第5章 やっかみ


日が重なりゆき、また週末がきた。

今夜は池袋駅西口近くの居酒屋「黒べえ」のボックス席に陣取り、冷えた生ビールを注文し、一週間のストレスを発散させることから始まる。最初の一杯で週末の宴が始まった。

談笑も世間話から始まり、更に過日の約束も履行された。上田が忘れずに幾つかの陶器を持ってきたのだ。杉山も小倉も喜んだ。大事そうに抱えて礼を言った。

「上田、忘れずに有り難うな。お前の作品を貶したけれど、こうやって見ると、なかなか大したもんだ。結構いい線いているよ。大切に使わせて貰うから」

まんざらでもなさそうに受けた。

「そうか、そう言って貰えば持ってきた甲斐があった。今度また機会があれば違うものを持ってくるから、楽しみにしてくれや」

満足気な二人の顔に、上田も笑みを浮かべた。そして、持参した湯呑みの講釈が悦にいった。杉山が尋ねる。

「この湯呑みの色は何を使ってんだ?」

「ああ、これか。これは地に乳白をかけ、それに織部を口の周りにつけたんだ。それと、そっちの一輪挿しは、イラボをひとかけして焼いたものだ。後は窯のどこに置くかで焼け具合に違いが出る」

「へえ、そうなんか。それで窯って、大きいものか。よくテレビで見るような大きいやつあるだろ?」

小倉が驚きの声を上げると、上田が返す。

「いいや、あれは登り窯といって、専門の陶芸家が山中で焼いているものだ。俺らが使うのは、そうだな。横一、四メートル、縦一メートルで高さ八十センチぐらいかな」

更に小倉の質問が飛んだ。

「それじゃ、何を燃やして焼くんだ?」

「ああ、灯油を燃やし、約八時間かけて温度を千三百度まで持ってゆく」

「そんなに時間がかかるのか。知らなかった。それにしても、随分かかるもんだな」

杉山が口を挟むと、上田が興に乗った。

「ああ、徐々に上げないと駄目なんだ。急に上げたら器が割れちまう。その上げ方が難しい。今は、三十分単位で温度調節している。オイルの量と、燃やすための送風窓の開け具合を調節しながら、上げるのに時間がかるわけだ。一度窯に火を入れたら、後は終了するまで、焼け具合を見られない。

従って経験と感で、釉薬の溶け具合を推測して行くわけだ。千度を超えた窯の蓋なんか開けられねえよ。中の器がどうなっているか確認できないから、グラフを付けおおよその見当で燃やしているわけさ。

それに、焼く過程で一番気を揉むのは、温度の上がり具合だな。三十分間隔で、一応時間経過と温度上昇を設定し、その平均線をクリヤーさせていかなければならないが、時間通り上がらない時が気がかりなんだよ。そうかといって、急に送風を強めたり、オイルを増やすわけにはいかない」

「ほう、そうなんだ……」

感心する杉山に、上田が説く。

「焦ってそんなことすれば、間違いなく陶器は割れちまう。そうかといて、覗くわけにもいかんしな」

「そりゃそうだ。蓋なんか開けたら炎が吹き出すぜ」

杉山が尤もらしく頷くと、小倉が惚けた。

「随分ややこしいんだ。俺なんか、そんなの難しくて出来ねえ。よく、やってられるな」

二人とも難し気な顔になるが、尚も続けた。

「いいや、これも最初の頃は随分やきもきした。何せ、中が見られねえんだ。焼いている途中は、いろんなこと考えちゃって焦ることが多かった。でも、今ではそんなことなく、たまに時間が経っても上がらず、百二十度そこそこで心配になり、気を揉みながら温度調節しているよ。本来であれば、三百度ぐらいでなければならないんだから」

「へえ、陶器というのは、簡単にはいかんのだな……」

頷く杉山に、上田が期待を込めた。

「まあな。でも、何度も焼いているが、同じ模様になったためしがない。これが難しいところで奥行きが深いから、窯の蓋を開ける時が楽しみでもあるんだがな」

そこで、小倉が急く。

「それで焼き終わったら、上田よ、後はどうすんだ?千三百度もあるんだぞ」

「火を止め、一昼夜かけて温度を下げる。だいたい俺なんか、翌日の朝、胸膨らませ、緊張しての窯の蓋開けは、毎度の如く不安と期待が入り混じるよ。望みは、すべて上手く焼けていることだな。

よく考えてみれば、苦労して粘土から成型して素焼きを行い、出来た時の色具合を想像し、釉薬をかけ本焼きを行うんだ。でも翌日窯場へ行って、蓋を開けるまでの間は、何とか上手く焼けているようにと、神頼みをしてしまう。わくわくどきどきとは、よく言ったもんだぜ」

「そうだろうて。しかしその瞬間までは、複雑な思いに駆られるんだろうな」

杉山が感心すると、上田が苦労話を始めた。

「本焼きは、毎回緊張の連続だった。まあ、この気持ちは何度チャレンジしても慣れることはない。期待と不安が混じり、本焼き手順は慣れていても、火の調節具合は不安が先行するもんな」

「そうか、上田みてえな図太い奴でもそんな心境になるんか」

小倉が冗談っぽく言うと、上田が揶揄する。

「ああ、年齢や経験は関係ない。本焼きを続ければ、俺みたいな繊細な神経の持ち主には、それなりにプレッシャーがかかるものさ」

「馬鹿言え、何が繊細な神経だ。お前の日頃の行いを見ていると、ちっともそんな風には見えんぞ」

「いやいや、そんなことはない。この本焼きは、何時もながらプレッシャーがかかるんだよ」

上田が謙遜して見せた。すると、杉山が納得気味に頷いた。

「そんなもんか」

「ああ、そうなんだって」

「それにしても、上田。いい趣味持っているな。無趣味の俺には羨ましい限りだ。それにくびになったら、陶芸が生活の収入源になるわけだ。そしたら、定年後は楽して過ごせるじゃん」

杉山が羨ましがると、手を横に振り否定した。

「いいや、そうはいかねえ。だいいち、趣味は趣味の領域だ。作ったものを売ったって、低収入では生活などできん。それに毎日作っていたら、嫌になっちまう。週末だけやるから新鮮味があっていいんだ。毎日、朝から晩までやってられるかよ」

