第4章 痴話喧嘩


気心知れた仲間が集い、飲み始めてから小一時間が経った。

まだ六時を廻ったばかりなのに、居酒屋内は騒然とし、各テーブルが思い思いの宴に興じる。雑然と騒ぎながらグラスを傾けるグループや、熱を帯び論じ合う者たちなど、週末の花金が盛り上がっていた。

そんな状況を眺めつつ酔いが廻り始めた頃、グラスを持ちテーブルの一点を見据えていたが、もう限界だった。ぐだぐだと聞かされる上田にとって、耳に入る言葉は御託としか聞こえなかった。

「おい、杉山。いい加減にしろや。さっきから聞いていれば、しょうもねえ愚痴ばかりだ。阿呆らしくて、気持ち良く飲めねえじゃねえか!」

突然吠えられ、不意を突かれた杉山が訝る。

「何だよ、急に。上田らしくねえな。お前だって相槌打っていただろ。それを急に、しょうもない愚痴とはどういうことだ?」

挑発的な上田に、「しょうもない」と売られた一言にむっとし反論した。すると、更に上田がまくし立てた。

「しょうもないから、そう言ったまでだ。それのどこが悪い。だいたいさっきから凝りもせず、御託を繰り返していることが気にいらねえんだ。そんな愚痴を並べたところで何になる。それだけのことだろ。そうやって溢していても、何も変わらん!」

「何だよ、その言い方は。真面目な話をしているんだ。愚痴を溢したわけじゃねえ。それをなんだ。お前、喧嘩でも売る気か!」

杉山が真顔で言い返した。それでも収まらず、

「現実的にそうじゃねえか。俺だって、お前だって、今、会社の中ではそういう境遇にあるんだろ。それをしょうもないとは、一体どういう了見だ!」

マジの反撃に上田が応じる。

「そうは言うが、そんな愚痴ばかり並べたって、杉山、お前の立場がどうなる。何も変わらねえ。すべて己を正当化し、他の者を貶す。そんな話はたまにはいいが、何度も聞くことじゃねえ。……と、俺は思うがな」と、少々冷静になった。すると杉山が落ち着きを取り戻し、自重気味に応えた。

「まあな。確かに……」

そこに、黙り聞いていた小倉が口を挟んだ。

「まあ、まあ。そんな硬い話をしていても、ちっとも面白くねえ。もっと日頃の憂さを晴らせる話題ないんか。今日は雨も降っているし、金曜日だぜ。真面目くさった話は抜きにして、色っぽいとか、スカットする話をしようぜ」

砕けた顔で促した。

だが、互いに冷めやらぬのか、仏頂面で口をつぐみ、お湯割りグラスを持ちながら、じっと睨み合う。その様に咎めた。

「おい、おい。二人とも何やってんだ。口喧嘩するために、集まったわけじゃねえだろう。楽しくやろうやぜ。今日は花金だ。俺だってむしゃくしゃすることもあるが、こんな時に目くじら立ててもしょうがないぜ。さあ、話題を変えようや。二人とも仲直り、仲直り」

気まずい両者を宥めた。すると上田が、持つグラスを口に運び、ちびりと喉を潤し杉山に詫びた。

「悪かった。つい、昼間あったことが気に障りむしゃくしゃして、逆撫でするようなことをしでかした。気分転換にと誘ったが、お前から御託めいた話を聞かされ、その嫌なことと波長が合っちまって、つい、むかつき怒鳴ってしまった。杉山、許してくれ」

言い過ぎたと頭を下げた。すると杉山の顔が緩む。

「いいや、確かにお前の言うことも一理ある。美味い肴も、そればかりでは飽きるからな。そこまで言わんが、そういうことだ。いや、俺も迂闊だった。上田がそんな気持ちでいるとも知らず、つい愚痴っぽく繰り返した。こちらこそ悪かった。俺だって積もった一週間のストレスを解消するつもりでいるんだが、つい愚痴ってすまなかった」

「いいや、こっちこそ。むきになったりして、楽しい雰囲気を壊すような暴言を吐いてしまったな」と、上田が重ねて詫びた。

「しかし、まだまだ気持ちは若いな。身体の方は言うこと利かねえが、血の気は少なくないぜ」

杉山が例えると、

「ああ、そのようだ」

上田が同調し、二人はグラスを軽く合わせ喉を潤した。すると、ぴんと張る空気が緩み、その気配を小倉がおちょくる。

「その通り。ここは行政府の国会ではない、二人とも以後謹みなさい。分かったかね、上田君。おっと、それに杉山君、君も君だ。場所をわきまえて話し給え。まあ、国会議員とて、赤い血が流れる人間だ。たまには酒の力で暴言を吐くこともある。それに、話しちゃならねえことを、うっかり洩らすことだってあらあな。そんな時は直ぐ侘びを入れ、ひたすら緊縮することが肝要だ。まあ、ここは国会ではなく居酒屋だから、気軽に楽しくやろうよ」

