01-04


 結局、俺は少し考えて、かつていた街へと戻ってきていた。


 勇者団を抜け、選択肢はいろいろとあった。

 神殿に戻ってヴィヴィ神殿長の元でまた修行を積むのも良かっただろう。冒険者となって今後はフリーでやっていくという手もあっただろう。


 けれどそうしなかったのは、何となく、今は何もする気分になれなかったからだ。


 元より勇者団の雰囲気は、自分の肌に合っていないとは思っていたが……それ以上に、強い言葉で怒られて、メンタルが凹んでしまったのが大きい。

 2ヶ月は引き摺る、その宣言は過言なんかじゃないのだ。舐めるなよ。


 

 ともあれ、5年ぶりの帰郷だった。

 ヴィヴィからスカウトを受け、神殿に入ってからは一度も帰ってきたことのなかった故郷──スラム街である。


 ……いや、少し嘘。

 スラムに入るのは怖かったので、俺はその近くの安めのお宿で部屋を借りた。この俺が金を払って住む場所を借りるなんて、本当に成長したものだ。


 

 神殿長に拾われ、この街を出て5年経つ。

 時間の流れとは早いもので、自分の変化もそうだがこの街も大きく変化している。宿屋の窓から眺めるスラム街──いや、なんだか昔より大きくなってないか?


 前々からそこそこだった高さのスラム街に、さらに無数の違法建築が積み上がり、もはや砦のような有様だ。何なら街の方に侵蝕してきているようにも見えるし、間違いなくデカくなっている。スラム街が拡大するのって良くないことだと思うけど……。


 

 ……まぁ、そんなこんなで。

 なんと、俺がこの街にやってきて、すでに一週間が経とうとしていた。

 


 この一週間、俺は何もしてない。

 そして同時に思った。この生活、もしかして最高なんじゃないか?


 神殿で修業を積むより、勇者団でこき使われるより、よっぽど楽しい。やることがないんじゃあ暇だろう、なんて思うやつもいるだろうけど、それの何が悪いのか。

 最高じゃないか。一日中、窓の外をぼうっと眺めたり、昼寝をしたり、夜中にちょろっと散歩をしたりするだけの生活。これぞ俺の理想だ。


 

 俺は正直、前世のことなんてあんまり覚えていないんだけど……何となく、あの世界の誰もがそんな生活を望んでいたような気がする。

 


 昔に砂糖で儲けた金も余っているし、神殿でもお給金は出ていた。これを節約して使い潰せば、あと10年は遊んで暮らせる気がする。

 いっそ宿を借りるより、適当に安い土地でも買ってしまった方が最終的にはお得かもしれない、なんて最悪な将来設計を始める始末である。



 でも、最高。何もしないって最高だ。

 何より人と会わず、話さなくて良いってのが一番デカい。


 コミュ障にとってはそれが何よりの鬼門である。



 まぁそんなこんなで、俺が何もしない生活を満喫していると、客人が来た。


 俺に客? 友達の一人もいないのに?

 まさか神殿のやつら、もう俺の居場所を嗅ぎつけたのか──そう勘ぐったが、部屋のドアをノックするその誰かに「入るな」と言いのけられる胆力は俺にはなかった。


 ぎい、と無慈悲に扉は開いていく。

 それを俺は、ベッドからもぞりと上体だけを起こし、無気力に眺めていた。


 ……我ながら最悪な出迎えだな。



 だが扉の向こうにいたのは、ヴィヴィでも神殿騎士の誰かでもなかった。

 そこにいたのは、全く知らないひとりの女である。


「ああ、シュガー様! 本当にシュガー様だ! やっぱり帰ってきてたんだね、シュガー様!」


「…………」


 3回言った。3回も俺の名前を呼んだ。

 じゃあ、多分、人違いってわけでもないんだろう。



 でも、この子、マジで誰……?



 まぁ、綺麗な子だ。率直に言うとまずその感想が先に来る。ヴィヴィや勇者もかなりのルックスだが、彼女らと並んでも何ら謙遜ない。

 ぱっちりとして大きな金色の目に、同じくご飯をいっぱい食べてくれそうな大きな口と、犬のように尖った歯。切り揃えた濃い灰色の髪に、縄のように長くて太い、三つ編みの後ろ結び。


 女は金色の目を、にい、と細めて笑う。


 ……どうも俺には美人と出会う才能があるようだ。残念なコミュニケーション能力のせいで、それ以上に進展することはありえないけど。

 


「お邪魔しますね!」


 俺の返事を聞く前に、女は元気良く部屋の中へとやってくる。

 一方、俺は相変わらずベッドの上で、体育座りのように身体を丸めたまま。女はベッドの近くの床にしゃがみ込むと、俺を下から見上げるようにして語り掛ける。


「ええと、シュガー様……起きてます?」


 ……まぁ、目線を合わせようとしてくれているこの女には悪いけど、俺はそれには応じられない。

 人と目を合わせるなんて高度なコミュニケーション、このシュガーにできるわけがないのだ。俺は薄く開けた瞳で、壁をじっと眺め続けていた。


 距離が近い。緊張する。

 ぽそぽそと耳元をくすぐるような少女の声が、気持ち良いようで気持ち悪い。


「もしかして……私のこと、覚えてないですか?」


 ……少し考えて、俺は首を縦に振った。変に知ったかぶるのも失礼だと思った。

 言葉にしようとも思ったが、正直声という声が出る気がしなかった。コミュニケーション能力もそうだが、物理的にも……ここ一週間、俺は本当に一言も声を発していない。


 そろそろ縮んでなくなっているんじゃあないか、俺の声帯。


 むう、と女は唸る。

 そしてばっと立ち上がり、言った。


「ひどいですよう、思い出してくださいよう。私、ヴァレーです。ヴァレー・Vヴィ・ハウス! 5年前、シュガー様の計画・・に噛ませてもらったんです!」

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