「そりゃそうだ。俺だって同じことばかりじゃ。けど、休みの日は遅く起きてぐうたらしているだけで、時間をもてあますのが落ちだからな。それにしても、上田が羨ましい。何か趣味の一つでも探してやるか」

小倉が妬みっぽくほざいた。すると上田が勧める。

「それじゃ、陶芸でもやるか?」

「おお、そうだな。不器用でも出来るのか?」

「大丈夫さ。陶芸は、器用、不器用は関係ないね。誰だって慣れれば、湯呑みの一つや二つ出来るようになる。やってみるかい?」

「けど、ロクロって、難しいんだろ。この前、何処かの窯場で芸能人がやるのをテレビで見たっけ。途中まで上手くいくのに、急にひちゃけて失敗していたぞ

そりゃそうだ。最初から電動ロクロを使うのは、ちょっと難しい。まあ、根性のある奴なら失敗を繰り返し出来るようになるけど。そうだな、それでも毎日廻し続ければ、六ヶ月ぐらいで操作できるようになるよ」

「ええっ、そんなにかかるんか。それじゃ俺は無理だ。そんな根性ねえもの、失敗ばかりじゃ途中で投げ出しちゃうな。それにしても、上田は大したもんだぜ。何年ぐらいやってんだ?」

持ち上げられ、

「俺か。そうだな、もう十七年ぐらいになるかな」

明かすと、杉山に程よく貶され問われる。

「そんなにやってんのか。短気なお前が、よく続いているな。長続きの秘訣でもあるんか?」

マジ顔で上田が応えた。

「いや別に、そんなのない。だいたい性格は別だ。会社ではがみがみ怒鳴っているが、家じゃ無口なんだぞ」

「本当かい。お前の日頃の素振りから、そんなの信じられねえ」

「まあ、それはそれとして。陶芸の修行は最初が肝心だ。と言うのも、俺自身始めた頃は、最初から電動ロクロを廻していたわけじゃない」

当時の記憶を呼び戻してか、上田の視線が遠目になった。

「あの頃は、そうだった。ロクロでも電動じゃなく、手廻しを使ってたんだ。粘土を乗せ、手で廻しながら湯呑みを作る。今みたいに薄くなく、厚ぼったくて重い湯呑みだ。それで半乾きのものを、内側からへらで削って薄くしていたっけな。この方法も仕えた先生に教えて貰った作り方だ。大して上手くもないのに、褒められれば嬉しくなる。その気にさせられ、結局のめり込んだ。ここがポイントだな」

「へえ、そんなことあったんか。なるほどね、手ロクロで作るのか。それなら俺にも出来そうな気がする。どんな方法にせよ、自分で作った器は努力の結晶だし宝物だ。そうだろ、上田!」

感心する小倉に、当時の出来栄えを語る。

「ああ、その通りだ。どんなにへんちくりんな出来栄えでも大切にする。一生懸命作ったものはな」

ここで杉山が、頷きつつ口を挟んだ。

「そうだろうな。生みの苦しみで出来た器は、愛着が湧くからな」

上田が尤もらしく応える。

「まあ、始めのうちは手ロクロを使い、馴染んで貰えばいいんじゃないか。そのうち電動ロクロを使いたくなる。始めの頃は失敗するだろうが、コツがつかめて上手く行くようになる。そうなればしめたもんだ。後は何個も作れば、薄い自在な器も出来る」

「そうかもしれんな。ところで陶芸をやるとなれば、結構金がかかるんだろ?」

ここで小倉が懐具合を気にすると、応えてあげる。

「そうだな、かかるが手廻しロクロなんかは安いよ。素人が使うものは七、八千円ぐらいだから、東急ハンズで買えばいい。それと粘土も一緒に揃えれば、直ぐに自宅で出来る」

「そんなもんでいいのか。それなら直ぐに始められるぞ。いや、待てよ。作るのはいいが、焼けねえか。それはどうすんだ?」

了解したのか、次の質問に及ぶ。

「ああ、そうか。その後の工程が進められねえよな。素焼きから、釉薬をかけ、本焼きまでやらなけりゃ完成しないもんよ。ところで、上田はどうしてんだ?」

「俺か。自宅の作業場に電動ロクロがあるから、そこで作って、先生の窯を借りて焼いている。まあ、いずれは買って自宅で焼きたいが、だ先のことだ。それじゃ、やるんだったら、俺のと一緒に焼いてもいいぞ」

納得してか小倉にやる気が起きた。

「そうだな、そうすりゃ出来るな。しかし、上田は本格的だな。自宅に作業場があるんか。大した熱の入れようだぜ。ところで、その先生ってどこに住んでいる人だ。お前の家の近くなんか?」

「日高市だが、車で十五分ぐらいのところで近いよ」

「そうか、陶芸をやれる条件が揃ってきたな。待てよ、最初から一人でやるのも、難しい気がするが、誰か指導してくれる人がいると有難いな……」

そこで上田が、怪しげな顔になった。

「そう来ると思ったよ。俺だって、最初の頃は先生について教えて貰いながらだからな。ところでどうだ。もしよければ、優しい先生を紹介してもいいぞ。本当にやる気があるんだったらな」

そう言われ、更に小倉が乗ってきた。

「この際他にやりてえ趣味もないし、上田でも出来るんだ、俺に出来ねえことはない。それじゃ先生を紹介して貰おうか?」

「ああ、いいとも。けれど、ただというわけにはいかんな」

「そりゃそうだ。ただほど高いものはないし、授業料払った方が対等になるから、それの方が気が楽でいい。それでどれくらいかかるんか?」

「そうだな、月当たりで一万円もあればいい。陶芸と言うのは繊細さが求められるが、君の場合は不器用だけでなく無骨者だから、そうだな、その指導料も追加して貰らわにゃならんで」

上田が惚け顔で告げると、マジ顔で疑問を呈した。

「おい、待てよ。それって、仲介してくれるんじゃねえんか?どうも口振りからすると、お前が先生のように聞こえるが?」

当然の如く言い放つ。

「ああ、そうだ。そのつもりだが。お前みてえな偏屈者を教える奴が、何処にいる。鏡でよく見ろ、納得できるからよ」

「何だ、そうすると。上田が教えて、安月給の俺から高額な金銭を取ろうと企んでいるのか。これは、用心せんと。どうせ、まともな教え方するわけねえ。それだったら、ちょっと高すぎねえか?」

