01-08


 ……結局、俺は一言も喋らないまま、全員の自己紹介が終わった。

 いきなり街のトップ4人に引き合わされるとは思わなかったが、幸いなことに悪感情を向けられている感じではない……というか妙に歓迎されている。まぁ追い出されるよりは良いだろう。人には恩を売っておくものだ。

 


 そのときだった。

 大きな音を立てて、誰かが集会所に駆け込んでくる。


「す、すみませんルイヴィッチさん……ッ! だ、大事なお話が……ッ!」


「……あ゛?」


 えっ、こわぁ。

 今のドスの聞いた声、ヴァレーか? 隣を見ると、明らかに不機嫌そうなヴァレーの姿がある。一方お呼び出しのルイヴィッチはと言えば、こつこつと、ゆるやかな足取りで駆け込んできた男に近寄ると──


「ぐ、えッ!?」


 ──男の頭を、蹴り飛ばした。


「……俺ァこれから、大事な用がある。この5年、ずっと待ち続けた大事な用だ。この街を今日まで築き上げた長い長い時間の中で、一番、大事な用だって……俺ァ、ちゃんと言ったよな? ん?」


 美しくコメカミにヒットする踵──つまり回し蹴り。倒れた男の顔を、さらにルイヴィッチはその革靴で踏みつけた。鼻の骨が折れたような嫌な音とともに、だくだくと血が流れる。いや、痛い痛い。超痛いってそれ。案の定、男は叫び、バタバタと足をばたつかせた。


 メンタル的にはヴァレー、フィジカル的にはミズリが一番怖いかなぁなんて思っていたが……やっぱり全員怖い。そりゃあそうだ、こんな無法地帯を仕切ってる4人だ。怖くないやつがいるわけもなかった。



 ……やがて、ルイヴィッチは男から足を退ける。

 むせ込む男を無機質に見下しながら、やがてルイヴィッチは大きくため息を吐いた。


「……まぁいい、それで? 俺の言いつけを破ってまでここに来たってことは、それだけ大事な用なんだよな?」


「は、はいッ! 実は……マザーモスカ逢花街おうかがい第十三層で、魔物が発生しています……ッ!」


「……は? 魔物?」


 ……こんな街の中で?

 誰もが同じことを思った。ルイヴィッチも、それに伝えに来た男も、きっとそう思っていた。普通なら市街で魔物が発生するなど有り得ないことだ。

 

 だが、男は続ける。


「み、見たことのない魔物です! まるで黒い影のような……立ち向かった者は、皆が眠らされてしまって……」


「黒い影、それに眠りの魔術……もしかすると、夢魔ナイトメアの類いかもしれません」


 そう提言するのは黒き筋肉の化身、ミズリだ。


「ミズリ、そいつはどういう魔物なんだ?」


「悪魔の一種で、通常は夢の中に出現しますが、稀に現世に現れることもあるようです。夢魔ナイトメアはサキュバスやインキュバスなど特定魔族の祖ともされる魔物で、花街など欲の強い場所には顕現しやすいのかもしれません。それから人の夢を喰らって自己強化する性質も散見されます」

 

 さすがインテリ魔術担当。そんなナリして、よくもすらすらと豆知識が出てくるものである。俺も神殿では一通り魔物について学んだはずなのだが、右から左へ流れていくものだから何も覚えていない。


「……ふうん。まぁ相手がどうであれ、荒事なら俺が出る幕はねえな。すまないヴァレー、頼めるか」


「はいはい、分かりましたよう」


 そう言って、ヴァレーはこきりと首を鳴らした。縄のような長い三つ編みがふらりと揺れる。

 

 あれ? この子、ひとりで行く感じ?

 他のやつらは誰も着いていく気配がない。


 たったひとりで集会所を出たヴァレーを──俺は、追いかけた。


「……シュガー様?」


 俺も一緒に戦う……とは、言えなかった。

 強い魔物相手の戦いについていける気がしないし、そもそも戦いなんかしたくない。こんなだから勇者団を追放になったわけだけど……それでも、だから女の子ひとりを戦場に向かわせて良いのかと自分に問えば、それは違う。


 まぁ、この子がきっと俺なんかよりずっと強いことくらい、分かってるんだけどさ。


「ありがとうございます、シュガー様……とっても心強いです! 行きましょう!」


 あれ? なんか一緒に戦うみたいになってない?

 けれど、何だか懐かしい。実のところ、勇者団が結成される少し前……この世界にやってきたばかりの勇者と同じような冒険をしたことがある。


 勇者の最初の冒険に、俺はヴィヴィ神殿長と一緒に回復役としてついていって……まぁ、そのときもろくに戦いはしなかったけど。

 

 

 まぁともあれ……ヴァレーは走り、俺はそれを追いかけた。

 ヴァレーはとんでもなく速かった。建物の上に、また別の建物が積み上げられている──そんな異様な街並みを、彼女は飛び跳ねるように駆け上がっていく。錆びたトタンの屋根を踏み越え、壁を這う無数の排気管を足場に跳ね回る。


 そして、俺もそれを追いかける。


 俺はこれでも、足にだけは自身があった。元よりこの街で暮らしていたのだ。かつてデッカい盗賊団から砂糖を丸ごと全部盗み出して逃げ切った腕は、伊達じゃない。


 

 ……まぁしかし、どこもかしこも知らない街だった。俺の知っているスラムの思い出はもうどこにもなくて、やがて俺たちは件のマザーモスカ逢花街おうかがいとやらに辿り着く。


 マザーモスカ逢花街おうかがい。この違法建築の塊のような街で、おそらく一番背の高い区画。今回のトラブルは、その第十三層にあるという。相変わらずヴァレーは階段を使わず、壁面から一気にそれを駆け上がっていく。

 


 ああ、しんどい。あと怖い。

 この高さはさすがに落下したら死ぬんじゃないか。


 俺がそれを必死で追いかけ、ようやく第十三層に顔を出すと──そこでは、ヴァレーと黒い影のような魔物が対峙していた。


 そこら中で倒れ、眠っている娼婦たちに客人たち。黒い影の魔物は不定形で、だが高い天井まで頭が届く程度には巨大に見える。



 そしてヴァレーは、コートの中からナイフを抜いた。

 


 そのナイフは奇妙な形をしていた……というか奇妙なほどに連なっていた・・・・・・。医療用のメスを思わせる細身のナイフが、100も200も、一本の糸にぶら下げられてネックレスのようにきらきらと輝く。それをヴァレーは両手で大きく広げて見せると──


「見ててくださいシュガー様……私、あなたの役に立ちたくて、とっても強くなったんですから!」


 ──糸を振り抜き、ナイフを夢魔ナイトメアへと向けて一斉に解き放った。

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