第3章物憂げ



上田が、焦点の定まらぬ阿呆面で、信号待ちの交差点でたたずみ、止みそうにない鉛色の空を覗い、恨めしそうに嘆いた。

「まったく、嫌になっちゃうな。雨ばかりでよ……」

朝起きた時から、鉛色の雨が降っていた。それでも気分が優れぬまま重い足取りで、何時ものように勤務先へと出勤していった。

くそっ、朝っぱらからどうして憂鬱な気分になるんだ。そうか、こんな雨が降っているからだな。だいいち、昨夜は二日酔いになるほど飲んじゃいねえし、この鉛雨せいだ。

時々、痛む頭を軽く叩き胸内で愚痴った。

それによ、酒の肴にしちゃ話題がよくなかったな。昨夜の話じゃねえが、思い出すと頭にくるぜ。

口を尖らせた途端、「ずきん!」と頭の芯に激痛が走った。

「ううっ、痛ってて……、頭が痛てえな。それにしても好き勝手なこと喋って、ちゃんぽんしたせいか悪酔いしたかもしれんな」

ぼやき、こめかみを押さえた。

それにしても、おかしなもんだよ。酒の席であれ何であれ、俺たちが、あんなことばかりぼやいていちゃいけないとは、必ずしも言えねえだろうに、そうだろ。偽りでもねえし、多少衣を被せているが事実なんだから……。

蒸して混む車内で、上田はつり革に掴まり、二日酔いのせいか憂鬱っぽい顔で空ろいでいた。

結局、昨日から降る雨は、己が気持と同じく晴れぬまま、昼過ぎになっても止まず、更に鉛色の雨足を強めることとなった。陽射しを欠いた空は、朝と昼の区別すら出来ぬまま、降りしきる雨はそれでも飽き足らず、たっぷりと天空の涙を落としていたのだ。

通勤電車が陸橋に差し掛かると、車窓から見る入間川の流勢いは、何時もはせせらぎの川音を軽やかに放ち、川石の隙間を緩やかに流れる川面であるが、今日ばかりはぼやき涙の溢れる濁流の如く、まるで時代の波に取り残された歯車の愚痴溢しと、昨夜の罵声の交じる飲み屋の蝉時雨のようなざわめきと同じように澱み、自身の心内を映す虚勢の如く流れていた。

そんな澱みに溺れかけた雑草たちは、時代の変化という波間に飲み込まれまいと、必死に土辺りにしがみつくのだが、世の流れは濁流のように速く、それに馴染めず、また受入れようともせずに、ただ過去の亡霊にしがみつき、魔酒の力に背中を押され必死に抗らがっている。その姿はまるで、足元をすくわれ流に飲み込まれまいと、遮二無二もがいているような光景すら漂わせる。

そんな中、上田が醒めた眼で嘆いた。

「何で今更こんな目に合わなきゃならんのだ。俺らが懸命にやってきたことを酒の肴にして何が悪い。畜生め……」

会社組織から、外されて行くような風潮に悔しいのか、または濁流に勢で乗り切る若者らが羨ましいのか。はたまたその姿が過去の己自身であるかの如く空ろいの中で映り、恨めしそうにぼやいた。

そしてその有体は、古びた歯車が、濁流の渦巻く会社組織の中で、振り落とされまいと必死にしがみつく、磨耗した部品となり組み込まれているに過ぎないのだ。その古き歯車たちでさえ、何時ぞやは、企業戦士などと持て囃されていたが、今では単なるカビの生えた遺物に過ぎず、己の内で煌びやかに映る過去の残像を捨てきれぬまま、空虚勢を誇示しているだけなのだ。

