第10話 ただの幼馴染

 図書室を閉めて鍵を返した空は、どちらが言い出すわけでもなく流れで海帆と帰った。


 空は歩きで、海帆も自転車を押しながら並んで歩く。車通りの少ない薄暗い夜道だが特にイベントは発生せず、適度に会話をしているとあっという間に海帆の家に着いた。


「送ってくれてありがとね」

「ん。じゃあまた」


 送り届けると空も自宅を目指す。少し遠回りになったがいい運動になっただろう。

 鍵を開けて家に入る。家の中は真っ暗で、乱雑に靴を脱ぐと明かりをつけてリビングへ。


「腹減ったなぁー……あ!?」


 リビングの光景を見て空は手にしていたバックを床に落とした。

 鼻をすすり、しくしくと泣いている黒髪ボブの女の子が座っていた。


「ひ、比奈!? 電気もつけずに何してるの!?」


 慌てて比奈に駆け寄ると、比奈は真っ赤に腫れた目で睨み、突き飛ばしてきた。


「っと、何するの。てかこの部屋暑くない? エアコン付けていいんだよ」


 比奈は夏でも冬でも長袖を着て肌を隠している。下はショートパンツだがニーソックスを履いていて、見ているこっちが暑くなる。


 リモコンを操作して24度の強風に設定すると、怒っている比奈の様子を窺った。


「ほんとにどうしたの? 不満があるなら聞かせてくれない?」


 いつもなら笑顔で出迎えてくれる。こんなことは初めてだ。


「わ、私なんて……ぐすんっ、どうでも、いいんでしょ」

「そんなわけないって。俺なにかしたかな?」

「……遅いよ。……何してたの」

「ん?」


 時計は20時を指している。部活がある日は今までもこの時間だ。学校生活を優先してほしいと比奈に言われたから、友達と寄り道して拗ねることはあったが怒りはしなかった。


「部活……もう無いって言ったから、お疲れ様ってしたかったのに……連絡、したのに……」


 テーブルの上には唐揚げ、ハンバーグ、シチューなど空の好きな料理が並んでいた。しかしどれも冷めていて、米も固くなり始めている。


 比奈が見せてきたスマホのトーク画面には、一時間前から二分おきに電話をかけた形跡がある。普段は連絡してこないが、痺れを切らして……というところだろう。


「事故にあったのかなって……うぅ、元気でよかったけど……ひっく、私なんて、どうでもいいんだって思って……うぇぇ、そうだよね、学校のみんなといた方が楽しいもんね」

「ごめん、心配してくれてたんだ。でもスマホの電源切れてただけだよ。あと今日は委員会がある日なんだ。歩いて学校まで行ったからいつもより時間かかったの」


 比奈に見えるように電源ボタンを連打して、電池切れを証明する。


「……確かに、GPSも消えてた。私に隠れてこそこそしてるわけじゃなかったんだ」

「え? GPS?」


 比奈がだんだん笑顔を取り戻すも、空は寒気がした。エアコンの温度を2度あげる。


「比奈? GPSって……」

「くーくん、ご飯にしよ。今日はね、頑張って作ったんだよ」

「う、うん。それより……」

「早く手洗ってきて。ちゃんと石鹸で洗わなきゃだめだよ?」

「……はい、わかりました」


 きっと聞き間違いだ。そう思うことにして、空は流しに向かう。

 比奈も料理を温めるために席を立つと、


「くーくん。ほんとに委員会でお仕事して帰って来ただけなの?」

「……そうだよ。ずっと図書室にいた」


 嘘ではない。海帆に協力しているのも仕事みたいなものだろう。やましいことはしてないし隠したいわけでもないが、比奈にこの手の話題をすると我を忘れる。


 だがそんなことを胸中で思えば、変化に敏感な比奈は見逃さない。


「……やっぱり、嘘ついてるんだ」

「わかった比奈。怒らずに聞いて欲しいんだけど──」


 付き合っているわけではないし言う義務も本当は無いが、仲の良い女友達がいることは伝えよう。何をされるか分からないが、隠すより刑罰は軽いはず。と思ったが、