場を繕った。すると、やおら杉山が発する。

「そうだよ。確かに俺ら、今夜飲んでいるのも気分転換だもんな。つまらん職場のことを忘れ、日頃溜まったストレスの解消と鋭気を養うことが目的なんだ」

「そうだそうだ、堅い話はこれくらいにして、おもろい話でもしようや」

小倉が和らげるべく繕った。すると、三人の間に幾ばくかの静寂が訪れ、夫々が気遣い焼酎のお湯割りを傾けると、やおら上田がぶり返した。

「それにしても、今日は嫌な思いをしたな……。つくづく自分の立場を思い知ったよ。ガツンと言われた時は、一瞬間抜け面のアホウ鳥みたいになっていた」

すると、小倉が唐突な話に訝った。

「えっ、アホウ鳥……。何だそれ?」

「上田、一体どうしたんだ。訳の分からんこと言って。職場で何があったのか?」

続き杉山が疑問を呈した。

「いや、まあな。他人に話すことでもないさ」

続きを喋りたくないのか、上田が口を濁した。

「そうか、そんならいいけど……」

小倉がそれ以上深入りせず、話はそれで終わるが、周りで騒ぐ声が妙に気になりおどけた。

「ちょっとお二人さん。何時になったら、おもろい話が出るんですかい?まあ、尤も。こういう場所でも関係なく、現代における激変する社会情勢の中で、いかに企業の存在価値が問われるか。という堅い話が出るようじゃ、遊び心が足りないと言うことになりますがね。どんなもんでしょうか?」

関係のないことを問われ、訳が分からず唖然とする二人の顔を見て、分かってか講釈しだした。

「宜しいか、お二人さん。仕事の話には二通りあるんです。一つはこの場に馴染まぬ場違いな話題。これは通り一遍なら許される。がもう一方は、俺も含めた皆さんの最も得意とする話。これはこの場の雰囲気を最高潮に盛り上げるんですよ。今宵を楽しく過ごすための酒の肴ということで、どうですかご両人さん。察しよくご理解頂けませんか?」

聞き慣れぬ敬語まがいに喋る小倉の意図を酌んでか、杉山が顔を崩した。

「そうだな、小倉の言う通りだ。まあ、堅い話は抜きにして、後者の話なら幾らでもあるぞ。この頭の中には、こと切らないほどの話題で満載だ」

更に、アドリブ的に尋ねた。

「どうだ、小倉殿。それに上田殿。これならご立腹召さないかと存ずるが。どんなものでございましょうや?」

そこで即応し、上田が乗りで続いた。

「ううん、よかれよかれ。杉山殿、存分に話すがよい。酒の肴にはうってつけじゃ。お話しくだされば、この場の雰囲気もがらりと変わりまするぞ」

すると洒落言葉の掛け合いで、覆っていた重苦しい空気が一気に消えた。

「どうだ、我ら阿呆仲間の結束と、景気づけに乾杯するか!」

「おお、しようぜ!」

三人はわだかまりを除くべく、一斉にグラスを掲げ、底の見えるお湯割りを飲み干した。

小倉の道化は、その場の雰囲気を変えるのに、ちょうどいい振りだった。すると上田がぼそっと喋り出す。

「いや、さっきのことだが、大したことじゃないんだが。あまりにも酷でえ話なんでな」

意図的に渋った話題を、また蒸し返した。すると、小倉が聴きたげに額を寄せた。

「それって、何だよ。酷でえ話って?」

上田が念を押す。

「今、杉山に文句を言っておきながら、仕事の話ですまんが喋ってもいいか?」

杉山が返す。

「ああ、かまわん」

すると、上田が話し始めた。

「実はこの前のことだが、俺も今の検査センターに異動したばかりで、この職場がどういう人間関係にあるのか分からぬまま、会議に出席した時にな。つい、話し合う議題があまりにも頓珍漢なんで、何時もの如く正統論を、わっとぶちまけちまったんだ。それが誤算だったよ。確かにあの野郎から、着任時に『この職場はオープンです。自由に意見を述べることが出来るし、フエアなんです。新しい空気を入れるため、意見があれば存分に発言して下さい』と、レクチャーされていたから。つい、その気になったわけさ」

その思惑が外れたように、目ん玉を丸くし続けた。

「ところがどっこい。これが違うんだな。その野郎が、会議の最中にあっけらかんとした面で制したんだ。『この職場に来たばかりでしょ。あなたの言うことは、ここの習慣に合わないから聞けませんね。今少し理解できるまで意見を控えた方が宜しいんじゃないですか』だとよ。禿頭のすっとこどっこいが、しゃあしゃあと御託をならべやがった。

俺も、言われたことに、一瞬耳を疑ったよ。だってそうだろ。ついこの前、『オープンで自由に意見が言えるから、あれば発言してくれ』と言ったばかりだぜ。やることが違うんだよな。あのアホウ鳥野郎、上司面しやがり偉そうによ。自分らに都合が悪くなれば遮断する。要は、新参者は黙っていろと言わんばかりだ!」

頭に来たのか息巻いた。

「奴に言わせれば、そういうことだろ。それだけじゃねえんだ。会議が終わった後、こっそり来やがり、耳打ちしたよ。『あなたは声が大きい、もう少し穏やかに喋ってくれないか』だって。それにまた、『ここの習慣を、今暫く勉強した方がいいですよ』だと。何をかいわんやだ。

ふざけるにも、ほどがあるってんだ。俺は、あんな裏表のある奴が一番嫌いでな。手前に都合が悪くなると、ころっと態度を変える卑怯な奴。抜かしやがれってんだ、馬鹿野郎!」

憤懣やるかたないのか、更に口を尖らせた。

「だいたい改善の提案を、この仕事を通じて推進するなどと吹聴しておき、現実には保守的な固定概念に凝り固まっている。検査部だからとて、他部署に改善指摘する前に、手前の凝り固まった頭を改善しろってんだ。アホウ鳥野郎のこんこんちき、味噌汁で顔でも洗って来い!」

酔いに任せ、一気にぶちまけた。すると、小倉が目を丸くする。

「本当かよ。そんなこと言われたんか。あのバーコード野郎に。たかが横文字の肩書きついたくらいで。偉そうに格好付けるんじゃねえってんだ!