本心が分かり貶すと、上田が鼻高に言いのけた。

「何を言う。この高尚なプロが教えるんだ。本来なら、月当たり、安くても五万円は下らん。それを一万円ぽっきりで真髄に迫れる。そう思えば安いもんだ」

「何、能書きこいている。お前が教えるなら、ただに決まってら。長い付き合いの仲間だろ。それを、金を取るなんぞ、とんでもねえ野郎だぜ。まったく根性が曲がっているから、そんな邪まな考えが浮かぶんだ!」

呆れ顔で小倉が毒づいた。惚け顔の上田を見て、その気になった陶芸熱など吹き飛んでいた。

「おっと、怒っちゃいましたね。どうだい、君ら二人は、そろそろ定年も近いし、いざという時暇を持て余すことのないよう、今から習得した方がいいんじゃないですか?」

上田が猫撫で声で促した。

「馬鹿野郎、月謝を取るんだったら、お前になんかに頼むか。どうせやるなら、若い女性教師に頼むわ。まったく空々しいぜ。このひねくれ者が!」

捨て台詞を吐き、収まらないのか加える。

「どうしても教えてえなら、逆に感謝料を払え。どうせ、相手がいず寂しくしてんだろ。それを紛らわせてやるんだ、俺らに払っても当然だ」

小倉が捲くし立てた。すると、上田が反発する。

「阿呆、そんなこと出来るか。それでなくても、週末は没頭して忙しいんだ。それを時間割いて教えてやると言うのに。何、勘違いしてんだか。まあ、この程度の感性じゃ、陶芸は無理だな。作ったところで駄作ばかりで、銭の無駄遣いと言うもんだぜ」

「うるせえ、勝手にしろ!」

小倉が吐くと、三人の目が合い、笑いの渦が生まれていた。

「まあ、そんなところだ。陶芸をやりたくなったら何時でもいいぞ。高額な授業料で教えてやるからよ」

「ああ、分かった。そん時は頼むぜ。精々陶芸に励んでくれよな。但し、他の奴らが申し出たら、程々にしておけ」

小倉が応じると、上田が本音を吐いた。

「ああ、こんな話はお前らだからしていることさ。金なんか取るわけねえだろ。授業料と言うのは冗談だ。何時でも教えてやるよ。それに俺の魂が入っているんだ。その湯呑みの高台の底を見てくれ、サインが入っているだろ。それが証しだ。だから大切に使ってくれよな」

すると、湯呑みの底を杉山が見て告げた。

「おお、これがサインか」

「ああ、作るものすべてに入れる。大小関係なく全部だ。一生懸命作った証を刻み込んでいるのさ」

「なるほどな。これがそうか。ところでこのサインは?」

杉山が感心しつつ尋ねた。

「ああ、これは、名前の一字を崩したものだ」

「そうかそうか、魂を器の底に入れるわけだ。この湯のみは、お前が作ったことを示すわけだな」

「ああ、その通り。まあ、他の趣味が見つからなかったら、そんときゃ頼むぜ。そうか、話を聞いたからには、この湯呑み大切に使わせて貰うぜ」

陶芸の話も一段落し、焼酎のお湯割りをちびりと喉に流すと、三

人の顔が悦に入っていた。

それもそうだ。週末の夜である。それははやはり違う。興に乗ると、何時もの陰鬱で澱む会話ばかりにはならない。サラリーマンの心持ちは現金なものだ。同じ飲み屋にいても、気持ちの上でこうも違ってくる。本当に不可思議なものだ。それが証拠に居酒屋も午後七時を過ぎると、勤め帰りの客人が多くなり、熱気に溢れごった返すほどの賑やかさになっている。あちらこちらで酒宴の花が咲き、ざわめきが一段と華やかな雰囲気を醸す。

杯を重ねる古株三人も、週中とは明らかに異なっていた。そんな中更に熱が入り、酔いが酔いを呼べば一週間の憂さを晴らす酔い廻りとなった。例の如く決まって何時もの嘆きごと、と言うか愚痴のオンパレードになる。先夜の和気藹々の陶芸談義と異なり、先々日のいがみ合いも忘れ繰り広げられた。

これも相変わらずの定番だ。

「けどよ、どうなんだ。さっきの話じゃねえが、お前のところなんか、決して職場環境が良いように見えんが……」

上田がお湯割りを口にし小倉に振ると、同様に運び応えた。

「そうなんだ。言われるまでもなく、最悪なんだよな。俺みてえな古参の出る幕はねえが、それにしても纏まりがねえ。これじゃ、事故が起きても仕方ねえ」

解ってか、上田が頷いた。

「……そりゃ、部長が田林じゃな。手前のことしか考えない自己中だからよ。役員ばかり気にして、部下のことなんかまるで使い捨ての部品とでしか扱っていねえし、己に都合が悪けりゃ文句ばっかりだ。そんな奴に部下がついてくると思うか。俺らみてえな古株は先がねえから、端からしらけて聞き流しているが、若い奴らは表面的には胡麻を擂っても、腹の中じゃ煮え繰り返っている。

それでなくてもアフターファイブは上司、部下という関係を断ってしまうからな。まったくドライだよ。それが俺のいる職場にも端的に現れている。それによ、それだけじゃなく、上司が上司だから、皆、表面だけ繕って、所属部署や会社のためなんてこれっぽっちも考えちゃおらん。上辺は纏まっているように見えるが、各自好き勝手でばらばらだ」

杉山が長々と愚痴ると、

「そりゃ、ひでえ。確かに田林の噂は聞くが、それほどとは思わなかったが、組織の態をなしていねえな」

上田の同調に、

「その通りだ。まあでも、田林のことはさて置き、他部署でも若い奴らは程度の差はあれ、同じかも知れんぞ。そうだ、確かにそうかもしれん。今の若い者んは。俺のところだって似たり寄ったりだ」

杉山がぼやくと、上田が危惧する。

「しかし、そんなんでいいんか。いくら世の中、変わったからといってよ。小倉の総務部は高尾の野郎が牛耳っていて論外だ。それでは若い部下が離反しても当然と思うな。だがよ、お前の職場に止まらず杉山のところも含め、会社全体でこれから担う若者が、そんな風潮になっていては、これまた大問題だぞ」

