第6章 御託


「いやあ、早速上田の力作でお茶を飲んだが、格別美味かった。有り難うな。これからも大切に使わさせて貰うから」

「そうか、使ってくれたか。それは有り難う」

杉山の礼に、笑みを持って返した。すると小倉も追従する。

「俺だって、使ったぞ。いいや、正確に言うと。女房のものになっちまった。帰って自慢したら、『あら、素敵な湯呑みね。有り難う。今日のお土産でしょ。頂くわ』なんて言われ、取られちゃったよ」

「そうかい。それは奥さんに礼を言ってくれ。褒めてくれて有り難うとな」

「上田、悪いが。今度でいいから、俺の分持ってきてくれねえか」

「ああ、いいよ」

「有り難うな、感謝するよ」

満足気に頷き、話題を変えた。

「しかし、この前は溜飲を下げるところだったぜ」

「おお、そう言えば。せっかく気分よく飲んでいたのに、妙な話になっちまったから、危うく肝っ玉冷やすところだった」

「まあ、いいじやねえか。それはそれでよ。なるしかならねえんだ。とにかく、なればなったで何とかなる。それより現実を楽しまなきゃ。先行き短いんだからよ」

上田が楽観的に告げると、

「それにしても、ここんところ、どうもしっくりいかねえよ」

杉山が嘆いた。すると、小倉が啖呵を切る。

「てやんで。またぼやきが始った。飲み始めからこれじゃ、週末の楽しい気分が台無しになっちまう」

何時ものように金曜日の仕事後、居酒屋「黒べえ」にたむろして一週間の憂さ払いに安酒をあおる。明日が休みとなると、気持ちが軽くなり酒が進んでいた。

「まあまあ、聞いてやろうじゃねえか。他で発散できねえ杉山だ。俺らにしか溢せねえんだろ」

上田に制された小倉が、据わりかけた目で反論する。

「てやんで、そんなことあるか。だいいちお前らこそ、その類だろ。だから仕方なくつきやってやってんだ。有り難く思え、感謝しろってんだ!」

この勢いに、杉山のぼやきの出鼻が挫かれた。

話題の肴は、酒飲が進むことで潤滑油のように滑らかになる。夜の帳が降りて、ネオンの輝きが増すと宴が盛り上がり、それに合わせ、更に酒量が増える。店内のざわめきも気にならぬほど、談笑に没入していた。そんな中、小倉が引っかかるのか、神妙な顔でぶり返した。

「それでよ、この前話していた件だけど、俺らのリストラって何時頃言い渡されるんだ。どうも気になってな。何ったって生活がかかっているからよ。俺んとこ、まだ高校に通う娘がいるし、大学にも行かせなきゃならない、まだまだ金がいる。そんな時、職を失ってみろ、お先真っ暗だ」

すると、赤ら顔の杉山がマジ顔で憶測する。

「そうだな、何とも言えねえが。優先順位から言えば一緒になるだろうな。このままずるずると業績が低迷し、回復の見込みが立たなければどこかで見切り、同時並行して仕掛けてくるかもしれん。最悪を想定すれば、夕焼け銀行からせっつかれ、猶予なく直ぐにでも始まるぜ。

五十歳以上の社員については、『自主退職を願う』とかいって、個別に呼ばれ、『……赫々云々。会社存亡の時ゆえ、諸経費を最大限削減せねばならない。そこの事情を理解して、自主的に辞表を出してくれないか』と、肩叩きされるわけだ」

聞き及ぶ小倉が反応した。

「ええっ、それって。やはり古株のリストラか……」

「ああ、そういうことだ」

ずばり言われると、小倉の顔に不安の色が滲んだ。

「本当かよ、参ったな。もしクビになったら、どうにもならないぜ。会社都合の退職で失業保険の支給月数が若干増えたところで、再就職先が決まらなきゃ生活費はおろか、教育費だって出せなくなる、一番金のかかる時にだ。それに、今の収入に見合う再就職先すら、この歳じゃどこにもないぜ」