それで上田。何て言ってやった。あのバーコードに。まさか詫びたわけじゃあるまい。お前の性格だ。尻まくったんか?」

「いいや、そんなことはせん。昔の俺じゃない。そんな若くねえし。まあ、それでぐっと堪え、下手に出てやった。『そうですか。この職場に慣れていないもんで、よく分かりました』と、素直に謝ったさ」

「本当かい、お前がそんなことするとは想像もつかん。どんな面して言ったのか見ものだったな……」

「おい、おい、茶化すなよ。それは、口では平常心を装ったが、腸煮え繰り返っていたし、ふざけるなこのど阿呆野郎と思っていたさ。でもな、俺も今じゃこの歳だ。角が削れて、丸くなったのさ」

「何を言う、上田。角が丸くなったんじゃなくて、歳をとって歯が抜けたんじゃねえのか。それで奥歯にものが詰まるようになり、おとなしくなったんだ」

駄洒落好きな杉山が、にたつき貶した。

「馬鹿言うな。お前だって、後頭部が薄くなっているだろ」

「なあに、お互い様だ。皆見てみろ頭をな。まったく嫌になるぜ。昔は、黒々ふさふさだったのによ。今じゃ、この有様だ」

小倉が悔しそうに頭を摩り嘯いた。すると上田も杉山も、互いに視線を這わせ、「まったくだ」と頷いた。そして更に小倉が続けた。

「それにしてもよ。あの禿、偉そうなこと言うな。あいつだって今いる部署前は、お前が随分面倒を見てやったんだろ。右も左も分からねえのを、手取り足取り指導したんじゃねえのか、それを忘れたんか。立場が変われば仕方ないと思うが、忘れちゃならねえこともある。たとえ義理人情という時代じゃないにせよ。恩を仇で返すとはこのことだ。

もし俺がお前の立場だったら、尻まくっていたな。そうだろ、偉そうによ。ちょっと呼び出し道理をわきまえろって渇を入れ、愛の鞭をくれてやるよ」

「おい、おい、ぶっそうなこと言うな。そういうお前はいいよな。別にどうなろうと関係ねえから、気軽にそんなこと言えてよ。俺はそうも行かねえんだ。今じゃ、馬鹿でもちょんでも、バーコードが上司だからな。

嫌みくらいは言えたって、手を出すわけには行かん。それによ、脅かしたってこれから長い付き合いがある。ちょいと啖呵切って、またこの職場追い出されちゃかなわんからよ。まあ、ここのところはじっと我慢の子だ。やり過ごすしかねえ」

「うへえっ、上田は偉い。さすが人間が出来ている。伊達に長く人生過ごしてきただけじゃないな。ううん、感心するよ」

「何、言ってんだ。お門違いさ。そんなことしたってつまらんだけだ。それに今の職場移ったばかりだが、まあまあ気に入っている。検査の仕事は出張が多いだろ。俺、今までそういう経験なかったし、いろいろ見知らぬ地へ行けるのも楽しみにしている。それで長く続けたいのさ」

「馬鹿、遊びで行くんじゃないぜ、仕事だろ。俺は昔、本部にいたころ散々出張したからもう沢山だ」

杉山がうんざり顔になると、上田が鼻をつんと上げた。

「分かっているよ。それでも、知らぬところへ行けるのはわくわくするぜ。仕事は仕事、一生懸命やるさ。ただ、せっかく初めての土地へ行くからには、朝早く起きてでも、デジカメで街の風景を撮ろうと思っている。それに昔、転勤先で出来なかったことだが、赴任地での駅舎や駅名を撮って、街の風景と一緒にパソコンに落とし整理しておけば、住んでいたという証になったんだがな。

当時それをやらず後悔している。だから、今、やろうと実行している。何せ、この仕事に就いていなけりゃ、そういう機会は起きねえんだ。プライベートでは、そう容易く見知らぬ土地へは行けない。だから出張したら、訪れたという証を残しておきたいのさ。たとえば、昼飯食った際の蕎麦屋の割り箸入れとか、その土地の案内地図とかよ。デジカメで撮った街の風景と合わせてファイルしておく」

目を輝かせ、出張先の一コマを思い浮かべたが、ふと現実に戻り真顔になった。

「そうだろ、前の所属の時のこと思えば、たった一年で追い出されちまったんだから。そりゃ云いたいこと言っていたさ。でも、会社にとって核心を突いた話は、それが棘のように刺さると鬱陶しいものさ。言われる側のことを考えてみろ、そう思うだろ。

己が正しいと思ってやっていることに是非を迫る。そりゃ、鬱陶しく思うぜ。核心を突かれるんだ。言っていることが、ずばり当ってみろ、それによって奴らにすればぼろが出たら困るわけだから」

上田が正論を吐いた。すると、杉山が追従する。

「まあな、奴らにしてみりゃ、手前らのことしか考えず、上司に胡麻擦って、得意気に『こうなります。この方法で行けば間違いありません』と報告しているんだ。万が一、計数に狂いが生じた時、すなわち予算が未達成になれば、言い訳のように『支店長が駄目だから』とか、『営業マンの指導がなっていない』と、己らの責任を回避する。

