第22話 本物の特別
放課後。空はサヤカと二人で帰ることになった。
海帆も誘おうと思ったのだが、二人で帰るようにと余計な気遣いをされてしまった。サヤカが隣でスキップするように歩く。
「いやー、何とかなりましたねー」
「かっこよかったよ。先生にも軽く注意されるだけで済んでよかったし。あの後教室ではどうだった? 何もされてない?」
「問題なかったですよ。まあ少し浮いてはいますけど元から特定の誰かと行動する性格じゃないので今まで通りですね。せんぱいたちのおかげです」
「俺はそんな大したことしてないからな。舞阪さんに伝えて」
「むぅ。またそんなこと言うんですか」
ごつんとサヤカが肩をぶつけてくる。
そのまま密着して頭を預けてきた。
「さ、サヤカちゃん。近いよ」
「いひひ、せんぱい顔赤いです。可愛い」
「う……サヤカちゃんだって耳まで赤いじゃん」
「はい。真っ赤です。熱くてドキドキしちゃってます」
サヤカハぎゅっと腕にしがみつき、
「せんぱいのせいですよぉー」
耳元で囁く。自分で言って恥ずかしくなったのか、サヤカは腕から離れるとツインテールで顔を隠してしまった。ちらちら見てくるのが可愛らしい。
空の脳裏には放送の時の告白が浮かぶ。あれを聞かなかったことにはできない。本気の想いには本気で向き合うべきだろう。なんと答えるべきか、自分の気持ちに今一度向き合う。
「ふふっ、せんぱい困らせるの楽しい。どこか寄るところあるんですよね?」
「ん、ああそうだった。大事な用があったんだ」
「連れてってください。答えは、待ってますよ」
空は出した答えを胸にしまい、サヤカを連れて数分歩いた。
サヤカが本当の意味で前を向くために必要な場所。向かった先は病院だ。
「せんぱい、ここ……」
「弟さんに聞いたんだ。サヤカちゃん、最近お母さんに会ってないんじゃないの?」
小学生にしては帰る時間が遅いと思って聞いてみたら、母のお見舞いに行っていると教えてくれた。サヤカは学校が終わるとすぐにバイトに行くから、そうではないかと思ったのだ。
「ママ……」
「行くよ、サヤカちゃん」
「あっ……」
サヤカの手を引いて病院に入る。母のいる病室を訪れると、サヤカによく似た美しい女性が窓の外を寂しそうに眺めていた。その顔が、一瞬で晴れる。
「サヤカ!」
体は丈夫ではないが、命にかかわるような病気ではないらしい。
慈愛に満ちた母親の笑顔で両手を開き、サヤカを迎える構えをする。
サヤカは目に涙を浮かべ、
「ママぁぁぁ!」
胸に思いっきり飛び込んだ。弟や妹には見せない子どものような顔で甘える。どうやらサヤカは月に一度ぐらいしか母に会いに来ないらしい。母の分も自分が働いて、弟や妹にかかるお金を稼いでいるのだ。長女として、自分にやれることを考えて出した答えらしい。
立派な事だが、もっと大事で望まれていることがこの家族にはあった。
「あら、サヤカまた胸大きくなった?」
「く、くすぐったいよママ。ちょびちょびしないで」
「ふふっ、サヤカ可愛いからつい。でも、もっとおしゃれして可愛くなって、パパみたいな良い男捕まえるのよ」
「ぅ、うん……」
母はサヤカの髪を手でとかしながら続ける。
「ごめんね、サヤカ。ママがこんなで」
「違うよ! ママは悪くないよ!」
「ありがと。でもママはね、サヤカにも幸せになってほしいのよ。家のことも大事だけどサヤカも楽しんでいいんだからね」
「へ……?」
「贅沢はできないけど、お金は節約すれば不自由なく暮らせるから。サヤカが大学行く分だって今は奨学金とかしっかりしてるし、働いてお金稼ぐよりママはサヤカに会いたいな」
「ママ……ごめんなさい。サヤカ、ママに心配かけたくなくて」
「だったらもっと顔見せて。ママも今まで言い出せなくてごめんね。ママやあの子たちのこと思ってサヤカが頑張ってるから、やめてなんて言えなくて。でも、もういいのよ」
そう言って、もう一度サヤカをぎゅっと抱きしめる。
サヤカの瞼からみるみる涙が零れ、やがて声を上げて泣いた。
でもそれは昨日の辛くて流す涙じゃない。
天気雨みたいな顔で、サヤカは笑っていた。
空は親子の光景を写真に収め、一足先に病院を出た。
十分ほど外で待っているとサヤカが戻って来た。
「お待たせしました。せんぱい、ありがとうございます」
「サヤカちゃん頑張りすぎて壊れちゃわないか心配だったからね。これからは自分のために頑張ってもいいと思うよ。疲れたら休憩してもいいんだ」
「はいっ」
「バイトはもう辞めるの?」
「んー、お小遣いは欲しいのでシフトを減らそうかなーって思ってます。なので学校には内緒ですよ。せんぱいもサヤカのメイド服見たいですよね?」
「……まー、似合ってるのは事実だね。言わないから安心して」
想像してしまって熱くなる。
するとサヤカが飛びついてきた。
「えへへ、せーんぱいっ」
「うおっと、急にくっつかないで」
「急じゃなかったらいいんですか? せんぱい嬉しんだぁ」
右腕をがっつりホールドされて、胸のぷにぷにを押し付けてくる。
「んぅ……ミホせんぱいとヒナせんぱいでは、味わえないですもんねっ? 放送で勝ち負けじゃないって言いましたけど、恋愛は別ですよ。サヤカの言ってる意味、わかりますよね?」
顔を真っ赤にしながら精一杯強がるサヤカ。
──せんぱい大好きです! 付き合ってください!