「まったくだ。俺のところも、やっと子供に金がかからなくなったが、のんびり定年までいようなんて考えること自体、生温いかもしれねえ」

上田が不安視すると、更に小倉がぼやき出した。

「冗談じゃねえよ、まったく。どうしたらいいんだ。業績さえ回復していれば少しは違うと思うけど。そうなりゃ、役職者の受け皿だけですむのによ。それをうちの馬鹿野郎どもが管理職にいるからこうなるんだ。その一番が田林や永田らだぜ。永田なんか能力もねえのに、大阪にいる時、会長に胡麻擦って、それが功を奏し本部入りしたんだ。

そんな奴が営業本部いるなんて、とんでもねえことだ。それも営業推進部長だってよ。何を推進してんだか、訳もなくただ怒鳴り散らすだけで、何の説得力もない支離滅裂だ。それじゃあ業績なんか上がるわけねえ。案の定数字の体たらく、見れば分かるだろ。だいいち、そんなことしていたら、支店長連中が言うこと聞かねえや」

聞いていた上田が、ここぞと口を挟んだ。

「いや、もう、すでにそっぽ向いている。まあ、なかには尻尾振る輩もいるが、大半は表向き従う振りして外面合わせしているだけで、言うことなんか聞くものか。皆やる気が失せていら。それが証拠に、永田の野郎が赴任してから、業績改善どころか悪くなる一方だ。もう一年以上経つが、一向に上向く気配がない。それどころか、奴が営本に入ってから、悪化の一途を辿っている。どう責任を取らせるのか……」

「そりゃ、夕焼け銀行だって困るだろう。少しは良くならなきゃ、連結決算対象として傘下に入れても、結局は足を引っ張る羽目になるだけじゃねえか!」

追従し杉山が卑下して、更にうっぷんをぶちまけた。

「それでなくても、一年前に奴らも公的資金で資本注入されてんだ。金融庁にしろ、あの経済財政・金融担当相の竹山だって、夕焼け銀行に対し相当厳しく指導してんじゃねえの。業績を上げて公的資金の返済をせにゃならん。それも連結グループ全体での業績改善だぜ。それを、うちが足枷になれば、決して許されることではない。

そうだろう、上田。穴山会長だって立場がないんじゃないか。もう二年以上会長職にいるんだ、銀行側からやいのやいのとせっつかれていら。夕焼け銀行とて金融庁から睨まれている。それに本人とて、もう元に戻れる当てなどない、もっと真剣にやって貰わなくっちゃよ。

だいたい、夕焼け銀行の株主が黙っちゃいねえ。もし、機会利益が損なわれ、株主代表訴訟にでも発展したら大変なことになる。これじゃ幹部だって放っておけんぞ。そうならない前に、当然動いてくる」

「まあ、そう言うことだな、だから早まるということだ。夕焼けさんの侵略がよ。いの一番に、永田当りが弾き出されるだろうて。それに責任とって会長の穴山も、お払い箱だ。夕焼けも二年半待って、株価を下げることしかしてねえ。これじゃ、何のために送り込まれたか分からねえじゃねえか」

同調する上田のトーンが高くなった。

「そうだ。あんな阿呆永田を営本に引っ張っるから墓穴を掘るんだ。ものの見事に業績低下させたもんな。あれじゃ、銀行から相当叩かれていると思うよ。穴山にしたって、厳命があったはずだ。それを裏切ったことになる。あと半年もすれば、間違いなくどこかへ追い出されるって。それに連れてきた常務の助川も同罪だな」

「そうだよ、上田の言う通りかもしれん。夕焼けだって、本流から外したい連中がそれなりにいるだろうから、その中からリーダー格、すなわち非主流派弱体化のための要を後任に指名して、うちに送り込んでくるだろうて。それも片道切符のな……。そう言うことだろ、上田?」