だから、そんなことせず、己らの阿呆さ加減を認め面子を捨てて、愚直に俺らの意見を聞き、支店のバックアップをすればいいのによ。俺はそう思う。見ていて明らかに間違っていれば、きちっと指摘してやらねばならんじゃないのか」

杉山が同調した。

「まったくだ。杉山、いいこと言うぜ。その通りだ。奴らなんか現場も知らず能力がねえもんだから、何の手も打てず、口先だけでこれやれ、あれやれと檄を飛ばすだけだ。そうかと思えば、相も変わらず現状にそぐわぬ昔の施策を、ただ名前を変えて打ち出しているに過ぎない」

そこで、小倉が相槌を打ち忠告する。

「まあ、上田。ここで言うのはいいが、職場で檄飛ばすのは程々にしておかんと疎んじられ、また追放異動になりかねねから気をつけろ」

「ああ、そうするよ。過去にそんなこと経験したから……」

上田が冷めたお湯割りを口に運び、そして残り少ないグラスを見て視線を飛ばし、店員を見つけるや大声で注文した。

「おおい、焼酎のお湯割り一つ持ってきてくれ!」

直ぐに店員が気づき飛んで来た。

「はい、焼酎のお湯割りですね」

確認する間に、上田が二人に尋ねた。

「お前らもお替り要らんのか。今夜は徹底的にやるぞ!」

小倉が応じ、お湯割りを飲みきった。

「そうだな、俺もお替り貰うわ」

「杉山はどうする?」

「俺か、俺はまだいいや」

「そうかい」

頷きつつ、景気づけに上田が残りを一気に飲み干した。

「ぷはっ!それにしてもなんだ。やっぱり俺らは、飲むと必ず会社の話になるな。因果としかいいようがねえが、それも過激になるばかりだ」

言ったそばから、己の愚痴に気づき詫びる。

「おっと杉山、さっきは悪かった。屁理屈言って怒った俺だって、お前と同じように愚痴っているんだから。まったく情けねえよ。本当にすまねえ」

上田が申し訳なさそうに手を合わせた。すると、杉山が笑みを浮かべ返す。

「いいや、いいんだ。互いに安月給の宮仕えさ、こうして酒を飲み愚痴るのが常套手段だ。何も俺らだけじゃなかろう。サラリーマンなら大方同じだよ。まあ、なかには共通の趣味仲間で飲むこともあろうが、そういう場合は、仕事の話はまったく出ないらしい。しかし、俺なんか趣味があるわけじゃなし、他にのめり込むこともないんでな。そりゃたまにはゴルフへ行くが、そんな話題で長時間酌み交わすことなど出来ん。ものの一○分もあれば尽きちゃうからよ。ところで、お前はどうなんだ?」

ちびやりながら、聞く小倉に振った。

「いや、俺だって無趣味だもん、休日なんか退屈でたまらねえ。何時もかみさんに、昼間ごろごろしないでくれと溢される。しかし、だからどうしろってんだ。一日中パチンコでもやっていろと言うのか、そんな多く小遣い貰ってねえや。それに朝から酒を飲む気分でもねえしな」

「どこも同じだな。俺だってそうだ。だからなるべく、ゴルフ練習所へ行くことにしている。家に居ると女房がうるさくて」

杉山が同調した。しかし、こんな話題は長続きするわけがなく、盛り上がらぬまま途切れてしまった。三人とも手持ちぶたに、焼酎のお湯割りを口に運ぶ。店内のざわめきとは対照的に、違和感のある沈黙がその場を包んでいた。

そんな時、杉山が思い出したのか、ふいに尋ねた。

「ところで上田、お前、陶芸をやっているんだよな。最近どうなんだ?」

「ええ、どうなんだって?」

「ああ、休日は何をやってんのか聞いたまでのことだ」

「休日か。まあ、土曜日は昼近くまで寝ていて、ゆっくり起き朝飯兼昼飯を取る。それから食休みをした後陶芸を始める」

「そうか、それで出来具合はどうなんだ?」

「まあまあだ。寒い時期は粘土が冷たくて辛いけど、暖かくなるとやり易くなり、時間があっという間に過ぎるよ。ここのところ、ちょっと一休みしていたんで、これからまた本格的にやろうと思っている。そうだな、作るとしたら一輪挿しなんかいいな。それも小振りのやつ。黄イラボの釉薬をかけて焼くと、出来映えもなかなかおつなもんだぞ。そうだな、これから季節もよくなるし、打ち込めば忙しくなるな」

ここで小倉が口を挟んだ。

「へえっ、それって休みの日にやるんか?」

上田が応える。

「当たり前だ。それ以外の曜日は仕事で出来ないだろ。だから、陶芸を始め出すと、土、日曜日は忙しいし、あっという間に時間が経ってしまう。陶芸小屋に入り浸りでやるからな。そのかわり没頭するんで、すごく疲れる。でも、集中して取組むから気分転換になり、体調はすこぶるいい。他のことを一切考えず入れ込むからな。ただ、雨の日はやらん。晴れていなけりゃ器も乾かないし、作業工程上無理なんだ。これもお天気任せの代物さ」

頷く二人を前に、たとえ話を切り出す。

「ところで話は変わるが、農家だって田植え時期は総出でやるし、兼業農家の場合、農繁期は会社を休んで従事するものな。俺もこれから陶芸の陶繁期というのを作り、この時期は仕事を休ませて貰うか。どんなもんだ?」

「馬鹿言ってんじゃねえよ。そんなの認められるか。だいいちそんなこと申し出たら、お前の上司ならずとも『ずっと休んでいいよ』って言われちまうぞ。『何なら陶芸とやらに専念し、退職届を出して貰っても構わないですよ。そうすれば、気兼ねなく打ち込めるんじゃないですか』なんてよ」