そんな草臥れた後姿は、とっくに存在価値など失っているにも係らず、若きあり日の勇ましき雄姿を、古夢の如く後生大事に持ち続けているに過ぎない。

そんな疲弊した歯車こそ、己自身だということを、現実には分かっていても認めることを避ける。否、自身気づいていても酒の力を借りねば、直視できずにいるのだ。

やるせない気持ちを紛らわそうと、時々逃げ場を求めて夜の酒場に逃避する。酔いが廻われば、出るのは百家争鳴の愚痴ばかりだ。

「そりゃ、あの阿呆上司に小馬鹿にされ頭にきたけれど、まあ、何時ものことと受け流したが、心の奥に残るわだかまりを静めようと、昨夜だって軽く一杯と寄り道しただけなんだ」

言い訳するが結局深酒となり、懲りもせず年下上司を虚仮下ろす羽目となる。

「いくらお前さんが偉いからと、俺たちのような古株を蔑ろにしているが、それでいいんか。口先では調子よく合わせるが、俺らの意見など受け流すだけじゃねえか。何だかんだと言いくさり、あんたの上司の顔色ばかり窺っているだけだ。

だいたい、お前らのやっていることはなんだ。部長に取り繕うことばかりで、後は俺らに都合よく茶を濁すだけ。そんなことでいいのか。もっと、己が責任ある立場にいることを考えろってんだ。そうじゃなければ、若い奴らに日が当たらねえばかりか、お前の踏み台になるだけだ。それでもって、不相応な高い給料貰っているんじゃ、薄給の俺ら部下が泣くぜ」

更にボルテージが上がった。

「言わせて貰えば、部長にしてもそうだ。激変する世の中にあって、我が社が何をすべきか、我が部に何が必要なのか。という根底から熟考した施策を打たなければ駄目なんだ。それが頓珍漢な愚策ばかりで。それを上司面してお高く止まり、部下の意見もろくに聞かず、役員の機嫌取りばかりしている。そんなご都合主義でいいのか。俺は、それが許せんのだ!」

上田が赤い顔で語気を強めた。それでも収まらず空ろう。

「まったく、能天気な野郎らばかりだ。いい加減腹が立つし、情けなくなる。何時までも糠に釘じゃ、終いには阿呆らしくなるぜ。くそっ、酒でも飲まなきゃやってられねえや!」

憤る気持ちを鬱積させ、投げやり口調となり、安酒を喰らって酔い潰れる。

そんなんで、こんな俺らのような平社員のストレス解消には、会社帰りに居酒屋で飲む一杯が大いに貢献するもんだ。気心知れた仲間同士でグラスを傾け、冷えたビールを一気に喉奥へ流し込む。

「ぷはぁっ、美味え。うむっ、腹に染みるな!」

最初の一杯が気分を爽快にさせる。けれど、たらふく腹に流し込むと、一日積もった鬱憤を晴らすように、辺り構わず愚痴が吐き出される。こんな情景は場末の飲み屋が常套だ。勿論、すべてがそうとは限らぬが、ここは概ね当たっている。それは若手であろうと理由はともかく、世代を超えて同様な光景が常套となる。

若者は酒を飲み騒ぎながら、日頃の不満から上司の悪口を語らい、それで場が盛り上がる。古株といえば、若手の未熟さを罵り、彼らの如く上司の悪口を吐き酒量が増す。そこでの違いは、若手らは話題の一つに過ぎず、次々と会話が進展して行く。ところが錆びた歯車は、大方その話題で始終する。それでも飽きると、止む無く己が会社の論評へと移る。それも酷評になるのが定番で、ボケの進むが如く繰り返すのだ。

従って、若者たちの肴は常にこんな具合になる。

「今晩、これからどうする?一杯やった後カラオケ?いや、最近運動不足だからボーリング?それとも彼女とラブホ?そうだな、今日のところは、梯子して飲み明かそうか。待ちに待った週末だ、大いにブレイクしようじゃないか」