杉山が念押しすると、上田が無言で頷いた。

「なるほどな、そういうことか。そんなシナリオがうちを取り巻き、銀行の方で起きているのか……」

感心しつつ小倉も納得した。そこで、二人の顔を見ながら、上田が小声で囁いた。

「とにかく、あと一、二年が見極め時だと思う……」

「そうなると……、難しくて分からねえ。それって、どういうことだ?」

小倉が酒臭い息で疑問を投げた。すると今度は、杉山が冷めたグラスで、テーブルをこつこつ叩きながら口を挟んだ。

「いいか、小倉。今までの話を纏めると、そう言うことになる、そうじゃねえか。つまり、つい最近、優先株にせよヨーハン商会、すなわちうちの増資分を夕焼けが引き受けて、議決権比率で五十パーセント以上で、完全子会社だぞ。連結決算の対象企業だ。このままいって足抜け出来なくなったらどうする。それでなくても金融行政を牛耳る竹山から睨まれているんだ」

聞き入られるところで、更に続けた。

「そこへきて、また不祥事が起きている。総会屋事件や昨年のDM情報紛失事件。トップが交代して襟を正すべく、企業倫理監察協議会設置や情報システムの安全対策強化等を進めてきたが、舌の根も乾かぬうち、またしても顧客情報の漏洩だ。何のための社長交代だ。何のための監察協議会の設置だ。何が安全対策強化だ!

……結果的に、一連の反省行為が生かされるどころか、倫理観の後退で設置そのものが目的になった気がする。要するに場渡りなんだ。真剣に取り組んでねえというか、その場さえ取り繕えばいいという姿勢だ。根本的な欠陥だね」

「そうかもしれん……。昔からそういう風潮が蔓延っていたからな。昔も今も何ら変わねえってことか」

小倉が頷くと、

「そうだ。企業風土というか、企業経営の根幹の思想がそうなっているからだ。要するに、根っこ部分が変わらなければ、変革など有り得ない。表面が変わるだけで、本質は何も変わらねえと言うことさ」

上田が痛烈に虚仮下ろすと、杉山が尤も顔になった。

「ははん、そうだよな。メンバー見れば分かるぜ」

すると小倉が聞き及ぶ。

「えっ、メンバーって。何のだ?」

「今、話しに出た企業倫理監察協議会のことだ。俺もつい最近、通知文にアクセスして見たが、メンバー一覧が掲示されていた。驚いたね、こんな奴らが名を連ねているんじゃと思ったよ。田林だの木下、永田だぞ。何時もそうなんだうちの会社は。穴山や工藤らは真剣に取り組んでいるんかとな。そうだろこのメンツ見ればよ!」

と上田が吐き捨てた。すると、杉山が眉を上げ同調する。

「そうだ、その通りだ。まったく懲りねえんだから、真剣さが足りねえよ。社長の工藤なんか口ばかりで、身体を張って改善しようと考えておらん。どうせワンポイントリリーフぐらいのつもりでいるんだろ。まあ、実際そうだからな。何であんな連中ばかりを主要ポストに就けるんかな。見えていねえ、分かっていねえ。奴らの質をよ」

嘆き節になった。そこで上田がグラスを口に運びつつ、興奮気味に追従する。

「まったくだ。俺の眼から見れば、監察協議会のメンツにせよ経営陣だって、更にそれらを支える執行役員ですら、手前のことしか考えず、真剣に会社のために力を注ごうなんて考えている奴は一人もいねえ。夕焼けさんよ、そこのところを早く気づかねえと手遅れになるぜ。ダイムラー・クライスラーだって三菱自動車の一連の不祥事で手痛い目に合っているじゃねえか。ちょいと、スケールは違うがな」

一息つき続けた。

「それにな、ちょっとばかり堅い話だが、今や企業の業績向上だけでは、社会的に存在価値が問える時代ではないんだ。社会的貢献として、企業がどう貢献するかが求められる。それが社会的風潮となっている。そう思わねえか?」

更にまくし立てた。

「業績向上だけではなく、株主に対して利益還元することが、資本主義国家における民間企業の役割ではないのか。最終目的は利益追求であって、他に何があると言うんだ。社会主義じゃあるまいし、国のために企業があるなんて思えねえ。俺らみたいな勤め人は、国のために働いているわけじゃなく、己のために働いているんだ。そのことから言えば、ここは将軍様の国とは違うぜ!

