラウンドにて、後夜祭が行われていた。中心にはキャンプファイヤー。生徒の任意によりお笑いや自慢大会も行われており、自由に生徒が余韻を楽しんでいる。


「あ、やっと見つけた」


 ブロックに腰かけてメラメラ燃え盛る炎を遠巻きに見ていた空は、少女の声で顔を上げる。


「一人で何してるの、空くん」

「まいさ……海帆。だめだ、慣れない」

「えー、せっかく呼んでもいいって思ったのになぁ」


 海帆は一人分空けて腰を下ろした。


「……海帆。海帆海帆海帆海帆」

「うわっ、何急に。呪いかけてる?」

「練習しようかなって思って。顔赤いよ?」

「ぐぬ……。ほんと意地悪だよね」

「お互い様ってことで」

「……」

「……」


 各地では思い思いにバカ騒ぎしているが、少し離れたこの場所は沈黙が目立つ。

 でもそれがいい。海帆相手には気取る必要もない。


「二人っきり……だね。あたしたち」


 後夜祭は学内だけのため比奈は帰り、サヤカも家族とご飯を食べに行くと言って帰った。

 二人きり。今まで何度もあったが、改めて言われるとむず痒い。


「あのさ、海帆」

「……!」


 隣を見ると目が合った。頬を染めながらも逃げようとはしない。

 しばらく見つめ合うと、


「ほんとに、あたしなの……?」


 その問いに、空は深く頷く。

 あれからまだ言葉にしていないのだ。

 ライブの観客席から必死に応援していただけで、まだ具体的な告白はしていない。


「なんで、あたしなの……?」

「海帆が、俺を変えてくれたから。俺が言うのもなんだけど、海帆がいなかったら他の三人も前を向いてないままだったと思う。海帆があの日俺に話しかけてくれて嬉しかった」

「……あたしじゃなくても、きっと……」


 まだ伝わり切っていないらしい。

 ……いや、分かった上での迷いか。空は嘆息し、


「えいっ」

「みゅん!? も、もうまた引っ張った! これは持つところじゃないってばぁ!」

「こうすると海帆可愛い反応するからさ。面白くてつい」

「ほんと性格悪い。ばか」

「はいはい。でも海帆が分かってくれないのが悪いんだよ」


 髪の毛を気にする海帆に向き直る。

 じっと見つめると海帆は少し俯きがちに恥じらいを見せた。

 空はブロックから降りると片膝とつき、すっと手を伸ばす。

 呼吸する音が聞こえるくらい二人だけの世界に入り、



「好きです。俺と付き合ってください」



「……あ、あわ、あわ……あたし、あたしに言ってる?」

「海帆しかいないでしょ。俺が好きなのは海帆だ。俺の彼女になってほしい、です」


 恥ずかしい。今すぐ逃げ出したい。世のカップルはこんな緊張するイベントを行っているなんて考えられなかった。全員心の底から尊敬する。本当に凄い。


「……で、でもあたし。五番目の女、だし。そんなに可愛くないし、胸も普通だし、モブだし、もっと空くんにはいい人いるし、それにそれに……」

「海帆。俺も怒るよ?」

「……だってぇ」

「海帆は可愛いってずっと言ってるよね。俺にとっては一番だよ」

「…………~~~~~~!」


 顔を隠してわなわなしてしまう海帆。

 どうしても自分が選ばれるという事実が信じられないらしい。

 なら、嫌でも記憶に刻んでやろう。

 自分が特別でないと言うならば、無理やりにでも特別だと植え付けてやる。


「海帆。ちょっと待ってて」

「ふぇ…………?」


 空は走って、人だかりが出来ている簡易ステージに向かった。

 司会役の生徒が飛び入り参加を募っている。


「あの! 俺いいですか?」

「どうぞどうぞ! さあさ、こちらへ。クラス学年とお名前をどうぞ」


 マイクを受け取り、壇上に上がる。

 意外と生徒が多く、見知った顔の生徒もたくさんいた。

 でもそんな奴ら眼中にない。ただ一人のために。ただ一人に向けて叫ぶ。


「えっと、三年Cクラスの遠江空です」


 マイクの調子を確認し、足を肩幅に開く。

 大きく息を吸い込み、魂の叫びを爆発させる。



「俺は! 舞阪海帆が大好きだああああああああああああああああああああ!」



 ハウリングを起こす程の声。続けて、


「好きだ! 好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだああああああああああああああ! お前しかいない! 俺は他の誰でもなく、舞阪海帆を愛してる! 俺と付き合えええええええ!」


 これまでの自分なら絶対やらない。

 空気を読んで、嫌われないように線を引いて、目立たず穏便に過ごしてきた。


 それと真逆の行為。

 わかってくれないならわかるまで。


 ベタでも定番でもいい。誰もがこれは『特別』だって思う方法で、特別な人間の心に届かせる。他に方法何て思いつかないから、今はもうひたすら叫ぶ。


「愛してる! 結婚したい! ずっと一緒にいてくれえええええええええええ!」


 観客がいいぞいいぞと盛り上がる。

 相手の女はどこにいるんだと探す者もいた。

 伝われ。伝われ。伝われ!