後ろ向きの話題など皆無だ。ところが、酒量の進んだ古株たちはこうなる。

「俺らには昔のことしか分からねえが、それにしても、まったく嫌になるぜ。今時の若い奴らは覇気がない。と言うか、ガッツが足りねえんだよ。考えると酒が不味くなる」

とのたまい、更に頭に乗りまくし立てる。

「それにどうして、こうもうちの部長連中は風見鶏野郎ばかりなんだ。部下のことなどそっちのけで、己のことしか考えねえじゃねえか。それにどうなっているんだ、この会社は。相変わらず頓珍漢な方向に進んでいるし、誰も咎め修正しない。おかしいぜ……」

歯痒そうに舌打ちし、終いには会社の現状も愚痴り出した。

このように、出発点と捉える若者たちと、終着点とする古株たちとでは、自ずと違いが生じるものだ。先を見据える若者と過去を懐かしむ老者。肴でも明と暗になる。勿論、すべてがそうとは限らない。時には若者とて暗の愚痴が勝ることもあり、老者でも明の愚痴になることもある。ただ、時々と常々の違いだ。

また、両者が酒宴で同席ともなれば、古株と若手の間にその違いが如実に現われる。それが証拠に、めったにない職場内での酒宴での会話の中に、それが窺える。

酔いが廻り始めると、立てる若手の前で、偉そうに嘯く先輩面した古株。分かっていても、そうせざろうえない古い歯車。古株が説教の如く意見をたれる。今では役に立たぬ錆びた武器を持って砂山に上り立ち、揺らぐ足元を気にしながら、仏頂面して空虚勢を張る如くだ。それを窺う若者が、またかと堪えて聞く。勿論、腹の中では胡散臭いから止めろと叫ぶ。

そんな古株の苦言は何時もこうだ。

「お前ら、分かってねえな。昔はこんなもんじゃなかった。大きな声じゃ言えんが、俺らの若い頃は残業時間など三六協定違反が当たり前で、夕飯も食わずに一ヶ月八十時間以上はざらだったし、多い月は百時間をゆうに超えた。それに休日出勤は日常茶飯事で、己の時間などなく仕事に入れ込んだ。当時はそれが常識だったからな。

それがどうだ、お前ら。……それにしても、昔の俺らと比べ根性がねえし、ガッツが足りねえんだよ!」

若者にして見れば、そんな時代遅れの説教など、聞く振りをして、「今じゃ役に立たねえ古道具なんだよ」と嘆く。更に、「お爺ちゃんよ、何を寝とぼけたこと言ってんだ。時代が違うぞ。そんな雑言聞いても、今の俺らには何の役にもたたねえ。うざいんだよ、だからいい加減にしてくれ、胡散臭くて耳障りなんだってば。

だいたい、労働基準法を何と考えてんだ。月四五時間超の残業は三六協定違反だぞ。それを平気で犯しているんだ。昔はどうであれ、今じゃ通らねえんだよ。それも分からず、自慢気に大法螺吹きやがって、能天気としかいいようがないぜ」

このように貶すし行動も違う。だから神妙に聞いている振りして、内心蔑み馬鹿にするのだ。

それに、飯も食わずに残業だとか、休日なしの労働なんか様にならねえよな。そんな根性だの、ガッツだのと今は流行らん。そうじゃねえんか?ただ、漠然と過酷な労働をすればいいというもんじゃない。今は電子化の時代だ。いかに頭を使いスマートにやるかだ。そんなことも分からず、あんたらの能書きは時代錯誤というもんだぜ。

更に若者は、古株の虚勢を根底から覆す。

仕事なんて、自分の今をエンジョイするために稼がせて貰うものだ。己の時間を犠牲にしてまで、会社のために働こうとは思わんね。昔と違うんだ。国だってゆとりある人生を推進しているだろ。何もがむしゃらに働けばいいんじゃねえ。それなのに、あんたたちは、今の己を棚に上げ、偉そうに遠吠えしいるだけだ。まったく、役に立たねえ辛気臭いことばかり言ってやがる!