勿論、俺らが給料を貰う以上は、最大限努力し就業することで、会社や株主に対して貢献することに繋がるわけだ。それから社会に還元していくべきものとなる。

それがだ、我が社の現状を見てみろ、業績低迷で火の車だぞ。社会的貢献などと、それに精力を傾けていられる時か。夕焼けだって、そんなことは百も承知だ。ヨーハン商会が、早急にやらねばならないことが。そうさ、まずもって業績の回復だ。これなくして社会責任を語れるか。業績の回復を後回しにして、社会貢献を優先するなんぞいうわけにはいかんだろ」

すると、聞いていた小倉が応じた。

「それこそ、うちだってこれだけの規模だ。倒産した時の負の社会的影響が大きいよ。夕焼けだって役員を送り込んでいる。そうもいかねえだろ。それをだ、社会的貢献だなんて、本末転倒だぜ」

そこに杉山が口を挟んだ。

「それもそうだが。俺の言っているのは、そんなことじゃない。国のためだとか将軍様のためなんて、真っ平ご免だ。そうじゃなくて、企業の社会的存在価値というのは、今の流行言葉で言うとシー・アール・エスだ」

「何だ、そのシー・アール・エスって……?」

尋ねる小倉に応える。

「俺も詳しくは分らんが、企業の社会的責任といわれている。所謂企業が長期に渡り存続するために、利益を上げるだけでなく、人と同じように法令や人権を守り、環境を保全し、地域に貢献するなど社会的な存在として活動しなければならない。ということらしい。確か、何かの本で読んだよ」

「ふうん、そんなもんか。まるで俺ら人間と同じじゃねえか。企業も生き物なんだな。恐れ入ったよ」

小倉が感心し、改めて問うた。

「それで、どうなんだ。うちの会社とそのシー・アール・エスとの関係はよ」

「そこだ。このシー・アール・エスを蔑ろにして、今や企業の存続など有り得ない。少なくとも、一流企業の経営者は、そこまで経営の重要課題として捉えている。

うちはと言うと、疑問符がつくどころではない。レベルの違いだ。そこが一流企業と三流企業の差だな。まあ、経営者の器の違いとも言える。比較してみれば分かるだろう。同じ上場会社といえど、他の一流会社の経営者とよ」

聞く上田が呆れた。

「お前、そこまで言うかよ」

杉山が応じた。

「ああ、見ていると言いたくなるぜ。今じゃ、憤りを通り越して、阿呆らしくなってきたよ。根本的な解決をせず、体裁ばかりを掲げ株主を欺いているんだからな。

それでは正当性を持って、ひたすら利潤追求に走っていたらどうか。いいものを生み出し消費者に支持され、それによって業績が向上し利益が上がる。そして、その利益を株主に還元する。それでいいと思うが、そうではないのか……?」

「しかし、それ以外に、一体何があるというんだ。それが結果的に大きな意味で、社会的責任ではないのか?」

上田が論点を整理すると、杉山が返す。

「そうだよな、だけどうちみたいに、業績が低迷しているんじゃ社会責任どころではないな。それに信用失墜させることが多発しては、逆に社会悪になっちまうよ。そう市場に評価されたら最悪だぜ。その証拠が株価に反映しているといっていい。株価が三百五十円ぐらいだから危ないぜ。……と言うことは、このまま業績低迷し続けたら、株価が急落し間違いなく市場から弾き出されるということか?」