 空は何度だって叫ぶ。

 恥ずかしさなんか忘れて力の限り全力で叫んだ。

 気持ちをぶつけるのが気持ちいい。



「海帆が一番特別だああああああああああああああああああああああああ!」



 そんな魂の告白を受け、海帆は──


「うっ……ぐすんっ…………うっうっ、うううう~~~…………!」


 涙が止まらない。

 ずっと言って欲しかった。

 ずっとそうなれたらと思ってた。

 でも受け入れられなくて。自分を認められなくて。

 逃げて勘違いしないように言い聞かせた。


 なのに…………。

 こんなことをされたら嫌でも分からされる。

 あたしは、特別になっていいんだって。


「……ほんとに、バカだよ。そんなキャラじゃないくせに」


 それだけあたしのことを思ってくれた。

 あたしを好きって言ってくれた。

 だったら、あたしは──


「──!」


 海帆は涙を拭くのも忘れて走り出す。

 大好きで特別な男の子と同じステージに立つ。

 そして伝えた。


 舞阪海帆が、ようやく、ようやく特別になった。




***




 後夜祭も含め、文化祭の全日程が終了。空は海帆と思い出の公園を訪れていた。

 ベンチに座っていると、海帆が飲み物を買って隣に来た。


「つめたっ!」


 首に買ったばかりのスポーツ飲料水が当てられた。

 悪戯が成功して嬉しそうな海帆から受け取りキャップを外す。

 一気に半分飲むと、一日疲れた体に塩分が染み渡った。


「あのさ、海帆」

「んー?」


 海帆は肩を密着させてきて、足をぶらぶらさせた。

 空は冗談が通じないような顔で、


「俺ってなんで振られたの?」


 振った張本人に問い詰める。

 あの後、海帆がステージにやってきてボルテージは最高潮に達した。

 空も含め、誰もが新たなカップル誕生を確信した中。


 ──ごめんね。


 呆気なく撃沈した。

 観客たちは逆に盛り上がったのだが、空は全然よろしくない。

 振ったくせに一緒に帰ろうと誘ってきた時は性根を疑った。

 落ち込む姿を見て愉しみたいのだろうか。

 その割に猫みたいにくっついてくるのはどうしてだろう。

 考えれば考えるほどこの女の子がわからない。


「なんで振った、か。なんでだろ」

「え、俺泣いていいかな」

「うそうそ。ちょっと仕返ししたくて」

「なんかまた怒らせた?」

「怒ってるっていうか……焼きもち、かな?」


 海帆は腕に抱き着いてきた。


「あたしが特別って言ったのにいつも他の女の子にデレデレするんだもん」

「べ、別にそんなつもりは」

「わかってるよ。そうやってお人好しが過ぎるところも含めて好きになっちゃったんだもん」

「好き……? 俺のことは好きなの?」

「……ううん」


 海帆は首を横に振る。

 本気で泣いてやろうかと思っていると、


「大好き」


 囁いて、腕にしがみついてきた。

 誰にも渡さないとでも言いたそうなくらい力を入れて。


「お、俺のこと大好きなの?」

「やっぱ嘘。大大大好き」


 めっちゃ恥ずかしかった。

 今すぐ抱きしめたいのを一旦堪える。


「なんで断ったの?」

「だって、みんなの前じゃ恥ずかしいもん」

「それは、だって海帆が全然わかってくれないから」

「うん、知ってる。でも空くんの困った顔見たかったからね」

「そんな理由で!? 俺めっちゃ同情されてたよ? 学校行きにくいじゃん」

「あはは、明日から夏休みだからよかったね」

「うわー、性格悪いなぁ。まあそこもいいんだけど」

「ふふっ、でしょ。空くんあたしに振り回されるの好きだもんね」

「……」


 肯定すると尻に敷かれそうだから黙っておく。

 海帆は見透かしたように笑い、急に真剣な顔をした。

 ほんのり火照った頬が街灯に照らされる。


「ほんとはね、違うの」

「何が?」

「告白を、断った理由」


 空は黙って続きを待った。

 そして、一番聞きたかった答えを聞かせてくれた。



「空くん。あたしも大好きです。付き合ってください」



「…………!?」


 理解しようとしたが、思考が停止する。

 嬉しい反面、状況が分からない。

 振られたのに告白されているのだ。


「……なんか言ってよバカ。恥ずかしいじゃん」

「えっと、待って。俺振られたよね?」

「うん。空くんからじゃやだ。あたしから告白するのはいいの」

「なんだよその理由。一緒じゃないの?」

「全然違うもん。空くんはたくさんあたしに寄り添ってくれたでしょ。最後まで甘えてたらあたしがあたしを許せないの。だからあたしの我儘かな?」

「そっか。はぁ、よかった」


 海帆らしい考えだ。仕切り直して、もう一度。




「あたしを、空くんだけの特別にしてください」

「もちろん。こちらこそ、俺の特別になってください」




 しばらく見つめ合い、耐え切れなくなってペットボトルの中身を飲み干す。

 沈黙が流れるも、お互いに考えることは同じだった。


「……海帆」

「……空くん」


 ぎゅっと、優しく海帆の背中に手を回す。

 海帆も同じようにして抱き合った。


「空くん、好き」

「俺もだよ。愛してる」


 そんな言葉がすらすら出てくるぐらい二人の世界に入り込んだ。

 時間も忘れるくらいお互いの温もりを感じ、やがて。


「ちゅっ──」


 唇を重ねた。誓いあうように。証明するように。

 特別な行為で愛を伝えた。


 お互いに特別だと認め合いながらも、自分で気づくことが出来ず紆余曲折あった。

 それでもようやく、新たなスタートを踏み出すことになる。

 二人はようやく恋人同士の関係になったのだ。


 世間でもありふれたカップルの一組。

 それでも、今なら言える──自分たちは特別だって。

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