01-09


「……どう思った、ミズリ?」


「どう、とは」


「大体分かるだろ、俺が言いたいことくらい……まさか、シュガー様があんな子供だったとはなぁ」


 ヴァレーとシュガーの消えた集会所。3人の支配者は未だそこに残っていた。

 

 花街の管理者ルイヴィッチ、賭博の管理者ゴースト、そして魔術の管理者ミズリ。

 ゴーストはただシュガーの消えた集会所の入り口をぼうっと見つめ、一方でルイヴィットとミズリはテーブル越しに向かい合う。


「いや、分かってるさ。子供だろうが何だろうが、シュガー様が俺らの救世主だってことには変わりねえ……いや、むしろ俺ァ思ったね。シュガー様の描く未来を、もっとこの目で見てみたいってな」


 真ん中で分けた白い髪を、ルイヴィッチは乱雑にかき分ける。その目にかがやく感情は、未だ憧憬・・だ。かつて憧れた姿も知らぬ救世主……それを今日、この目ではじめて見て、少年のように心の高鳴りを抑えきれていない自分の感情をルイヴィッチは自覚していた。


 背が高いわけでも低いわけでもない。細身ながら、しかし無駄なく鎧のように仕上げられた全身の筋肉。

 ほとんどの人間は、その強さを感じ取ることができないだろうが──彼ら支配者たちは、歴戦の殺し屋を思わせるシュガーの隙のなさに気付いていた。

 

 それに、光のない、死んだような漆黒──すべてを見透かしたような、あの無機質な瞳。

 それに射抜かれているだけで分かる。この少年に嘘をついちゃあいけない。きっと彼の前では、何の嘘も誤魔化しも通用しないんだって。


 

 もう良い歳だっていうのに、ルイヴィッチは思う。

 

 彼に付き従っていたい。

 彼の未来を見届けたい。

 金も名誉も女も、すべて手に入れた自分が、未だそんな子供じみた欲求をたぎらせている。



 一方で、魔術師ミズリもまた、頷いた。


「シュガー様の正体を、私は詮索するつもりはない。あの方はそれを嫌うだろう。だが、あの魔力……神殿のそれとも少し違う、神々しく、しかし妖しい魔力……」


 心酔。まさしく酔っていた。

 かつて異国で祈祷師シャーマンをしていた彼は、精霊や悪魔との交信を担っていた。ゆえに他者の魔力に対しての感受性が非常に高い。ミズリは閉じた瞳でシュガーから感じ取った魔力の性質を思い返して、そして頷く。


「……この身を奉ずるにふさわしい、私の王だ」


 結論は、ルイヴィッチと変わらない。



「ところで」


 と、女が言う。

 賭博の管理者ゴースト。長い前髪の向こうで、よく見れば幼いその顔は、未だ潤んだ目でじっとシュガーの消えた方向を名残惜しそうに追っている。


夢魔ナイトメアって……強いの?」


「……ええ、強いですよ。分類としては上級悪魔グレーターデーモンですからね。悪魔らしい闇の魔術に、夢を喰らう自己強化……何より厄介なのは、憑依・・です」


「憑依……?」


 ミズリは頷く。

 

上級悪魔グレーターデーモンが共通して持つ、最悪の力……触れた相手の精神を殺し・・・・・そこに成り変わる、つまり肉体を永久に乗っ取る力です。ですから、悪魔には絶対に接触しては・・・・・いけません」

 

 ただし、とミズリは言う。


「私が見た限り、シュガー様は私などでは到底及ばぬ歴戦の魔術師……それくらいは分かっているはずですよ」




 …………

 ………

 ……

 …




 ──悪魔には触れちゃ・・・・・・・・いけない・・・・

 これでも俺は神殿で修行をさせられていた身、その程度の基本知識は知っている。



 ただ正直……目の前で繰り広げられる戦いは、俺がそんな助言をして良いレベルではなかった。



 ヴァレーの放った100を超えるナイフは、複雑怪奇に飛び交った。

 それはときに夢魔ナイトメアの身体をつらぬき、ときにナイフ同士がぶつかり合って軌道を変える。あるいはヴァレーは、ナイフを足場にすることで高く飛び、触れられるギリギリでその身体を飛び退かせた。