すると、小倉が不安気に二人の顔を覗いた。

「おいおい、そうなったら、俺らどうなる?」

上田が行く末を告げた。

「どうにもならん、世間を見れば分かるだろ。弾き出された企業の社員たちの行く末をな。悲惨なもんだぜ……。

夕焼け銀行の前身、二行だってそうだ。二年も経たないうちに一行の役員連中は、尽く弾き出されているじゃねえか。おそらく、敗れた銀行の社員だって冷や飯を食わされているか、とっくに辞めていら」

二人の話に酔えず、小倉は固唾を呑んだ。

「……」

ひと時の沈黙が訪れた。各自が残り少ない焼酎のお湯割りを口に運んでいた。そして、その重苦しい沈黙が続いた後、杉山がぼそっと口を開く。

「そう言えばよ。前に、うちの会社でもシー・アール・エスとか何とか言っていたよな。コンプラだったっけか、何処かの通知文に入っていたと思う。それじゃ、コンプライアンスとの関係はどうなんだ。これだって、確か日本語だと法令順守だぜ。このシー・アール・エスだって人間と同様に法律を守ることだろ。何だか難しくて分からん。何でもかんでも英語で言うからおかしくなるんだ。横文字ばかり使いやがって、うちには横文字など似やわねえんだよ。そんな頭のいい奴ばかりじゃねえ。日本語で伝えて貰いてえな。どちらにしても、突き詰めりゃ同じことじゃあねえんか。企業が生き抜いていくには社会的存在価値がなければよ」

聞くうち小倉が白け顔になった。

「そうだよな。それはそれとして、何時もナンセンスだと思っているが、期初の重点施策だって初年度の経営方針だって、何でも横文字を入れる。確かに、今流で見栄えがいいからな。言っちゃなんだが、横文字で飾られた経営方針など、格好ばかりで中身が伴なわねえ作文ばかりだ。魚の骨なんか挿入してよ」

上田も同様になる。

「そうだよ。だから何時まで経っても事故がなくならんのだ。お題目ばかりで行動が伴わない。上も上なら、それにつく下にしても同じことが言える。そこが一流企業と違うところだ。トヨタや日産、はたまた新興のオリックスだってトップがしっかりしているし、率先して行動している。まあ、うちだって上辺の飾り付けだけでは良くならないということよ。

だけど不思議じゃねえか。企業が社会的貢献だといって何かしたくても、余裕がなければ出来ねえんだから。何時もアップアップで、何時左前になるかと焦っている時に、そんな格好いいこと言ってられねえわな」

杉山が貶した。

「それはそうだ、うちがいい例だ。不良債権の増大と売上低迷。それで大量貸出している夕焼け銀行から穴山を宛がわれたんだぜ。世間並みに表面上はいろいろ掲げるよな。コンプラだのシー・アール・エスだのと。けれど掲げるだけで、それに傾注する余裕などどこにある。結局、世間体だけを見た付け焼刃でしかないじゃないか!」

三人共々、酒勢に飲まれ唾を飛ばしていた。そして、言いたいことが一段落したのか、会話が切れる。残った肴を摘まみ、焼酎を飲んでいたが、杉山ががらりと話題を変え喋り出した。

「それにしてもよ。夕焼けから来た穴山も、助川もリスクが大きいんじゃねえか。二年も居れば、婆を引く羽目になるのが分かったと思うよ。だからそれを承知で夕焼け銀行側は、社長職をヨーハン生え抜きの工藤にしただけの話しさ」

憶測めいたことを告げた。すると上田が追従した。

「そうだよな、あん時はびっくりしたぜ。パソコン開けてみたら、工藤が社長になっていた。それで数日も経たぬうち、何時ものように出勤して、何気なく窓際の壁を見たら掲げてあったのさ」