「そりゃ困る。くびになったら、趣味で飯は食えん。しっかり給料を貰わなきゃ、好きな陶芸も出来ねえしよ」

杉山の脅かしに、上田が慌て気味に繕った。すると杉山がぼやき願う。

「しかし羨ましいよな、上田の趣味は。ところで沢山作るんだろ、なあ、一個ぐらいくれねえか。噂じゃ、いいもの焼いていると聞くが?」

「ああ、いいよ。けれど、いいものかどうか、俺が気に入っても、他人の評価は分からねえ。そうだな今度会う時、持ってきてやるよ。もし気に入らなければ、割るなり捨てるなりしてくれ」

「おお、有り難い。家に飾っておくよ。まさか捨てるなんてもったいないぜ」

そこで真面目っ面して、やおら上田が告げた。

「おお、そうだ。言い忘れたが、俺の作った陶器は、ただではやらんことにしている。一個五百円でどうだ」

杉山が呆れ顔で問い質す。

「何、五百円。お前、俺らから金取るのか?」

それに応え、上田が鼻をつんと上げ、自慢気に能書きを垂れる。

「まあ、よく聞け。『何だ、ふざけるな』と、言いた気な顔しているが、五年後には必ず五万円になる。今、この値段で買っておけばそれくらいの投資価値に必ずなるから、だから騙されたつもりで払え。いい利殖になるぞ、間違いないって。

それに、俺の作品は年季が入っている。ロクロを廻してはや十七年。そこらの素人とは一緒にしないで貰いたいね。

まあ、お前らみたいなズブの素人には、俺の作品がどれだけ良いものか。価値あるものか分からんだろうが。俺の言うことに待ちかえないから」

すると、呆れた杉山が口を尖らせた。

「何、能天気なこと言ってんだ。本気で金取る気か。それに俺ら仲間内でも金をとる気かよ」

すると、上田が傲慢に顔を横に振る。

「いいや、ただではやらん。本来、投資家というものは、ただでは譲り受けないものだ。金儲けしたけりゃ、たかが五百円がなんだ。この焼酎のお湯割り一杯分ではないか、安いもんだ。これこそ、ただみたいなものだぞ。騙されたと思って出しときな」

ここで、小倉が割り込む

「何、言ってやがる。お前の作品など、五年後に五万円なんかになるわけがねえ。だいたい、もうすでに騙しているじゃねえか。口車に乗れば五百円搾取されるようなもんだ。まあ、お前が死んだら少しは値上がりするかも知れねえがな。それにな、上田。ちょっと買い被っていねえか、もしくは自信過剰というのか。お前が死んだって、値上がりなんかするわけねえやな。そんな代物だろう」

蔑み貶した。更に調子により杉山が同調する。

「まったくだ。小倉の言う通りだぞ。お前の口車になんか乗ってたまるか。俺らを騙せば、ろくな死にかたしねえと思え!」

「おいおい、二人して俺を殺す気か。それに、俺の陶芸家としての腕が分かっていねえな!」

上田が反論し、能書きを垂れた。

「まあ、金取るのは冗談として、だいたい芸術品と言うのはそういうもんだろ。世間じゃよく言われるが、『名品は騙されたと思っても買っておけ』ってな。一級品ともなれば、作者が死んだ後必ず値が上がっている。だがしかし、俺のは違うぞ。むしろ、五年後には一躍有名人となり、名前が売れてでもみろ。それこそ価値が鰻上りだ。五万どころか、十万、二十万も夢ではない」

能天気に花火を打ち上げると、それに乗って小倉が茶化した。

「ただ、例外もあるそうだ。作った奴が死んだらぼろが出て、逆に二束三文になってしまったとか。それにお前の場合、有名人なんかになるわけがねえ。それどころか、そこいら辺で野たれ死んでいるのが関の山だ。その辺が相場というもんだぜ」

「馬鹿言うな。そんなこと言うんだったら、値上がりする陶器はやらねえ。それでもいいんか!」

「そう言うな、大事に使うからよ。俺はその一輪挿しに、何気なく野の花でも挿すから、どうだ、上田。趣味がいいだろ。これならくれるよな?」

杉山が、剥きになる上田を静めた。すると、その一言で上田が平常心に戻り、諦め顔で講釈し出した。

「しかしお前らのような素人には、原点から話してやらねば分からんだろうな」

「な、なんだよ。原点っちゃ?」

小倉が怪訝な顔をすると、上田が応える。

「決まっているだろ。原点と言うのは陶芸の基本さ」

「何だ。それだったら、始めから気取らずそう言えばいいだろ。また上田のこった、場の白けるような堅い話でもするんかと勘ぐったぞ」

「まあまあ、そんなんじゃない。ズブの素人に、陶芸の素晴らしさを語るには、この原点が分からねえと面白みが半減する。だから親切に教えてやろうってんだ。心して聞いて貰いたいね」