上田に指摘され、小倉が現状を告げた。

「いや、もうその兆候が出ているんじゃねえか?」

「それなれば、とりあえず緊急事態の打開策として、論外である総務部長の首を据え替えることは、直ぐにでもやらなきゃならんだろうて……」

杉山が悟ったように言い、眉を曇らせた。

「しかし、それにしても、今の若い奴らは困ったもんだ」

上田がぼやき吐き捨てた。

「それでも職場内の連携と言うものがあるだろ。昔は、上司は部下の面倒をみ、部下はその姿をみて育つ。お互いに信頼関係という繋がりがあった。アフターファイブでもそうだ。先輩が率先して誘い、部下はそれに従う。そこで、職場での人間関係を学ぶんだ。勿論、職場だけでない社会での繋がりも教えられる。昔はそうやって教育され、一端の社会人に成長したもんだ。よく言われるが、背中を見せて育てる。先輩が後輩に教育する方法だがな」

興に乗り続ける。

「ところがどうだ、今の若い奴らは。終礼のベルが鳴れば、その後は上司であろうが先輩であろうが他人様的考えだ。終礼以降は己の時間と能書きこき、指導を受けるなんて気は更々ない。

まあ、ある意味では現代的かも知れんが、俺らみたいな古い人間には、どうもついていけねえ。どうせ誘ったところで、『予定がありますから』と、軽くあしらわれるのが落ちかもな。

腹の中じゃ、『お前らみたいな萎びた奴に教えを乞うものはない。それに、おせっかいもいらんし小言もうんざりだ。加齢臭のする輩と付き合いたくないぜ』って、敬遠されるのさ。

更に続けた。

昔と今では確かに違う。だから同じようにとはいわん。上司の成功体験も時代の変化で色あせる。けれど、現代の戦略戦術でも、先人たちの成功事例がヒントになることだってある。だからこそ、ただ毛嫌いするのでなく、築かれた礎を尊び、新たな成長の形を作る気概を持って欲しいんだ。でも、それがない」

聞き入る小倉が、いたく同感と声を上げた。

「その通りだぜ!いや、それにしても、今の若い連中に聞かせてやりてえよ」

すると上田が、過去の出来事を喋り出した。

「そてにしても俺が若い頃、と言っても新入社員として就職した年だった。今でもはっきり覚えている。確か七月頃だったと思うが、職場に馴染んできた頃だ。配属された課内で保養所に行ったことがある。さすが課長は不参加だったが、先輩が計画を立て二人の先輩と、俺と同期の女性が二人と計五名で、土曜日が半ドンで午後から日曜日にかけ山中湖の保養所へ一泊で行ったよ。当時は今みたいに週休二日制じゃなかったからな。

今じゃ考えられねえことだ。皆で酒飲んでわいわいがやがや、結構盛り上がったけっな。丸一日半、顔を突き合わせていれば、人間関係は構築できるし、課内のコミュニケーションはこれでばっちりだ。こんな企画で先輩らは、社会生活の在り方、職場内での付き合い方を教えていたと思う。これがさっき言った、先輩が背中を見せて教育するいい例だ。

それに、面白いエピソードがある。実は先輩の車で行ってな。山中湖まではことなく着いたが、帰り途中で雨になり、何かの弾みでフロントガラスが割れてしまい、そのまま雨の中を走行し、皆ずぶ濡れになった記憶がある。この時の妙な連帯感というか、仲間としての絆が強く結ばれた。それにしても大変だったな」

「しかし、よくそんなことしたな。電車か何かで帰ればよかったのによ」

呆れ顔で杉山が口を挟むと、上田が応じた。

「今思えば、そうかもしれん。でも当時は、まったく考えないし、皆ずぶ濡れになり必死に耐えていたっけ。まあ、そんな馬鹿なことやったけれど楽しかったから、今でも途切れ途切れに思い出されるよ。

そんな機会があったればこそ、新入社員の俺らだって打ち解けて、気兼ねなく相談し教えて貰えるようになったんだ。人間関係を構築する上でいい方法だと思わねえか?」

結論染みたことを告げ、振った。

「なあ、杉山。お前だって、職場でそんなことやっていなかったかい?」

「ああ、やっていたぞ。今でも覚えている。営業本部配属になり課内の有志を募って、軽井沢の近衛山荘に行ったっけな。それに、お前らと同じように山中湖の保養所にも行ったことがある」

「そうだろう。そうやって職場外でも教育を受けていたんだ。それが、今はない。寂しい限りだ。しかし、最近の若い奴らは、そんな考えはないようだ。職場は職場。上下関係でも就業時間内だけと割り切っているから、会社が跳ねて一緒に遊びに行かんし、飲みになど行かない」

更に上田が現状を空ろう。

「まあ、今の若い奴らば考え方が違うから、『あんたらと行くなら、気兼ねない仲間と飲んだ方がよっぽどいい』なんて抜かすし、ましてや休日に付き合いなどするものか。『真っ平ご免だ』と、断られるぜ」

杉山が頷いた。

「確かに、それが証拠に、社内のゴルフコンペは続いているが、昔ほど盛んじゃない。特に若い奴らは誘われても、断るための言い訳いって敬遠するのが落ちだよ」

すると赤ら顔の小倉が、お湯割りをちびりとやり、しんみりと呟いた。

「……それも致し方ねえかも知れんな。俺なんか最近、そんなもんかと諦めると言うか、そういう考えも合理的でいいとさえ思う時もある。今の置かれている立場からすれば、いちいち若い上司に媚び得る歳でもねえし、後輩上司だって、俺を誘って一杯なんて、そんな気持ちはねえからな。

だからこそ言いたいんだ。古いやり方が気に入らねえなら。そして、先輩たちの成功体験も色褪せていると言うんだったら、己らが成長の形を作るという気概を持って欲しい。出世も大事かもしれんが、部下の協力なくして成果は望めない。部下のやる気を引き出す工夫を考えて貰いたいもんだぜ」

そこまで言い、後ろめたいのか弁明する。

「格好よく言っているが、俺らみたいな古株が若い上司を愚痴っているのと同じかも知れん。能書きばかりで、ぐずらぐずらしている己らの行動を棚に上げ、若者ばかり責めても仕方ねえ。昔と今では時代が違うんだ。そのことを理解しないと、頓珍漢な愚痴や言い訳になってしまうものな。その辺は反省しなきゃならんで。それでないと、また若い連中に、『年寄りは口先だけの能書きばかりで、行動が伴わねえ』なんて、これ見よがしに馬鹿にされるからよ」