心内で虚仮下ろした。そんな若者の心情も掴めず、古株は調子に乗り喋りまくる。

「いくら労働環境が変わっても、仕事上休日返上にでもなれば、若い奴らは直ぐに不平不満の嵐だ。それだからだらだらとやり、当然のように振替休日を取る。昔と今では、仕事に対する熱意が違う。それにしても最近の若い奴らは、風邪を引けば、あそこが痛いの、ここが痛いと言っては休みを取る。昔はな、仕事を一番に考えて、少々の熱があろうと出勤したもんだ。

だが、どうだ。まったくもって、筋の通った根性論など通用しねんだから。こんなことじゃ先が思いやられるぜ」

仕事一筋に生きてきた錆びた歯車は、若者の行いを見て内心羨むように、むしろ真似の出来ない嫉妬心を抱きながら胸内で酷評する。

今の若い奴は、これだから駄目なんだ。覇気がないと言うか、まったくもってだらしがねえ。それにしてもよ……。

過去の己の無茶な仕事振りを正当化し蔑み妬む。確かに、若き頃はがむしゃらに取組んでいたが、それこそ過去のものであり、今の己の有体を棚に上げ、昔の経験を煌びやかに飾り、得意気に誇張することこそ虚勢というものだ。誰もが胡散臭いと思い、組織の中ではそんな昔を吹いても詮無いと、正面切って止める若者が出てこない。

結局、表面上神妙な顔で聞き、仕方なしに煽てた。

「そうですか。それは大変だったですね。昔、先輩たちは、それほどご苦労されたんですか。それは、それは……」

でも、醒めた目で内心貶した。

また始まった。酔っ払うと、何時もこれだ。何度言えば気がすむんだ。いい加減止めてくれ。過去は過去。俺らにとって、今が重要なんだ。どれだけ要領よく合理的にやれるかであり、過去に苦労したのは事実でも、それはえぐいばかりの参考でしかないし、単なる過ぎた事象でしかないんだ。それはあんたらの醜いだけの仕事のやり方で、教科書にはなり得ないんじゃねえか。

古株らもまた、聞く側の反応を見透かし大袈裟に吹聴する。それでいて喋った後に残るのが、単なる独り善がりの田舎芝居だと分かっても、止められず繰り返す。

ああ、若い頃はよかったな……。

終いには、どうにもならぬ焦燥感に駆られ、恨めしそうに若者の後姿を見るだけだ。

情けないことだが、古株はそれが現実の姿なのだ。

そんな孤立感を吹っ切るように、また現実から逃避するため、場末の飲み屋にたむろして酒に溺れ、一時しのぎの安らぎを求めるのだ。それも摩耗した歯車が集まり、安酒を喰らって業に浸る。

それにしても、雑草の歯車たちは企業の将来を熱く語ることはない。でも時々、現状の問題点を追及するが、その場限りで明日に繋がる改革案は二の次になる。仕事帰りに立ち寄る一杯飲み屋で現実を嘆き、はたまた将来を憂える。どちらにしても寄り集まった呑み助の愚弄の肴と化す。

「だからそうだろ。今の若い上司は、格好ばかりつけているから駄目なんだ。気配りとか苦労が足りねえよ」

ひとしきり断じた後は、昔の虚勢を飾り立てだす。

「そう言えば、どうだったかな若い頃は……。仲間を誘って飲み屋に繰り出し、何時も肴は会社にとっての是非論を熱く語っていたっけな。それもよ、血気盛んに口角泡を飛ばし未来像を論じ合った。時には酔いも手伝って、いがみ合ったことすらあったぞ。でも語り尽くすと互いに肩を叩き、そして次は決まって女の話になったよな。こいつが好きだの、あいつを誘って唇を奪っただのと、そんな話が尽きなかった。