杉山が促すが、直ぐに勘ぐる。

「おお、分かった。それじゃ話してくれや。……いや、ちょっと待て。もしかして、お前の講釈を聞くのに、授業料とか言って金を取るんじゃなかろうな」

「馬鹿いえ、そんなことするか。俺の偉大さを知らしめるために語ってやるんだ。だから、よく聞け」

「分かった。能書きはいいから早く始めろよ」

「ああ、何だか強制されているみたいで、ちょいとおかしくないか。どうもお前らは態度がでかいんだよな。愚直さが足らん。もっと、謙虚にならねえといかんぞ」

「ああ、分かったよ。それじゃ始めて頂けますか。上田教授」

小倉に持ち上げられこそばゆいのか、「うえへん!」と咳払いをし始めた。

「そもそも取り組んでいる陶芸とは、何たるかといえば。土と炎が織り成す宇宙の芸術であって、千三百度まで上げられる窯内は器と炎の攻め合いの場と化す……」

途中で杉山が口を挟んだ。

「おいおい、上田。そんな堅苦しい話しを聞かされたって、面白くねえな。もっと柔らかく話して貰えねえか?」

すかさず小倉も同調した。

「そうだよ、上田。お前の能書きはどうでもいいんだ。そんなの割愛し、先へ進めてくれや」

「てやんで、お前らみてえな疎い奴に、こんな高尚な話はむかねえんだった。ころっと忘れていたぜ。それじゃ、ちょっとレベルを落としてやるか」

「おお、そうしておくれ」

小倉が惚け顔で返した。すると上田が、唐突に尋ねる。

「おい、小倉。お前、陶器と磁器の違い分かるか?」

「えっ、陶器と磁器の違い?そんなの同じだろ?飯食う時の茶碗や、茶を飲む湯呑み。みなおんなじだろうが」

「そうか、やっぱり小倉の頭の程度はそんなものか」

「何だよ、その言い方は。まるで俺が馬鹿みてえな言い方じゃねえか」

口を尖らす小倉に、上田が貶し説いた。

「ああ、馬鹿みてえじゃなくて、馬鹿丸出しだぜ。そうだろ、陶器と磁器の違いがまるで分からない。両器は同じじゃねえぞ」

それでも突っかかる。

「そうかい?俺には同じく見えるがな。それじゃ、どこが違うんだ!」

「それじゃ、違いを教えてやる。茶碗は磁器で、湯呑みは陶器が多い」

説明されるが、区別がつかない。

「ううん、茶碗が磁器で湯呑みが陶器か……。分からん、どこが違うか説明しろよ」

「小倉、よく比べてみな。どこに違いかあるかを」

益々分からなくなり焦れた。

「そんなこと言ったって、ここじゃ茶碗なんかないし、湯呑みだってねえから、比較なんか出来ねえよ」

「確かにそうだな。あれば一目瞭然だが。なければ仕方ない。磁器と言うのは、そうだな茶碗を思い出してみろ。器が薄いだろ。それに比べ湯呑みは、ぼってっとしていねえか。杉山、どうだ?」

「ああ、確かに上田の言う通りだ。小倉、思い起してみろ。そう言えば茶碗はそんなもんだ」

「そうだ、いいものがある。ほれ、そのポテトチップが盛られている皿、それは磁器で出来ている」と、上田が具体的に説明した。

「なるほど。これが磁器か」

小倉が皿を手に取りまじまじと眺め、更に疑問を呈する。

「それじゃ、コーヒーカップや、カレー皿なんかも磁器と言うことか?」

「おお、そうだ、磁器製品だ。分かってるじゃないか、小倉!」

「と言うことは、これらの磁器と比べ、陶器というのはどんなもんか?」

小倉が上田に逆質問をした。すると概略を説明する。

「おおよそ湯呑み花瓶なんかは、陶器ものが多い。勿論、コーヒーカップだって陶器のものもある。それに茶道で使う抹茶茶碗なんかは陶器だ。まあ、湯飲みなどは両方あるがな。

陶器の特徴は、何といっても磁器のように薄く繊細なものじゃなく、どちらかと言えば肉厚でどっしりしたのが特徴だが、二人には分かるかな?」

「成る程、そう言われれば何となく分かる気がするよ。磁器は確かに生地が薄いし、湯呑みのような陶器はぼってりとして土臭い感じがするもんな」

頷く小倉に、上田が念押しした。

「そう言う感じで見分ければいい。どうだ、分かったか?」

「おお、了解。これで、俺らも芸術家の仲間入りができるな」

小倉が嘯くと、直ぐに上田が貶した。

「馬鹿野郎、そんな区別は当たり前だ。磁器と陶器の違いだけで、芸術家気取りはちゃんちゃらおかしい。そんなこと常識だから、他人が聞いたら笑われるぞ。小倉、決して人前で吹聴するんじゃねえや!」

「分かったよ。自慢して喋らなけりゃいいんだろ。控えめに違いをを話せば株が上がるかな?」

「さあ、どうだか分からん。何なら試したらどうだ?まあ、恥を掻かない程度によ」

「そうかいそうかい、俺を馬鹿にしやがって。さあ、次へいってくれや」

すね顔で小倉が促した。

「それじゃ、陶芸論を進めさせて頂きますよ。俺の取り組む陶芸は、磁器でなく陶器だ。従って、土の香りが漂う器と言うことになる。湯呑みや花瓶、それに抹茶茶碗といろいろ作ってきたが、窯から出す時の土の香りが何ともいえん」

「はあ?陶器は焼き上がった時に、土の香りがするんか?」

また小倉が愚問を呈し推測した。

「しかし、パンを焼く時に香ばしい香りが立つように、出来上がりは土の香りがするんか……。どうも分からんな?」

すると、杉山が窘める。

「おいおい、何を馬鹿なこと言って。そんなことあるわけねえだろ。パンを焼くのと違うんだ。土の香りなんかするもんか!」

「何だよ、お前が今言ったじゃねえか。だから、不思議だと思いつつも言ったまでだ!」

にやけ顔になり上田が説く。

「まあ、小倉には難しかったかな。この土の香りと言うのは例えで、本当に漂うわけではない。陶器と言うのは磁器のもつ繊細さではなく、ぼってりとした土臭さが特徴だからそう言ったまでだ。分かったか、小倉君」