そこまで言って、何となくこそばゆいのか、背中を丸めて苦笑いした。そこで形勢悪化を避け、別の話題に変えた。

「ところで、まったく話は変わるが、若者の間では、近頃席が隣同士でもパソコンや携帯のメールで連絡し合っているみたいだけど」

小倉が小首を傾げた。すると、

「それはおかしくないか。いくら電子化の時代といえ、何とも不思議な光景だぜ。なあ上田、そう思わねえか?」

杉山が疑問を呈し振った。

「ああ、言う通りだ。けれど、そんなこと若い奴らだけとは限らんぞ。この前なんか、うちの馬鹿部長、近くにいるくせに報告はメールで寄こせだってよ。そんなやり方でいいんか。どうしてメールなのかと尋ねたら、面倒臭そうに『言葉のやり取りでは証拠が残らない』だって。それに『忙しいから、後で見るつもりなんだよ。どうせ急ぐことでもないだろうから』、なんて抜かしやがる。部下を信用せず、手前のことしか考えないんだ。

それじゃ、上司を信頼しろといっても出来るわけねえよ。味気ないというか、そんなことが罷り通る職場環境では、何をかいわんやだ。情報連絡の持つ意味は、ただ伝達だけではない。面を合せ語り合うからこそ真意が伝わるもので、メールではここの部分が欠落し、信頼関係の構築を放棄しているわけで、大変な違いだと思うがな」

上田が訝り顔で続ける。

「そう言えば、先日の日経新聞に入社式のトップ訓示が載っていたが、NTTの和田社長は、「問題解決の糸口は家族、同僚、先輩とのコミュニケーションにある」と訓示していたし、三菱商事の小島社長は、「フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーションを」と語っていたが、尤もだと思う。やはり一流企業の偉人の言うことは、何処かの馬鹿部長と違って大したもんだよ。メールの重要性は分かるが、信頼関係の構築には何といっても、面合わせが大切だし必要なんだ。まあ、それが上司と部下の信頼関係を育む基本と言うか、原点じゃねえか」

「しかし、お前のところ。……狂っているとしか思えねえ」

小倉の言い分に、杉山がぽつんと漏らし、更に開き直り醒めた。

「こんな世知辛いご時世だ。そんな風潮に流されまいと、他人のことを気遣う暇はないぜ。気を揉んでいたら、手前の足元すくわれかねねえから気をつけろ。まあ、今流でいえば自己防衛というところかな。若者は相変わらずゴーイングマイウエーだし、こうなったら俺らも負けずにマイウエーでいかなくっちゃよ」

だが、そう結論付ける杉山に、上田が幕引きさせずぶり返した。

「そうだろうが、上司と部下もしくは若者と先輩との関係だけではない。俺のところだって若い奴がいない分、古株同士が昔気質で助け合い業務に励んでいると思ったらとんでもない。皆、我関せずならまだしも、年寄り同士が己のことを棚に上げ、仲間の足を引っ張り合うんだからよ。おまけに中間管理職の野郎など、これ以上出世の見込みがないから、やる気なんぞ起きやしねえ。そんなの見て見ぬ振りだ。

更に厄介なことは、責任者に至っては、あまり大きな声じゃ言えねえが、上しか見ていず、何でも安請け合いして格好付けているからどうしようもない。まったく、ブスの八方美人だよ。それでも実行力があるならまだしも、ただ部下に丸投げときてら。外見ばかりで中身のない、要は場当たり的な代物さ」

そう虚仮下ろし、自身を振り返る。

「そう言う俺だって、当たり障りのない仕事をして、形だけは繕っているがな。そうしなきゃもたねえし、自分の今まで通した信念だとかやり方を押し出したところで、何時ものように煙たがられるだけだ。そんなことしてつまらん思いするより、角が立たぬよう丸くやるのが常套というもんだぜ」

「しかし、上田。そんなやり方、お前らしくないな」

「いやいや、昔と違うんだ。もうそんな過激なことはせんし、出来ないさ」

「そんなもんか……」

杉山がそう告げ、周りを気にし小声となった。

「ところでよ。お前ら、知っているか?……また、東北の支店で事故があったらしいぞ」

「えっ、事故って。何だ、何だよ。それって、どこの支店だ!」

小倉が興味本位に身体を乗り出した。

「俺、知らねえな。どんなことだか聞かせろよ」

更に首を突っ込む。すると不可解そうに切り返す。

「何だ、お前。総務だろ。事件、事故はお前のところで掌握してんじゃねえんか?」

「まあ、そうだが。なかなか伝わってこねえ。何せラインに入っていない、ただのぶら下がりスタッフだからな。緘口令が引かれ漏れてこない。皆、口が硬てえんでよ」

「しゃあねえな、お前って奴は。じゃあ教えてやるよ。釜石支店で起きたらしい」

杉山が得意気に喋り出す。

「現金が合わないんだって」

「何、現金が合わないって、どういうことだ?」

聞き耳を立てる小倉が聞くと、マジ顔で応える。

「だから不突合だよ。要は帳簿残より現金が足りねえということ」

「ええっ、本当か、それって!」

「それも一万、二万じゃないぜ。何と十万円だ」

杉山が両指を広げ示した。

「うへっ、そんな大金、足りねえってどういうことだ。つり銭を間違えたとか、来店客の入金処理で、金を貰わず領収証を切ったとか、そういうことなんか?」

驚きの顔で尋ねると、上田が告げた。

「いいや、そんなことはねえだろう。金を貰わず領収証を切るなんて有り得んし、つり銭を間違える金額ではない。大枚十万円だぞ」

「そうだよな。そんなこと考えられんな。それじゃ、どうして足りねえんだ。毎日帳簿を締め現金合わせしていただろ……」

尤もだと杉山が頷いた。

「まあ、そうらしいが……」

すると、

「おお、そう言えば、俺のところの部長が電話でやり取りしているのを、チラッと小耳に挿んだが。うむ、思い出したぞ。そうか、それで慌て現地へ飛んだというわけか……。何かあったとぴんときたけど、そんな大金の不突合があったとは。通りで幹部連中がこそこそ密談していたぜ」

上田が自部署の有体の記憶を辿った。

「それでどうなんだ。原因分かったのか?」

小倉が尋ねると、

「いいや、それが今だ不明らしい」

 否定すると、更に突っ込んだ。

「不明と言うことは……。とすると、支店内の誰かが盗んだということか?」

「どうもそんな大金、内部犯行ではないかという噂も出ている。でも、どうやってちょろまかしたか。誰もいなけりゃまだしも、誰かしっかいただろ。大胆不敵にもそんな中で実行するなんて、度胸がいいぜ」