やっかみかも知れねえが、お互いに血気盛んだったからな。そうだった、怖いもの知らずだったぜ」

放つ視線が遠い過去を懐かしむ。そんな昔の有体を忍ぶ姿は、傍から見ると何とも哀れなものだ。それこそ人畜無害であっても、現代を牽引する若者には何の糧にもならない。

現実に、そのように見られているとも知らず、古株らは就業時間内はぼけっとしてうだつが上がらず、会社を引け酒を喰らう時間になると元気になる。毎日そんな風に過ごす。

するとその実態を憂い、人事部のお偉方が窓際で眉をひそめ吐き捨てた。

「ここまでくれば、やはり古い部品は、新しいのに交換せねばなるまい。たとえ昔の企業戦士であっても、過去の栄光を引きずっているようでは役に立たん。むしろ、お荷物になるだけだ。それこそ、我が社が置かれる厳しい状況を乗り越えるには、組み込まれる部品が存在価値をいかに備え、発揮しているかであり、それがない歯車は早々に取り替えにゃなるまい。人情論だけで一角を担わしていては、組織が駄目になる。おかしくならないうちに、引導を渡さざろうえまい」

人事部長が目論むと、所属部長が膝を叩いた。

「その通り。我が部から外し捨てられるか、抹消されればいいんだ。まあ、ちょっと言い過ぎだが、早く手を挙げてくたらそれに越したことがない。

頼むから、そうしてくれないか。それでなければ、俺の上司から人事効率が悪いだの、生産性がよくないと小言を言われ、出世の妨げになるからな」

年下の上司が胡散臭気に嘆いた。

そのこと自体、世間の波は常に要求していることであり、求めているのが会社組織なのだ。それも分からず、錆びた歯車は己が置かれる危機が理解できず、その場限りの酒に現を抜かしていることこそ、排除の対象となる。

それでも古株らは、そんな会社の動きに何も感じず、愚痴を溢し漫然と過ごす。何もせず、ひたすら時が解決してくれるものと、ただ独りよがりに愚痴るばかりだ。

確かに酒が入ると、つい感情的に喋っていることもあるが、無意識のうちにそんなことしているのかな……。

上田がうつろった。

そんな時が、物憂げに過ぎて行く。上田が久々に昼過ぎから小用で社外に出た。

こんな雨の日は出たくねえが。相手が来てくれというんじゃ断れない。仕方なく社を出たが、うっかり傘を電車の中に置き忘れてしまった。つい、ぼけっとしていたもんでな。くそっ、買ったばかりなのについてないぜ。

駅舎の片隅で、止む気配のない鉛の空を見上げ嘆いた。朝から夕刻近くまで、止むことなく降り続く雨足が、また一段と強くなっていた。

それにも係わらず漫然と軒下に立ち、何時やむか分からぬ暗雲の空を見上げ、自らどう処せばいいかも考えず、ただ阿呆面していた。

そんなことをしていても、傘を差し延べてくれる者などいない。それをつい忘れ、昔の一城の主の頃と勘違いし待ちわびる。淡い期待など持つこと自体ナンセンスなのに。立ち止まっていず、とっとと冷たい雨に打たれて立ち退ければよいものを。

そのように、どんよりと垂れ込めた雲から、間段なく降る雨足に促されているにも係わらず、胸内で愚痴ばかりが突いてでる。

何で、皆、冷てえな。こんなところで濡れながら待っているのに、誰も迎えに来てくれねえ。昔はな、先輩が困っている時は、促されずとも気を利かせ、傘を持って迎えに出たもんだ。それをよ、何だ。今の若い奴らは、この会社があるのも俺たちが懸命に築いてきた結果だと感謝もせず、自分さえよければ、あとは関係ないなんて考えているんだから。

俺が若い頃は、そんなことはなかった。恩を仇で返すようなことをよ。世の中も、会社の中も昔と様変わりだ。俺にはそれが気にいらねえ。それにしても、温かみのない人間関係になったもんだぜ。