「何だ、そうか。それなら始めからそう言ってくれればいいのによ。まったくお前は理屈っぽくていけねえや」

「まあ、芸術家は夢を追っているから、このような表現になるのさ。君も少しは芸術をかじったらいい。さすれば、俺の話についてこられるから」

「はいはい、分かりましたよ。これからその芸術とやらを、もろきゅうのようにかじってみますよ。さぞ味噌味がするんでしょうね」

すね気味に揶揄した。

「何、馬鹿なこと言ってんだ。かじると言っても、胡瓜を食うわけじゃねえ。その道に進んでみろということだ。阿呆なこと言われると調子が狂うぜ。それじゃ、脇道に逸れたんで本論に戻すか」

「あれ、上田先生。これで終わりじゃねえんかい?」

ため口で杉山が言った。

「おお、まだ終わっちゃいねえ。これから真髄を語らにゃならん。油滴天目の陶芸論をな」

「な、なんだ。その油滴なんとかというのは?」

小倉が興味深気に半身を乗り出すと、ここぞと鼻を突き上げる。

「それじゃ、皆様の熱き要望で、油滴天目について論じさせて貰うことにする」

「待てよ、別に要望したわけじゃねえぜ。お前が言い出したことだろ」

小倉のマジ顔で否定するのをよそに、構わず続けた。

「まあ、そう硬いこと言うな。聞きたいだろ、知りたいんだろ。油滴天目とは何かをよ」

「まあ、どうしても話したいなら、聞いてやるから話してもいい」

小倉の冷めたもの言いにも動じず、得意気に喋る。

「やっぱり聞きたいんだよな。君らの顔を見れば、そう書いてある。それじゃ説いてやるか。油滴天目の芸術的見地での素晴らしさを」

上田の調子が、ますます鼻高になった。

「この油滴天目という釉薬は、他のと比べ使い勝手が難しい。と言うのも、灰釉や、イラボ、それに織部、コバルトなどの釉薬は特徴があり、それを見極めればそれ程難しくはないが……」

途中で話を止めるや、小倉の様子を窺った。

「あれ、小倉君。難し過ぎるかな?」

「いや、大丈夫だ。これしきの話で分からなくなる俺ではない。上田君、気にせず先へ進めてくれたまえ。それに俺をかまう前に、杉山君がついてこられないみたいだが。ほれ、ほかんと口を開けて、阿呆面しているぞ」

解ったような顔して振った。すると、杉山が慌てて惚けた。

「おっと、いけねえ。あまりにも高尚で芸術的な陶芸論を聞いていたんで、その世界に入り込んでしまった。まあ、何ていうか。釉薬によっては、使い勝手と言うものが一番の問題だな。そう理解できる。そうだろ小倉君。ところで君の場合は、この理論が分かるのかね。それに僕のことは気にするな。どんな体であろうと、余計な気回しはしないで貰いたいね」

訳の分からぬことを言い小倉を咎めた。

「まあ、いいじゃねえか。二人とも互いに責め合わなくても。この釉薬の話は、素人ではなかなか理解できるもんじゃない。実際に陶芸をやっていれば別だが、そうでなければ知らぬと言うか興味が湧かんものだ」

そう上田が説くと、杉山がこれ見よがしにのたまった。

「そ、そうだろうな。俺もそう思っていたよ。まあ、知識が邪魔して、つい出てしまった。俺みたいに学が有るのは辛いもんだぜ」

すると小倉が、小馬鹿にする。

「何、能天気なこと言っている。見え透いた嘘は墓穴を掘るぞ。杉山、白状しちゃえよ。上田の言っていること分からねえんだろ」

「何、言いやがる。お前だって理解できねえくせに!」

「分かった、二人共もういいよ」

剥きになる両人を制止し、次に移った。

「さっきの油滴天目の話だが、これには俺も随分苦労した。と言うのも、この釉薬は、細心の注意を払い焼いても、一筋縄じゃ上手く模様が出ない」

「何だ、その模様って?」

小倉が疑問をぶつけると、杉山も興味を示す。

「ああ、これはな。素焼きの器に、この釉薬をかけ本焼きを行うんだが、思ったように油滴の模様が現れない。他の織部や灰釉薬などは、比較的簡単に色が出せる。ところがチャレンジして、何度失敗したことか……」

「へえ、そんなに難しいのか。その油滴天目とやらは?」

小倉が驚きの表情になった。

「俺にはら分からんが、陶芸専門雑誌での油滴天目茶碗の写真を見ると、よく模様が出ているよな。そんなに難しいもんか?」

杉山が小利口そうに疑問を呈した。

「俺も陶芸家の端くれだ。一度や二度の失敗で諦めるわけにはいかねえ。何としても成功させると決意して、窯の中の置く場所を失敗する度に変えたり、釉薬の掛け方を変えるなど試した。それで、ようやく模様を出すことができたんだ」