あのセリフがさっきからずっと脳内で再生される。
「勘違いじゃないですよ? あのせんぱいは、ソラせんぱいって意味ですから。逃げても無駄ですからね。サヤカ、こんなに恥ずかしいのに頑張って言ったから、ちゃんとご褒美に聞かせてください。覚悟は、出来てますから」
サヤカは空の腕を離し、てけてけと前に出る。
振り返ると、風に揺れるスカートを抑えながら覗き込むように、
「せんぱい大好きです。サヤカを、せんぱいだけの特別にしてください!」
「……ごめんね」
空は短く一言。サヤカから逃げず、水晶みたいな碧色の瞳をじっと見つめた。
サヤカは一瞬くしゃっと顔を歪め、爽やかに微笑む。
「そうですか。残念です」
「ごめんね、サヤカちゃん」
「いいんです。正直分かってましたから。大好きな人だから見てれば分かりますよ。でも言えてスッキリしました。後悔してないです」
「……」
断るのも心が痛かった。自分なんかには勿体ないくらい素敵なサヤカが好きだと言ってくれて嬉しい。でも、空もまたこの決断に後悔していない。本気で向き合った末の結果だ。
「せんぱい」
「ん?」
「代わりに一つお願い聞いてくれますか? お願いっていうか命令です」
「ど、どうしたの? 俺に報復しようってこと?」
「あー、それもいいですけどね。サヤカ傷ついちゃったし」
サヤカはいつもの後輩に戻り、先輩をからかう。
いや、少し違った。サヤカはもじもじしながら上目遣いで、
「おにぃちゃん……って呼んでもいいですか?」
「……………………ぇ?」
理解が全く追いつかなかった。言葉の意味は分かっていても、なぜそれを口にしたのか分からない。おにぃちゃん。お兄ちゃん。おにいちゃん。オニイチャン?
「サヤカちゃん、ごめんそんなに傷つけちゃったのか。病院に行って診てもらおう」
「違いますよぉ! サヤカは本気です。せんぱいにおにぃちゃんになって欲しいんです!」
どうやら冗談ではないらしい。
「サヤカ、お世話ばっかりして我慢してたので……まあそれは自己満足だったって分かりましたけど。でもずっと誰かに甘えたかったんです。せんぱいはサヤカの仕事も嬉しそうに引き受けてくれてたしサヤカの面倒見るの好きなお人好しだしサヤカを妹にしたいですよね?」
「別にそんなつもりはなかったけど!?」
「でもこのままだと振って泣かせた後輩ですよ。気まずくないですか?」
「言い方……まあ、そんなに呼びたいならいいけど」
「はいっ、おにぃちゃん!」
「……!」
思った以上に破壊力がやばかった。
「やっぱ無しで」
「もうだめですよぉ、おにぃちゃん。おにぃちゃん、おにぃちゃん! いひひっ」
「俺を困らせようとしてるだけでしょ。……学校では絶対呼ばないでね」
「善処します。おにぃちゃんっ」
「はぁ、絶対面白がってるよね?」
空はため息を吐き、サヤカは「おにぃちゃん」と連呼する。
今後も振り回されそうだが、ひとまずサヤカに笑顔が戻ってよかった。
学校の誰もが羨み、妬み、あるいは尊敬している少女──菊川サヤカ。サヤカはこの日、大好きな家族と再度向き合い、初恋と失恋を乗り超え、ようやく本物の特別になったのだ。
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