小倉が知りたがる。

「えっ、何をだ?」

「いや、工藤の額入り写真の件さ。俺なんか悪いが、危なく黒いリボンを掛ける連想をしたほどだ。能天気によ。ご愁傷様とな」

「ああ、あの件か。俺だって同じだ。ふざけたことしやがってと、反吐が出た。創業社長張りだぜ。まあ、自ら指示したわけじゃあるまいがな」

「うん、そうだよな。どうせ取り巻き連中が媚び売りけしかけたんだろうが、そんなの断ればいいだろ。何を考えてんだか、人格を疑うぜ。まあ、その程度の人物でしかねえことを曝け出しているようなもんだぜ。浅はかと言うか間抜けと言うか、まさかなれると思ってないところ社長になれたんだ。青天の霹靂で、つい舞い上がってしまったんだろうて。

それにしても馬鹿なことをするもんだ。あれで一挙に、能天気加減を披露したのと同じさ。皆、口には出さんが裏では呆れているぞ。格好の酒の肴になったんじゃないか。そう言う俺らだって虚仮下ろして飲んでいたもんな。

今思い出しても阿呆としか言いようがねえ。あれじゃ夕焼けだって、苦々しく思って苦言を呈しただろうて、おそらくな。それから直ぐに、全部取り外されちゃったもの。まあ、これで信頼の醸造だのと目論んだのが、逆に大外れになったと言うわけだ。それだけじゃなく、工藤自身も相当尻の軽い奴だと印象付けてしまった。マイナス効果が大きかった分、社員の間では物笑いの種になったような気がするよ」

上田の能書きが終わった。

「ううん、そうだよ。まったくだ……」

小倉が頷いた。

皆話し疲れたのか、悪酔いが回ってか沈黙が覆う。思い思いに冷めたお湯割りを口に運び、夫々が談笑を思い起しているのか、無言のまま残り物に箸をつけていた。

「しかしこんな暗い話ばかりじゃ、週末の気分転換にならねえな。休みに入る前の晩だというのによ。だから話題を変えよう、スカッとする話でもしようや」

小倉が口を尖らせた。

「ああ、そうだな。長い一週間が終わったんだ。花金にあう話題がないんか。そう言えば、上田。この前は有り難うな。大切に使っているぜ。ところで、相変わらず陶芸に入れ込んでいるのか?」

杉山が話題を求め振った。陰酔いを吹き飛ばすように応じる。

「おお、相変わらずやっているぞ。まあ、楽しみだからな。土日はそれに係わりっきりだ。気分転換にはうってつけだぜ。但し、上手く出来た時はな」

「ほお、そうか。長くやっていても失敗することがあるんか。陶芸のプロを自認しているんだろ?」

「ああ、プロでもちょいと手を抜くと失敗する時がある。ロクロも粘土も正直だ。嘗めてかかると手ごわい。器がへたって形が崩れてしまうものさ。大きなものでも小さい器でも、真剣に取り組まにゃ上手く行かん」

真面目顔で吐露した。するとそこで、

「そんなもんか。会社の経営も、陶芸と同じだな。手を抜けば悪い結果が出る。今がそうじゃねえか。何でも真剣に取り組まにゃ旨くいかねえってことだ」

分かったように小倉が嘯いた。

「ああ、小倉の言う通りだ。けど、趣味と会社経営はある面で共通するかもしれんが、やはり会社経営は失敗するわけには行かない。陶芸は失敗しても粘土を練り直し、再びチャレンジ出来るが、会社経営はそうはいかねえ。ヨーハンだって、社員数をみろ。それにその家族。路上に放り出すわけにはいかねえだろ。陶芸の失敗と会社経営の失敗では根本的に違いがあるんだ」

「そりゃそうだ。上田の陶芸の失敗では、自身が作り直せばいいが、ヨーハン商会が潰れたら、俺や家族が路上に迷うことになる。そんなこと、絶対に許されねえ!」

小倉が赤ら顔で目を吊り上げた。

結局、この週末の飲み会は堂々巡りで、浮かれた話が出ずじまいで終わった。が、酒の肴が違っても酒量が減ったわけではなかった。





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