 

 本来なら実態を持たないはずの悪魔が、切り裂かれるたびにその身体を縮ませていく。多分、何らかの魔術加工エンチャントがされたナイフだ。


「お客様がたくさんいるっていうのは、やっぱり気を遣いますね……ッ!」


「──ッ!?」


 その攻撃は、一方的。

 迅雷のごときスピードで戦場を跳ね回るヴァレーに、夢魔ナイトメアは追いつけない。一方、四方八方から雨のように飛び交うナイフは夢魔ナイトメアを串刺しにし、ただ眠っている客たちには掠める様子もなかった。


 偶然? そんなわけない。

 

 ヴァレーが意図して、そう操っているのだ。

 100を超えるナイフの軌道を把握し、その上で敵と味方をきっちり区別している。自分に有利なフィールドを構築する。

 

 それは計算というよりセンスだろう。化け物じみた空間把握能力、脳内での物理シミュレーション、何よりも思い描いた光景をそのまま形にして見せる──それが可能なだけの自在に肉体を操るセンス・・・・・・・・・・・


 まごうことなき天賦の才だ。



 ……あれ?

 この子、なんか……勇者さんより強くない・・・・・・・・・・


 

「…………」


 ……いや、だからさぁ。

 ルイヴィッチも、ゴーストも、ミズリも、そしてこのヴァレーも……なんでこんな化け物たち・・・・・が、俺をシュガー様だなんて慕ってくれるんだ?


 俺が少しだけ情けなく思った、そのときだった。


 

「──繝峨Μ繝シ繝?繝ゥ繝ウ繝ッ!」


 戦況は変わる。

 夢魔ナイトメアには、ヴァレーの攻撃を躱すだけのスピードはない──そのはずだった。しかし悪魔がおどろおどろしく咆哮したその瞬間、四方から飛来したナイフを、夢魔ナイトメアは躱して見せる。


「……ッ! へえ……動きが、変わりましたね!」


 突如、夢魔ナイトメアのスピードが増す。

 おそらく力も増している。最初よりも小さくなったその影の身体は、そのとき煙のようにぶわりと吹き上がるとヴァレーへと迫った。


 触れられてはいけない。

 俺が咄嗟に声をあげる前に、それを知ってか知らずか、ヴァレーはその場を飛び退く。さらに夢魔ナイトメアへとナイフを放ち、牽制をかけると同時にナイフを足場にしてとんとんと高い位置へと登っていく。

 

 接近させず、意地でも一方的な攻勢を保とうとするその姿勢は、夢魔ナイトメアに対しては最も有効だ。


「あなたに近付かれると……なんだか、嫌な予感がするんですよねえ……!」


 ……上級悪魔の特性は、どうやら知らないらしい。だとしたら本当に天性の勘なのか。俺にはピンと来ないけど……戦いの才能っていうのは、こういうものなのかもしれない。

 


 だが同時に、俺は気付く。



 それは、倒れた娼婦や客人たちの身体から、もくもくと煙のように昇る黒いモヤだ。モヤは夢魔ナイトメアの身体へと吸い込まれ、その身体を修復しようとしている。


 これはアレだ。

 ミズリの言っていた、アレだ。

 


 ──夢を喰らう自己強化。

 俺には分かった。あの悪魔は、ここにいるすべての者の夢を喰らって、その力を増している。



「…………助け、られるか……」

 

 一週間ぶりに、俺は呟く。

 声を出すのが本当に久しぶりで、音はがらがらに掠れきっていた。けれど、このままじゃあ良くないと思ったのだ。


 悪魔に夢を喰われた者の末路を俺は知らない。もしかしたら何もないのかもしれないけど、もしかしたら酷い目に合うのかもしれない。


 

 それに、ヴァレー。

 今は悠々と攻撃を躱しているが、それでも何かの間違いで、捕まってしまうこともあるかもしれない。そうしたら……この子は酷い目に合うかもしれない。



 俺はスラム育ちで、盗みの腕しか取り柄のないクズだけど……助けたいと思ったやつは、助けてようとして良いんだって……偽善だろうが、それで良いんだって、それだけを神殿で学んだんだ。


 だから俺は、魔術を使った。


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