現状を告げると、

「しかし、何でそんなこと、支店長が防げなかったんだ。注意不足というか、管理職として内部統制が取れてねえことになる。馬鹿な野郎だ。間違いなく責任取らされる。こと、現金に関しては細心の注意が必要なのに。それを、そんな事件を起しちってよ……」

小島が情けなさそうに呟くと、上田が頷いた。

「そうだな。あそこの支店長、よく知っているけど。そんな風に見えなかったが。可愛そうに、これで終わりだな」

すると今度は、杉山が尋ねた。

「内部犯行となれば、それで犯人は分かったのか?」

問に釈然とせず応じた。

「いいや、究明中でまだ見つかってないらしい。まさか警察に通報するわけにもいかんだろう。そんなことしたら、つい最近といっても、一年前だが大きな事件が起きて、社長自らコンプライアンス遵守の看板を掲げたばかりだ。今度は社内事件発覚と新聞ざたにされてみろ、信用失墜し大変なことになる。

それでなくても、例の事件で信用がた落ちで、ようやく回復してきたばかりだろ、大きな痛手だし致命傷になりかねない。だからそんなことが絶対起きないよう、ぴりぴりしている最中だ。状況が悪いよ、状況が」

杉山が尤もらしく応じる。

「そうだよな、ごもっとも。まあ、夕焼け銀行だって、先日我が社に資本参加したばかりで、新聞に載ったらどうなる。手前のところに傷がつくし、株主にいい訳が立たなくなる。それを考えれば、そりゃ絶対にうちだって、警察に捜査依頼なんか出来ねえよ」

すると、小声で小島が推測する。

「……と言うことは、社内で徹底的に調べ責任追及するだろう。それで支店長は責任を取らされて、後はうやむやと言うことか。だいたい、『私がやりました』と申し出る奴などおらん」

更に杉山が憶測する。

「後は支店社員の処遇ということになる。まあ、それだって特定出来ねえんじゃ、処分のしようがない。支店長以外は無罪放免か?」

すると上田が応えた。

「馬鹿だな。そんなことあるわけねえだろ」

「じゃあ、どうなるんだ?」

「決まってら、全員が対象だ。人知れず異動させられるということだ。それも粛清人事というやつさ。まあ、男であれば地方へ飛ばされ、女は男性社員と同様にいかんから、居住地から通いづらい支店へ異動だ」

「えっ、それって。辞めろということか!」

「まあ、そういうことになる。本人が辞表を出せばそれを受理して終わる。これも仕方ないことさ。犯人が出ない以上連帯責任というやつで、全員が責任を取らなきゃ示しがつかんからよ。会社とはそんなもんだ」

聞き及ぶ小倉が疑問を呈した。

「それにしても、誰がやったんだ。今どき会社の金に手をつけなんぞ、許せる行為じゃねえ。手前の責任で、サラ金でも何でも使えばいい。目一杯借りまくり首が廻らなくなって、人生転落し地獄へ落ちれば上等だ」

すると杉山が推測した。

「まったくだ。しかし盗んだ奴は、相当金に困っていたんじゃねえか。と言うことは疑わしい奴は、端末叩けば見当つくな。各自の利用残高が分かるからよ。粛清人事の順位も残高の多い奴や、遅れの目立つ奴からということになる」

今度は小倉が同調する。

「そうだ、そういうことだな。毎月、月初に出る人事情報を見れば、その動きが分かるというもんだ」

ここで、上田が己の過去を思い起した。

「それにしても、今思えば俺も昔、支店長職を何箇所か携わってきたが、こんな事故が起きなくてよかったよ。そんなことがあれば、間違いなく今の俺がいない。でも当時だって、現金に絡むものは細心の注意を払っていたぜ。どこにでも昔から馬鹿な奴がいて、店の金をちょろまかしたり、切手を盗んで換金したり、いずればれるのに手を出す阿呆が後を絶たん。そんな例は暇がない。だから在任中は、チェック体制を敷いていたんだ。まあ、今でいうリスク管理であり内部統制ということになるがな。

統制環境から潜在リスクがどこにあるかを炙り出し、リスクの明確化を図る。そして更に、各種チェック項目でのモニタリングによる検証を行っていた。そうさ、常に内部管理態勢を意識して支店運営を行っていたぞ。

そこで重要なのは、職員全員に対する情報の共有だ。俺が支店長の時は職員が多かったんで苦労したが、いろいろ駆使しコミュニケーションを図っていた。ただ一方通行では、意図することが正確に伝わらないから、双方向での伝承法を多投したよ。それにしても、奴はそこいら辺が甘かったんじゃねえか?

まあ、話は変わるが。昔も今も変わらねえ。今の世の中、大手企業の役員とて総会屋と腐れ縁だとか、裏金作って飲み食いするだの、便宜を図って貰うため金品を貢いただのと、数えたらきりがねえ」

小倉が同調する。

「そうだよな。何時の世でも、新聞やテレビを賑わしているもんな。でも、表面に出るのはほんの一握りだ。そう、世間を騒がしているのはよ。

何時になっても、なくなりゃしないのさ。そんなもんだ。歴史を紐解けば分かるだろ、昔から何も変わっちゃいねえ。ただ、企業の社会的責任だとかいって、コンプラ、コンプラと騒いでいるだけだぜ」

すると杉山が、小倉に向かって問うた。

「そう言えばよ、お前のところの部長、妙な噂立ってねえか。小耳に挿んだが、真相はどうなんだ?」

「何だ、杉山。また、どういう噂なんか教えろよ!」

上田が喰らいつき、更に小倉に振った。

「ところで、小倉知っているだろ。お前の直属部長の黒い噂?」

「いいや……」

「そうか、お前も知らんのか」

極秘裏如くの口振りで言った。そして上田が促す。

「そんなら杉山、ちょっと話してみろや」

応えるべく記憶を辿った。

「実はな、何度か小耳に挟んでいたが、本当かどうか。田林の野郎、夜な夜な銀座辺りを真っ赤な顔し、花束持って歩いているらしい。高級クラブ通いでもしてんじゃねえか。そんな噂だぞ」

聞き、小倉が驚きの声を上げた。

「何だ、そりゃ。どこのクラブだ?あいつ、そんなことしてんのか。たかがへっぽこ会社の部長ぐらいで、銀座のクラブ通い出来る給料貰ってねえだろ」

「馬鹿だな、決まっているだろ」

「どういうことだ……?ええっ、それじゃ、通う金はどこから出てんだ。銀座となれば一人で行っても、三、四万円。二人でなら十万円近くはかかるんじゃねえか?」

「そりゃ決まってら、交際費というやつさ。奴が身銭切るわけねえだろ」

杉山が尤もらしく明かすと、小倉が目を丸くした。

「何っ、交際費?と言うことは、会社の金を使い、花束持って銀座のクラブ通いかよ。見上げたもんだぜ。と言うより、ふざけた野郎だ。そんなこと許されねえ!