勝手にぼやき、やけくそになってか、また上司を虚仮下ろす。

それによ、何だ。大きな声じゃ言えねえが、今の部長連中なんか、手前のことばかり考えて、胡麻の蠅のように上見て仕事している奴らばかりだ。口煩い古参連中など、目の上のたんこぶぐらいにしか思ってねえ。

まあ、俺たちに比べれば若いから、自分のやり方に横槍を入れられれば、煙たく思っているだろうからな。まったく困ったもんだぜ。本来、部長というのは、部下が働きやすいよう身体を張って仕事とをするもんだ。ところが最近は一方的に報告だけを求め、己の得たい情報のみに興味を示す。そんな自己中心的な行動が蔓延し、部下たちは認めて貰いたいがため、点取り虫のようになっている。一体どうなっている。そんな体たらくの組織でいいのか?

己の行動も省みず、愚痴っぽく溢す。そして、更に自分よがりにのたまう。

このままじゃ、この会社も先行き危ねえな。見れば分かるだろ、過去にあの能無し息子や取巻き役員、それにぶら下がるコバン鮫部長らに、こんなふうにされちまって、今迄営々と築き上げたものが、儚くも崩れ落ちてしまったじゃねえか。そんな馬鹿連中が、使命を忘れ保身ばかり計っているから天罰が下ったんだ。

阿呆専務が商法違反で検挙だってよ。そんな事件を教訓にもせず、今だに古い体質が蔓延している。改革なんて絵に描いた餅だぜ。まったくもって食えねよ。しかし、うちの会社ってどうなってんだか……。

小首を傾げ憂えた。

それにしても、おかしくなったもんだ。まったく、今日の雨空みたいだ。どんより曇って全社的に覇気がなく、激変する社会に取り残されているようだ。その実態を幹部も役員も気づかねえ。いや、気づいていても親方日の丸で、総力を挙げ乗り越えようとせん。果たして、そんな危機感のなさでいいのか。

雨模様を嘆いていたが、一向に止もうとしない鉛色の空を見つめ、恨めしそうに睨む。

何時になったら、この雨止むんだ。こんな鬱陶しい雨空は、言ってみれば能無し部長や気の利かねえ若い奴らと同じだぜ。役に立たたん。まったく嫌になる。くそっ、これから会社に戻るのも面倒だ。このまま廻り退社でもするか。どうせ戻ったところで、急ぐ仕事もないしよ……。

勝手に決めつけ、携帯電話を取り出し慣れぬ手つきで、「これからもう一軒取引先に寄りますゆえ、帰社が遅くなるので廻り退社致します」旨、上司に告げた。

ちえっ、何がご苦労さんだ。そんな気持ちこれっぽっちもねえくせに。「何、もう一軒廻るのか?」だと。少しぐらい遅くなっても帰って来いと言いたげな匂わせ方しやがって。まったく気分が悪いぜ。まあ、とにかくこれでよし、嘘も方便と言うやつだ。たまに外出したんだ、こんな時ぐらい早く帰らせて貰おう。それにしても、まだ家に帰るのは早い。そうだ、何時もの連中と一杯やるか。明日は土曜日だしよ。

再び、携帯電話で古参仲間に電話する。軒先で雨に濡れながら、発信ボタンを押し耳に当てた。

「杉山か?俺だ。今日は暇か。金曜日だし、一杯やらないか。えっ、今どこにいるかって、社外だ。ちょいと、取引先に野暮用があってな。五時過ぎだし、今しがた廻り退社するって、うちの馬鹿部長に電話入れたばっかりだ。お前だって暇なんだろ。何時もの居酒屋で待っているから、小倉でも誘って来いよ。ああ、うん、分かった。それじゃ、先に行っているから早く来いな。

ああ、分かった。心配すんなって、先に酔っぱらったりしねえ。お前らが来るまでゆっくり飲んでいるよ。いいから終わったらすぐ来い。それじゃな」

用件をすますと、おもむろに古ぼけた鞄を頭上にかざし、雨の降る夕暮れ迫る人混みの中へと歩き出していた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る