01-06
「ダウンプア市街の怪人……シュガーマン、ですか」
──時は
王国の神殿長ヴィヴィ・フレーベルは、はじめて聞いた名前に首をかしげた。
ダウンプア市街とは、王国の国境近くに位置する旧市街だ。
立地上、外国との交流や商業が盛んで……ただし一方では国一番の巨大なスラム街が存在することが社会問題となっている。
「ええ。シュガーマンという何某かは、例のスラム街を拠点としているようで……」
「その方は、そんなに有名なお人なのですか?」
「ダウンプアに送り込んだ密偵が言うにはそのようです。今やスラム街は、シュガーマンの話題で持ちきりだとか……まるで救世主のような扱いですよ」
「……救世主、ですか」
ヴィヴィは世間に明るくない。
基本的には神殿に籠り、信心深く祈祷を続ける日々。こういう情報収集では、部下の神官たちを頼りにしてきた。
だからヴィヴィは、ダウンプア市街で起こっているその異変についても何も知らなかった。
「実のところ、シュガーマンがあの街で一体何をしているのか、それを知っているものは誰もいないんです」
「……では、どうして救世主などという話に?」
「それについてはまだ調査不足です。ですが、ヴィヴィ神殿長は、現在ダウンプア市街で囁かれている噂についてはご存じでしょうか」
「いえ、お恥ずかしながら……何か、異変が起こっているんですか?」
ヴィヴィの疑問に、神官は頷く。
「ただの噂ですが……貴族たちに妙な動きがあると聞いています。なぜか貿易のルートを大きく変えたとか、例のスラム街と怪しげな取引をしているとか……もっと悪い噂では、
「……まさか。あの街の領主様、ザミエル卿は聡明な人物です。そんなことするはずがありません」
……ただ、それでも。
貴族たちの悪い噂と、スラム街を持ち切りにするような救世主、怪人シュガーの一件。それらを合わせて、神官たちがあの街を疑うのも無理はない。
そして何より、神官は次に続けた。
「シュガーマンという人物の手掛かりがひとつだけあります。それが、彼の
「名前、ですか……シュガーマンというのは、おそらく偽名ですわよね?」
「ええ。ふざけた名前ですが、どうも本人が名乗り始めた名前ではないみたいです。彼は砂糖を売る、だからシュガーマン。ですが私たちが思うに、この砂糖というのは………」
「……まさか、
「その可能性が高いのではないかと」
ヴィヴィは息を呑んだ。
もしあの街の貴族が薬物の魅力にとり憑かれ、薬の売人に弱みを握られてしまったのだとしたら……それは由々しき事態だ。
神殿の仕事は、第一に神官の育成だ。各地から聖属性魔力の持ち主──つまり回復魔術の素養を持つ人間を集め、医療人として育てる。国の衛生を支える重要な役割だ。
そしてもうひとつ、第二に大切な任務がある。
それが王国内の自浄──つまり、貴族たちの汚職の追求である。
神殿という中立な立場から、貴族の汚職を摘発し、浄化する。ときには荒事になることも多いが、神殿ではそのために、神殿騎士と呼ばれる優れた戦士たちが多く備えていた。
「たしか、あの街の貴族といえば、領主のザミエル卿、貿易の取締役ミッド卿、それから……」
「ええ。以前の戦争で武勲を得た新興貴族、ロアドル卿です」
「彼らが皆、シュガーの影響下にあったとしたら──」
──そんなの、考えたくもない。
場合によっては、これまでに類を見ない規模の内戦になる。
けれど、そんなヴィヴィたちの予想を裏付けるように、その知らせはやってきた。
「神殿長、あれは……」
「……ええ、私宛ての鳩ですわ」
ヴィヴィは従魔の扱いにも長ける。
調教された小さな鳥型の魔物はヴィヴィの肩へと降り立ち、彼女に手紙を渡した。
「……まさか、本当に」
「ヴィヴィ様、どのような内容で?」
手紙を紐解き、はっと黙したヴィヴィに、神官は尋ねる。
そしてヴィヴィは、覚悟を決めたように顔を上げた。
「……国からです。ダウンプア市街に不穏あり。神殿で調査を試み、すぐにしかるべき対処するべし、と」
それは5年前、まだ出会っていなかったシュガーとヴィヴィのワンシーン。だがこの事件が、過去、そして未来、すべてのきっかけとなるターニングポイントだった。
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