ところで、杉山。お前、見たことあるんか?奴が出入りしているのを。それも花束持ってだぞ。現場を押さえなきゃ証拠にならんからな」

「いいや、見てねえ。だって銀座なんぞ端から行かねえからよ。営業の吉田から聞いた話だ。ただ奴も現場を押さえたわけじゃない。まあ、本当かどうか分からねえが、よく言うだろ。火のないところに煙は立たないって、まんざら嘘でもないような気がする。奴の行動を見ていると、意外と常務辺りを煽て会社の金で接待してんじゃないの。点稼ぎするためによ」

「えっ、それって。社内営業?」

「ああ、そういうことになる。他社は知らんが、うちの会社じゃよくあることだ。野郎も、そのうち天罰が下るぜ。酔った挙句、どぶ川に顔突っ込んで溺死したりしてな。そのぐらいの価値しかねえ男だ」

「まったく同感だ。上司とは言え、いけすかねえ野郎だ。反吐が出るくらい胸くそ悪いぜ!」

小倉が据わった目で吐き捨て、残る冷めたお湯割りを一気に飲み干した。

聞き及ぶ上田が酔いの息を吐いた。

「ううんっ、今日は廻るのが早いな。三杯で酔っぱらうなんて、安上がりな俺だぜ。まあ、居酒屋で焼酎喰らい馬鹿言って、いい気持ちになっているのが相応だ。銀座の高級クラブなんか行ける玉じゃねえからな。それに比べ、会社の金使ってクラブ通いしている奴が羨ましいぜ」

火照る顔を摩りながら嘯いた。すると小倉が調子づく。

「たまにはカラオケでも行って、歌いまくりてえな。昔は二次会でよく行ったもんだが、最近はとんとご無沙汰だ」

「小倉よ、カラオケもいいけど。だいたいレパートリーが少ないんじゃねえか。それも昔のカビの生えた歌で、今時の歌なんかついていけんだろ?」

杉山がおちょくった。

「まあな、カラオケじゃ何時も若い奴らに嫌がられる流行遅ればかりだ」

「やっぱりそうか。実は、俺も似たり寄ったりだ。だからカラオケなんか、近頃さっぱりだ。お前らと、こうして居酒屋で安酒飲んで、くっちゃべっている方が、どんなに気が休まるか」

「そうだよな。だけどこういう居酒屋じゃ、ただ食って愚痴っているのが落ちだ。昔はこんなのなかったし、小料理屋で飲みながらアカペラで歌っていたもんよ。あの頃が懐かしい。でも、そんなところへは、最近とんと行かねえから、雰囲気も忘れちまったよ」

「まったくだ。俺だって、ここ五、六年は行っていない。いいや、十年近くになるかな。そう言えば、若い頃はキャバレーへよう通ったっけ。給料貰うと必ず行ったもんだ」

「そうそう、クインビーとか、ブルーハワイなんかによ」

「しかし、今、あんなの流行ねえのか、俺なんぞさっぱりだ。安居酒屋が合っているんか」

「ああ、その通り。だいたいキャバレーなんか、なくなちっまたんじゃないか。昔は沢山あったけど、あまり見かけねえよ」

「池袋辺りだって、全国チェーンの居酒屋ばかりだぞ」

「いや、新宿だって、渋谷だってありゃせん。それに上野辺りだって、めっきり見かけねえ」

「そうさ、すっかりご無沙汰だ」

「あの頃はミニスカートの姉ちゃんを隣に座らせ、よく騒いでいたっけ。ああ、懐かしい限りだ」

二人で一節喋ったところで、杉山が神妙な顔で口を挟んだ。

「ちょっと話しは変わるが、最近でこそ株価が持ち直してきたが、三百五十円というのは上出来かもしれんな。確かに夕焼け銀行の資本参加があって、うちも深刻な事態から脱却できそうだし、今の株価になりひと安心だけどよ。しかし昨年の十月までは株価が百円そこそこで、このままじゃ危ないと噂が飛んだが、何とか凌いでいるんだ。いや、夕焼け銀行様さまだ、おんぶに抱っこだものな。

我々、下っ端は大いに歓迎するが、上層部は何時追い出されるかと冷や冷やじゃねえか。まあ、役員クラスから部長連中まで生きた心地がしねえだろて。奴らにしてみれば当てが外れ、居心地よい棲家が奪われるんだからな。ざまあ見ろってんだ」

「そうか、銀行でのリストラ組みが続々と入って来るということだな」

小倉が納得すると、杉山が頷き断言した。

「まあ、そういうことになる。それも時間の問題だよ」

「ところでどうなんだ。これから、もっと上がるんか?」

「さあ、どうだか。よく分からんが、今期末の業績予測だって決してよくないし、上がる要因がねえよな。今が上限じゃねえか」

ここで、上田が見立てた。

「そうだ。だって見廻したところ、目玉になる要素がないからよ。業績回復なんて夢見てえなもんだ。そう考えたら、今が売りじゃねえんか。欲出して惜しむとチャンスを逃して、儲け損なうぞ」

「上田、大株主なんだろ。売り惜しみすんな。まだ上がる、今売ったら損だとか欲出すな。目が眩むとろくなことねえ。今が絶好機だ。もし俺だったら、今のうちに売り逃げしておくよ。大幅値下がりしたら、儲け損なって浮かばれんからな」

小倉が真顔で促した。すると上田が、現状の問題点に及んだ。

「いいや、別に値上がりを待っているわけじゃねえ。確かにお前らの言うように、最近ろくなことがねえ。業績だってはかばかしくないし、将来的に期待できるかといえば、そうも言えねえ状況だ。営業収入重点主義だとか格好付けているが、肝心の取扱高が増えなけりゃそんなの絵に描いた餅だ。