小倉が驚きの表情で告げる。

「本当かよ。それはすごい。大したもんじゃねえか。機会があったら、その油滴天目を是非見せて貰いてえな」

「ああ、いいとも。でも試みたのは茶碗でなく、大きな花瓶で挑戦した。だから、ちょいと持ってくるわけにいかねえな」

小倉が更に尋ねた。

「上田よ、大きな花瓶って、どれくらいだ?」

「そうさな、高さが二十五センチ、横幅が約三十センチぐらいかな」

「結構大きいじゃねえか。そんな大きいの作ったんか?」

「ああそうだ。どうせ作るなら、それくらいの方が迫力があっていい。持ち上げるとずっしりして、浮かび上がる油滴が何とも素晴らしい。まあ、苦労した甲斐があったと言うことかな」

「そうだろう、分かる気がするよ。何事も苦労して得たものは、それだけ感動として返ってくるからよ」

上田は話が真に伝わるなら、機会があれば二人に是非見せてあげたいと思った。

「ところで、話しは変わるが。杉山は儲け話を拒んだが、お前はどうだ。一口でも二口でも乗ってみる気はないか?」

小倉に尋ねた。すると、聞かれて戸惑う。

「俺か、俺は止めとくわ。上田の苦労は分かったが、その努力が必ずしも将来価値が上がることとリンクしないと思う。まあ、芸術とはそんなもんじゃないんか?」

期待外れになってか、上田が愚痴る。

「ちぇっ、薄情な野郎だ。お前ら、そんな奴らとは思わなかった。その気にさせようと、熱弁をふるって損した。ああ、忌々しいったらありゃしねえ!」

忌々しそうに舌打ちした。すると、その様を見て小倉が貶した。

「やや、とうとう本性現したな。やっぱり、お前は根性が曲がってら」

「てやんで。分かったよ、分かった。今度もって来るから。それでいいだろ」

けつを捲くる上田を、小倉が説き伏せる。

「まったく、端からそういう謙虚な気持ちになればいいんだ」

「はいはい、分かりました。プレゼントさせて頂きますよ。しかし、妙な気分だな」

諦め口調で告げると、杉山が促す。

「上田、深く考えるな。それでいいんだ」

杉山ら二人で上田を攻略していた。上田は妙な気分だったが気持ちを切り換えた。

「ところで、小倉、お前はどんな風に使ってくれるんだ。投資と思って五百円出し、五万円になるまで保管しておくか?」

諦め悪く勧めるが、さらりと交わし夢物語を語る。

「いや、そんなことはしないさ。ただで貰って、ちょいとお洒落に一輪の薔薇でも挿し、食卓テーブルにそれとなく置く。日曜日の遅い朝。パンを焼く匂いと、カーテン越しに朝日が薔薇に当たりゴージャスな雰囲気を醸し出すんだ。どうだ、杉山。お前の野草と違って、俺の方が洒落ているだろ」

「何、言いやがる。そんなことしたら、お前のかみさん腰抜かすんじゃねえか。仰天し、『あんた、どこか具合でも悪いの?』ってな。目ん玉丸くして虚仮にされるぞ」

挑発に杉山が茶化すが、直ぐに小倉が反発する。

「馬鹿言え、そんなことあるか。俺だって、たまにはそれくらいやるさ。そうすりゃ女房が惚れ直して、『ねえ、今晩どう?』なんて誘うかも知れんからな。そしたら、そんなゴージャスな気分のまま励んじゃうぜ」

途端に杉山が返した。

「何抜かす。そんなことあるわけねえだろ。だいいちお前自身、あっちの方は何年もご無沙汰してんだろ。そんな元気とっくにないくせに、まったく証拠にもなく見栄張りやがってよ。現実と夢がごちゃ混ぜになって、年甲斐もなく淡い願望だけが、お前を癒しているだけじゃねえか」

「何と、そこまで言うか。それじゃ、杉山のところはどうなんだ。お前のところなんか、端からそう言う雰囲気作りしてねだろ。そこら辺の野草なんか活けているようじゃ、かみさんに軽蔑されるだけだぞ」

小倉の反撃に、杉山が応戦した。

「馬鹿野郎、それが自然を取り込んだ演出だと言うことが、お前みたいなぼんくらには分からねえだろうよ」

「何をほざく。そんなの詭弁というものだ。俺の演出の方が数段優れている。なあ、上田。そうだろ?」

小倉が振った。

「まあな。どちらも優劣付け難い。俺としては、花瓶が夫々の持ち味を生かしてくれたらそれでいい。作者としては、そんな気持ちだぜ」

「そんなもんか。いや、それでどうなったんだっけ?」

すると、杉山が小倉に投げた。

「ううん、何だ?」

「あっちのことだ。だいたい、小倉は直ぐに格好づけやがる。その気もねえくせに見栄ばかり張って」

「ううん、面目ねえ。つい虚勢を張ってしまった。たまには、あっちの方も頑張ってみたくなってな。すまん……」

小倉の詫びに、杉山が虚仮にした。

「それっ、見たことか。空虚勢ばかりでよ。だいたいが朝起きた時だって、若い頃のように元気がねえだろ」

「おいおい、俺だけに言うことないだろ。お前だって同じじゃねえか!」

思わず反撃すると、杉山がたじろぐ。

「ううん、そう言われれば、返す言葉がねえけどな……」

「まあ、二人ともどうでもいいが、とにかく今度会うとき持ってくるから楽しみにしてくれや」

上田が貶しつつ、思いを告げた。

「しかしよ。俺もお前らと同じように、なにの方がすごぶる元気なくなったよ。寂しい限りだぜ」

二人の顔を見比べ溢し、興に入ったのか酒もすすみ、趣味話を絡ませ暫らく盛り上がっていた。




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