「そんなの聞きたくない」

「ちょっ、比奈近いって」


 比奈は倒れ込むように身体を空に預け、胸の中に顔を埋めた。


「やっぱり、女の臭いがする」


 そう言われて、海帆と密着したことを思い出す。言い逃れできない。


「ぁ、ぇ、……んっと」

「嘘だよ。臭いなんてわかるわけない。でもそうなんだね」


 そこに怒りは無く、ただただ寂しそうだった。何を言うべきか迷っていると、


「くーくん、ご飯にしよ」


 比奈は自分から離れて、ご飯の支度を始める。


「くーくん優しいしモテちゃうよね。私みたいにチビで胸もまな板で地雷ばっかりの女よりいい子たくさんいるよね。いいもん、知ってるもん」

「……比奈」


 かける言葉が見つからない。相応しい言葉ならいくらでもかけられるが、傷を抉るだけだ。

 空は水を勢いよくだし、比奈は電子レンジを稼働させて沈黙を打ち消す。

 その大して大きくも無い環境音に紛れるように、



「……私なんて、ただの幼馴染だもんね」



 比奈は昔、空に二度告白したが実らなかった。


 ──私は、くーくんの特別じゃない。


 自分は守られる対象で、放っておけない妹みたいなもので、ただの幼馴染で、一方的に依存しているだけだ。人の感情に敏感な比奈は、日常の節々で幾度となく痛感する。


 引きこもって友達も学校生活も失ったのに、本当に欲しいものさえ手に入らない。


 わかっていた。それでも一緒にいたくて、優しくされたくて、依存して……いつまでも飛ばない雛鳥みたいに甘えてしまう。変化が怖い。いつしか自分を捨てて誰かと一緒になるのが怖い。学校では他の女の子と何を話すのか。自分に見せない顔でどう接するのか。


 知りたい。もっとあなたのことが知りたい。

 あなたのすべてを知り尽くしたい。


 自分だけのものにしたい。もっともっと一緒にいたい。

 なんで振り向いてくれないのって、なんで私だけを見てくれないのって叫びたい。


 でも、そんなこと絶対に出来ない。私のことどう思ってるのって聞けない。あなたが好きだよって言えない。聞いて本当の気持ちを知ってしまったら、今の関係も終わってしまう。


 彼は優しいから、きっと困った顔で慰めてくれる。もしかしたら癇癪を起こす自分を優しく抱きしめて、頭を撫でて、偽物の愛を囁いてくれるかもしれない。


 そしたら自分は、可哀想な負けヒロインになる。

 そんなのは、嫌だ──


「くーくん、召し上がれ」

「いただきます。本当にいつもありがとね」

「いいの。私が好きでやってるから」


 この時間が好きだ。ずっとずっと続けたい。

 でも、もうすぐ終わる。いや、終わらせなければならない。

 三月になって卒業して大学に行って大人になって……いつまでも今は続かない。


 だから自分が巣立って、自分に自信を持てたら、この愛をもう一度伝える。ただ守られるだけの幼馴染じゃない。一人の女の子として見てもらう。


 他の特別なヒロインたちに奪われたくない。自分だって特別になりたいんだ。


「くーくん」

「ん? どうした?」

「大好き」

「ゲホッ、ゴボヘェ!」


 ──ああ、やっぱりまだだめなんだ。

 でもいつか、絶対手に入れる。


「唐揚げ大好きだよね? いっぱい食べてね」

「ぅ、うん。美味しいよ」

「えへへ、くーくん食べてるの可愛い」

「どうしたの急に」

「んーん。……あ、ご飯の中にお薬混ぜるの忘れてた。媚薬とか、睡眠薬とか……麻酔でピリピリさせるのもいいね」

「比奈やっぱりすごい怒ってる?」

「べつにぃ。すっごくご機嫌だよ」

「怖いな……今日は高いプリンが入ってるからあとで食べよ」

「やったぁ! プリン食べる!」


 顔も知らない相手だけど負けない。

 比奈は内に秘める闘志を燃やし、進化を始めた。

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