こんな地を這うような、いいや下降する業績じゃ、営業本部のお偉いさんたち、皆クビだ。ポジション給ばかり高くて、それに見合う仕事してねえもん。責任とって貰わにゃなるまい。それが嫌なら、必死こいて取り組んで貰わんと、部下の士気なんか上がるわけねえだろ。現場に行きもせず、ただ数字を上げろなんて、馬鹿のひとつ覚えみてえに吠えているようじゃ、能無しのすることだぜ。

それにしても、奴らがどうあがこうが、ところてんのように押し出されるだけだ。夕焼け銀行だって二銀行統合で効率的店舗運営上、無駄な支店を整理すれば支店長以下行員がだぶつき、その受け皿探しで躍起になっている。そうさ、その矛先がうちだからな」

すると、杉山が推測し出した。

「そうか、夕焼け銀行の支店網を見ても、関東以北じゃ、同一地域で重なる店舗は少ないが、中部や関西地域を見れば結構あるもんな。元々旧銀行の本店所在地がそっちの方だからよ。まあ、全体で見れば約半分はダブる。二銀行で、仮に三○○店あれば一五〇店舗ですむんだからよ。存続する支店はいいわな。閉鎖支店の支店長は、まさしく不要になるし、行員らの職場確保が必要になる。さっきも言ったが、辞めさせるわけにはいかねえから、どこかへ配転せねばならん。

本部機能だってそうさ。今まで二箇所だ、それが一つですむ。人員の三分二、いいや半分ですむかもしれない。大量の余剰役職者の引き取り先を、手当てしなけりゃならねえ。そうなるとどうなる、格好のターゲットはどこだ!」

「おお、そりゃ決まってら。他の系列会社はすでにこれ以上受け入れられねえ。だとすると、俺らのところしかねえやな」

小倉が眉間に皺を寄せ憂い、己の立場を考え心配顔になった。

「まさか俺らまで、煽りを食って追い出されるのかよ……」

「馬鹿言うな。小倉、お前なんか、端から対象外だぜ!」

「何だよ、杉山。俺だってこの会社追われたら、どこへも行くあてがねえんだぞ。それがどうして対象外なんだ」

「よく考えてみろ」

「ええ、考えろったって、何だか分からねえな」

「ほら、決まっているだろ。我が社は、夕焼け銀行の受け皿だぞ。それはな、まずはうちの役員だとか上部管理職が対象だ。その次は支店長職だよ。後はいっぱひとからげだ。まあ、いずれ人件費削減というかリストラ策が出されるだろう。そんな時、お前だけじゃない。俺だってお払い箱になるのさ。まあ、先のことだが」

「何だ、とりあえず首が繋がるのか……」

小倉が一息つくようにほっと胸を撫ぜおろすが、更にあれこれ危惧しだす。

「直ぐには、俺らもどうということねえが、いずれ間違いなく圧力が加わってくる。まあ、一年か、もしくは二年先ぐらいに、粛々と早期退職という名で整理されるんだ。

いいや、待てよ。そんな安閑とした考えでは甘いかもしれんな。万が一、このまま業績低迷が続けば、営業収入不足だけでは済まねえ。健全な企業経営を目指すことが、夕焼け銀行からの必上命令となれば。すなわち、純利益の確保というところまで掘り下げられ、大幅な経費の削減要請が半年後に来るかもしれない。大幅なリストラ策による、人件費の削減だ。グループの一員であるうちの業績が芳しくなければ、影響を抑えるため夕焼け銀行とて大鉈を振るわざろう得なくなる。

そんな風になったらどうする。お先真っ暗だ」

「本当だな……」

杉山の溜息交じりの本音が出ると、上田が類推する。

「考えて見ろ。まだ憶測だけだが、実際に夕焼け銀行から大量に乗り込まれてみろ、特に経営幹部としてな。そりゃ、こんなもんじゃなくなるぜ。そうだろ」

杉山が頷くが、直ぐに危惧する。

「ああ、そうだな。こんな業績不振じゃ、部長連中の総入れ替えだけでは納まらない。と言うことは……。おい、おい、冗談じゃないぜ。もしや……、俺らみたいなぺいぺいまでにも及ぶということか?」

すると上田が、頷きつつ自分に置き換えてみる。

「そうなる可能性が大きい。そうなったらどうなる……。一年先だの、二年先などと、悠長なことは言ってられねえ。もうじき定年を迎えるからと、案閑に構えていられねえかも知れん。その前に放り出されるかもな。大リストラの号令の下にだ」

そんな推測に、小倉が声を上げた。

「本当かよ!この歳になって放り出されたら、どこにも引き取り手などかあるもんか。ましてや再就職だって、ろくなところしかねえぞ。給料だって現状ベースで稼げねえ。そうなったら、生活はどうなる?」

更に苦渋に満ちる顔で溢す。

「いや、困っちうよ。住宅ローンだって、まだ残高が山ほどあるんだ。今より収入が減ったら支払いが出来なくなる……。それに、くびになり収入が途絶えたら何とする」

現実的に迫る事態を憶測していた。

「……」

皆、黙り込んでしまった。

「どうにもならねえな……。お寒いばかりだ」

上田がぼそっと漏らした。

小倉が楽観的に考えたのも束の間、またしても大きな不安要素が、皆の胸の内を大きく揺さぶり出し、三人は黙ったまま冷めたお湯割りを、重苦しい胃に流し込んでいた。

「……さて、今日のところはこれまでにするか」

ぼそっと上田が漏らすと、杉山が応じた。

「そうだな、打ち止めだ。しかしよ、こんな暗い話で締めるのも気が重いな。何か明日に繋がるいい話はないんか?」

小倉が醒めた調子で告げて、話題を逸らし雰囲気を和らげる。

「今夜は上田の薀蓄のある陶芸の話で終わればよかったんだ。こうして力作を貰ったしな。そうだ、早速明日にでも使わせて貰うか。さぞかしお茶も美味いだろうて」

「まあな、ひょんなことからつまらん話しになったが、せっかくの金曜夜だし、楽しい酒で終わらせたかった。でも、これさえあれば多少なりとも気が和む」

杉山が同調し湯呑みをかざした。

「さっ、酔いも回ったところで引き上げようぜ」

上田が告げ、休みを前にして憂さを晴らすつもりが、肝を冷やす結果となり、共々後に引きずらぬようにと早々に席を立っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る