01-13

 俺とヴァレーが夢魔ナイトメアを倒して、二日が経とうとしていた。


 

 俺は特にやることもないくせ深夜まで夜更かしをして、昼頃にようやく目を覚ます。

 

 知っているはずの部屋であるはずなのに、見上げる天井は真新しかった。ダウンプア暗黒街の中央区、雑多に積み重なった集合住宅の4階、404号室。それが過去の──そして今の俺の部屋だ。

 


 ……まぁ、5年前は集合住宅だったその建物も、今はとっくに改装されている。なぜか丁寧に保存されていた俺の404号室を除いて、他の貸し部屋は綺麗さっぱり消え失せていた。

 

 ちなみに下は肉屋、上は歯医者、どちらも管理者はヴァレーだ。というかこのあたり中央区の建物一帯、ヴァレーが所有しているエリアらしい。

 俺に権利を譲りたいなどと妄言を吐いていたので丁重にお断りした。俺に土地の管理なんてできるものかよ。


 そして俺の404号室も、かつてのぼろさはどこへやら。

 ワックスでぴかぴかに磨かれた真新しい木造と、背の高いふかふかのベッド、お高そうな装飾で彩られた一面の壁……正直あまり帰ってきたような気はしないけど、まぁ居心地はいいので良しとしている。まぁ元々、懐かしさなんてちっとも求めちゃいないし。


 

「あっ、おはようございますシュガー様! お水、ご用意しましょうか?」


 ……ただそれとは別に、困ったこともある。

 それが俺の部屋に棲みついた女たちの存在だ。


 実際には棲みついたというか、ただ部屋に遊びに来てくれているだけなのだが……1日の滞在時間が18時間を超えている時点で、ほぼ棲んでいると同義だろう。


「はい、どうぞ」


 俺が渋々頷けば、ヴァレーは犬のような尖った歯を見せ、明るく笑う。

 

 俺が上体を起こしたベッドの上に、彼女は同じように這い上がってみせると、手に持ったコップを俺に差し出した。まぁ、喉は渇いていたし……ありがたく受け取る。


「……おはようございます、シュガー様」


 そしてもうひとり──同じベッドの淵に腰かけ、じっとこちらを見つめる無口な女。

 彼女はゴーストと呼ばれている管理者の一人だった。ゴーストもまたこの二日間、ヴァレーと同じように俺の部屋に入り浸っている。

 

 ヴァレーは犬のように分かりやすく俺になついてくれているが、対してゴーストは猫だ。

 ゴーストはいつも気まぐれに部屋のどこかに腰を落ち着け、じっとこちらを眺めている。たまに俺の近くへと寄ってきて、全く盛り上がらない会話をひと言ふた言かわす程度だが……まぁ嫌われてはいないのだと思う。



 ……しかし彼女たち、距離が近い《・・・・・》。


 

 本人たちが意識していないだろう中で、俺から言い出すことなど出来ないけど……肌と肌が触れ合う距離が当たり前なのは、ちょっとどうかと思う。俺には荷が重い。


 ゆっくりと、時間をかけて水を飲み干した俺を、左右から見つめるヴァレーとゴースト。

 ヴァレーは甘えるように俺の右肩に顎を乗せて、気づけばゴーストも俺の左側にぴったりと寄り添っていた。両腕に感じる女の柔らかさと温度に、俺は沈黙した。


 

「ねえシュガー様、今日は何をします?」


 特に何もしないよ。


「……トランプ遊び、しますか?」


 それもしないよ。

 昨日お前にボコボコにされたから。


「じゃあ……えっちなこと、しますか?」


「……しましょうか?」


 …………。しないよ。

 少年をからかうな、悪い女共め。

 

 からかわれていると、コミュりょく皆無の俺でもわかる。

 それか騙されているのかもしれない。下手に手を出したらルイヴィッチやミズリのような怖いお兄さんが出てきて、俺がコツコツ貯めたお金をむしり取っていくんだ。俺を無知だと思うなよ。


 

「もうちょっとのんびりしたら、お食事をお持ちしますね」


「……何か、食べたいもの……ありますか?」


 ……全く、彼女らの厄介なところは、ふたりともちゃんとかわいい・・・・ってところだ。ヴァレーは当然だけど、ゴーストも長い前髪で分かりにくいが顔立ちはとても整っている。儚げな美人って感じだ。

 それに体格。ふたりとも年齢は俺と同じか、いくつか上か……まだ少女と呼んで差し支えない年であるはずなのに、思いのほか肉付きが良く、成熟している。そのアンバランスさが結構ヤバい・・・



 とはいえ、贅沢な暮らしだった。

 好きなときに寝て、好きなときに起きて、目を覚ませば食べたいものを作ってもらえる──それだけでどれだけ幸せか。それはかつての貧しいスラムでも、節制を極めたような神殿でも得られなかった生活だ。


 俺は今、満たされていた。



「…………た、まご……」


「はい? 卵?」


「……それと、ベーコン……白いパンと……バター、のひと欠片かけら……」


 ああ、声が出ない。恥ずかしい。

 ただでさえ使っていなかった俺の喉は、1週間以上の引きこもり生活を経て死んでしまったようだ……いや、実際にはフィジカルよりメンタル的な問題だと思うけど。

 

 こんなにも近い距離で、俺に好意を向けてくれている人と話すのは、生まれてこの方初めてだった。ヴィヴィ神殿長相手でさえ、1か月に1度話せればいい方だったからなぁ。


 情けない声のリクエストに、ヴァレーとゴーストは顔を見合わせる。


「……それだけで、良いんですか?」


「慎ましいですねえ、シュガー様。もっと欲張りさんになってくださいよう」


 おい、笑うな。

 人が必死に絞り出した言葉を何だと思っているんだ。

 

 左右からのくすくす笑いに、俺はやはり彼女たちとの住む世界の違いを思い知った。ろくなコミュニケーションができない人間の気持ちなんて、彼女たちには一生理解できないんだ。

 俺は心を閉ざした。この岩戸が開け放たれることは、もう二度とないだろう。


 

 1時間後、作ってもらった焼きたてのベーコンエッグサンドを、俺たち3人はおいしく頂いた。

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