第35話 青春

「はぁ、はぁ……」


 空は人混みを掻き分け、真凛がいる中庭の休憩場にやって来た。比奈とサヤカの家族もいてみんなで科学部の巨大シャボン玉実験を見ていた。


「どうしたんだ、天下獲るなんて。急に中二病でも患ったか?」

「真凛さん、ちょっとお願いがあります」


 呼吸を整えて、真凛のサングラスの内にある瞳をじっと見つめる。


「な、なんだ告白か? おいやめろって小さい子もいるんだから」

「くーくん、海帆さんは? 一緒じゃないの?」

「わわ! もしかしておにーちゃんやらかしたんですか!?」

「そ、それはひとまず置いておいてくれ。じゃなくて、手伝ってほしいことがあるんです」

「ワタシにか?」

「はい。あいりんである真凛さんにしか頼めないことです」

「聞くだけ聞いてみよう」


 真凛は足を組み、ピンク色の髪を耳にかける。


「ステージで、何かやって欲しいんです」


 空の声にいち早く反応したのは比奈だった。


「見たいです! 真凛さん、頑張って!」

「サヤカも応援します! わあああ、楽しみですね!」


 だが真凛はサングラスの位置を直し、


「いいよ…………とは簡単に言えないよね」

「分かってます。真凛さんの悩みは承知の上で頼んでます」


 真凛はメディアに出ようとしない。それはアンチの声で自分の存在を否定されるのを恐れているからだ。だからコメント欄も一切見ずにひたすらネット上で投稿することしかしない。


 海帆や比奈やサヤカによる100%ファンの声があると知った今も、不特定多数の無責任な視線や言葉に耐えるだけの覚悟が足りていない。


 特別だからこそ抱く葛藤。それに躊躇し、今も真凛は中途半端であり続ける。


「誰のためにやってるんだ? キミはやるべきことがあるだろ?」

「……それは」


 確かに、真凛からしてみれば利用されているだけ。文化祭の穴が開いたから代わりに出てくれなど虫が良すぎるお願いだ。空がその心配をする必要があるのかと聞かれている。


 そして、本当に向き合うべき問題は別にあるのだ。


「そんな子犬みたいな顔をするな。いじめたくなるだろ」

「ぐ……でも、俺は真凛さんにも気づいて欲しいんです。本当にやりたくないなら俺からはこれ以上言いません。でも、もしほんの少しでもこの先後悔する日が来るかもしれないと思うなら、俺の我儘を聞いてください!」

「くくっ、キミは本当にバカだな。たかが一人のファンが勝手にワタシの人生を語るな」

「……」


 返す言葉が無い。ただ頭を下げ続けることしかできない。


「顔を上げろ、空」

「……」

「やらないなんて言ってないだろ?」

「……それじゃあ!」

「他人に突き動かされた、という事実が気に入らない。だからこれは、ワタシの意志でやることだ。あいりんの初ライブは、ワタシがワタシのためにやる」


 真凛は空の顎に手を当てるとくいっと持ち上げて目線を合わせ、柔和に笑った。


「だが、条件がある」


 今度は比奈とサヤカの方を見て、


「二人も出ろ」

「「ええええええええええええええ!?」」

「ワタシの出てる動画の振り付けぐらい出来るだろ? 一千万再生だからな」

「で、でもでも……私」

「比奈。キミはもっと輝けるよ。ワタシと一緒じゃ不安か?」

「いいいいいいいいえ! やります! あいりんちゃんの歌と踊りは全部一人でやったことあります! きゃあああああ! 私があいりんちゃんと一緒に!?」


 比奈の出演が決定。

 高速で振り付けを反復し出し、気合十分。


「サヤカ。キミは恥ずかしいとかないだろ? 付き合え」

「ひゃ、ひゃい! サヤカ踊り狂います!」


 サヤカも決定。家族に見ててね! と誇らしげだ。

 真凛はもう一度空を向き、


「で、最後の条件だ。海帆も連れて来い。それが出来ないならこの話は無しだ」

「な……なるほど」

「ワタシたちは先に行って話を通しておく。さぞ驚かれて盛り上がるだろうな。そんな中やっぱりやめます……なんてなったら全部空のせいだぞ。責任を取るどころではない」


 真凛は大人の余裕で、愉快そうにけしかけてくる。


「わ、わかりました」

「よそ見ばかりしてると見限られるぞ。ワタシの心配はいいから自分のために頑張れ」

「はっ、はい!」


 こうして、空はまた海帆とのかくれんぼを再開した。




「まずい、時間が無いな」


 真凛たちの出番まで残り十五分。学校中でどうやら真凛が存在しているらしいと噂になっている。もし期待を裏切れば打ち首にされるだろう。


「くそ……あの子どこ行ったんだ」


 あちこち走り回って既に汗だく。

 あとは女子トイレと女子更衣室くらいか……。


「あれ、バカ空じゃん」


 失礼な呼び方に振り返ると、海帆の面影が少しある女。


「凪沙さんか。なんでいるの?」

「悪いか! 男捕まえに来たのよ。誰かさんのせいでフラれたから」

「いや俺関係ないだろ……」


 面倒だからこれ以上は触れないでおく。


「それより舞阪さん知らない?」

「おねーちゃん? それならここに……ってあれ? どこ行ったんだろ」

「一緒にいたの?」

「数秒前までいたけど。あ、もしかしておねーちゃんに何かしたの? アンタの顔見て逃げちゃったんでしょ」

「いや、何もしてないけど。くそ、逃がしたか」

「はーぁ。しょうがないなぁ」


 凪沙はスマホを操作し、


「あ、屋上に行った」

「なんでわかるの?」

「GPSだけど?」

「そんな当然みたいに言うなよ。流石シスコンは怖いな」

「早く行ってきなよ。アンタの顔見てるとイライラするから」

「ひど。でも助かったよ。ありがとう」


「まったく、なんでこんな男好きになったんだろ。こいつが義理の兄になるとか反吐が出そう」

「俺も凪沙さんが妹とか嫌だな」

「はーぶっ殺すぞこっちのセリフだっつーの。あ、でも奴隷を飼えるなら悪くないかも」

「そんなこと言ってるからモテないんだよ?」

「よし、殺す。今すぐ殺してやる!」


 そんな恐ろしいことを言い出したため退散させてもらう。

 屋上に行くと、本当に海帆がいた。


「舞阪さん」

「ふぇ!? しょ、しょらくんなんで?」

「ずっと探してたんだよ。なんで逃げるの」

「ら、らって……こ、来ないで」

「そんな言い方されるとショックだな」

「ご、ごめん。そうじゃなくて……自分でもモヤモヤしてるから」


 海帆は風に遊ばれる髪を抑えて俯いた。

 その表情は、やっぱりかつての自分を見ているようだ。


「舞阪さん」

「え、ちょ、なに!?」


 白くて細い。すぐに折れそうな腕を掴む。


「来て。舞阪海帆が特別だって、証明してあげる」

「ふぇ、ふぇ? 空くん、ちょっと──!」


 空は海帆の腕を引いて駆けだした。

 今まで嫌いな言葉だったが、青春ってこういうことを言うんだなと思いながら。

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