番外編

第59話 ハッピーバースデー

 年が明けた早春の、結婚式の準備で何かと忙しいある日のことだった。

 ディアモーゼ宮殿の、執務等の小部屋にてリリアージェはエルクシードと一緒にお茶をしていた

 王太子妃の話し相手と王太子の側近というそれなりに忙しい実の上ではあるが、同じ宮殿にいることもあり、休憩時間を合わせることができる。

 甘いものを食べての小休憩は気分転換にはもってこいだ。


「誕生日の贈りもの……ですか?」


「ああ。リリーは来月誕生日だろう。誕生日の贈りものを考えているのだが、私は女性の好みには疎いところがある。色々と考えてはみたんだが、今一つしっくりくるものがなかったんだ……」


 今日は最初の挨拶の時から少しそわそわしているなあ、と不思議に思っていたのだが。

 どうやらこれを切り出したかったようだ。


(そういえば、結婚式の準備で忙しくってわたくし、自分の誕生日のことをすっかり忘れていましたわ)


 子どもの頃は早く大人になりたくて、誕生日が来るのが待ち遠しかった。一歳年を取ればそれだけエルクシードに近付ける。そう考えていたから、誕生日の次の日から、次の誕生日を指折り数えていた。


 あの頃の自分が懐かしい。今となっては、早く来い来い誕生日、というワクワクがないというか、また一つ年を取るのか、と心がスンとしてしまう。これも一つの大人の階段を上るということらしい。


 とはいえ、根が単純なリリアージェは、エルクシードから告げられた贈りもの、という言葉に素直に反応する。彼が何か用意してくれるのであれば嬉しい。誕生日、悪くないという方に思考が傾く。


「リリー、今きみが欲しいものは何だろうか」

「欲しいもの、ですか?」


「決して手を抜いているわけではないんだ。ただ、一人で迷走した挙句、変なものを買い付けるよりも、本人に欲しいものを聞いた方があとあとの大事故は防げると、とある筋から助言を受けた」


「なるほど。ニコライ殿下でしょうか」

「……まあ、そうだな」


 エルクシードは弱ったように嘆息し、手のひらで顔を覆った。

 そういう表情を自分の前で見せてくれるようになったところが愛おしい。夫婦として、もっと色々な顔を見てみたい。


「去年いただいたブローチもわたくし、とても嬉しかったですわ。エルがわたくしのことを思い浮かべて選んでくださったのですもの」

「そうか」


 リリアージェは自分の宝物になった、昨年の誕生日の贈りものに思いを馳せた。

 エルクシードが毎年くまのぬいぐるみを選んでいたのは、リリアージェが喜んだからだ。次の年はくまのお友達が欲しいという言葉を真摯に受け止め、毎年お友達を贈り続けてくれた。


 年頃になったリリアージェにいつまでもくまのぬいぐるみを選んでいたエルクシードに対して母ヘンリエッタは憤っていたが、違うものが欲しければリリアージェの方からリクエストをすればよかったのだ。


「年頃になったリリアージェに似合うもの」をエルクシードに選んでほしかったという本音も少しはあるけれど。


「では、今年はお言葉に甘えてリクエストしますわ」

「ああ。何でも言ってくれ」

 エルクシードが大きく頷いた。

「わたくし、エルの色の何か、が欲しいのですわ」

「私の色?」


 ドーンと欲しいものを発表すると、エルクシードが小さく首を傾げた。

 仕事一直線で恋愛事には疎い彼らしい反応である。でも、そういうところに安心したりもする。

 どうやら彼は、今まで自分の色と同じ何か、を女性に贈ったことはないらしい。


「ええ。エルの瞳と同じ色の装飾品。首飾りや耳飾り。髪飾りやブローチなど。何でもいいのです。はしばみ色の装飾品をエルからいただく、ということに意味があるのですわ」

「だが、私の瞳はたいして目立ちもしない茶色系統の色だ。装飾品にしては地味なんじゃないのか?」


 エルクシードはあまりしっくりこないようだ。女性はもっと華やかな色の宝石が好みではないのか、と呟いている。


「確かにわたくしもルビーやサファイヤなどの宝石はきれいだと思いますわ。けれども、エルの色がいいんです! 恋人から、私の色を身に着けてほしいって台詞付きで贈られたいのです!」

「な、なるほど?」


 身を乗り出して説明すると、エルクシードがたじろいだように少し身を引いた。


「会えない日も恋人のことを想って、贈られた品を眺めるのですわ。なんて素晴らしいのでしょう。わたくし、仲の良い恋人や夫婦が通る道を、突っ走っていきたいのです!」


 クラウディーネの話し相手として宮殿に上がったリリアージェはこれまでとは違い、たくさんの女性たちと話す機会に恵まれた。


 その中には当然、恋の話もあったわけで。結婚前提でお付き合いをしている時に婚約者の瞳と同じ色の首飾りを贈られただの、舞踏会では夫婦の瞳の色を交換して身につけただの聞くと、自分の中にある乙女心が大いに刺激された。


 自分たちはすでに夫婦だけれど、恋人らしい甘いシチュエーションにドキドキしてみたい。エルクシードと同じ色の何かを身に着けたい。

 熱意を込めて彼の瞳を真っ直ぐ見つめると、その迫力に気圧されたのか瞬きもせずにリリアージェを眺め口を開いた。


「分かった。リリーが薄い茶色の宝石でも構わないのなら……。一度宝石商を呼ぼう」

「その時はエルも一緒ですのよ。エルの瞳と同じ色をしっかり見極めなければ」

 リリアージェはやる気をみなぎらせ、こぶしを握った



 数日後、さっそく宮殿を訪れた宝石商が見せてくれた宝石たちをリリアージェは真剣な面持ちで選んだ。

 ひとえに茶色の輝石といっても種類は様々だ。ガーネットやダイヤモンドなど、リリアージェも持っている石などもある。


 あらかじめ茶系の宝石を探していると話しておいたため、微妙に異なる色味の宝石たちがずらりと並べられている。その中から直感でいくつか選び、それらとエルクシードの瞳を見比べてじっくり吟味する。


 そうして時間をかけてリリアージェはこれこそは、という納得の石を選んだ。

 買い求めた宝石を何に加工してもらうかエルクシードが尋ねれば、リリアージェは「指輪がいいですわ」と答えた。指輪なら視線を落とせば目に入る。スフェリで加工職人といえば誰がいいだの、最近の流行りの意匠はどういうのだの、エルクシードと一緒に選ぶのは楽しくもあった。


 迎えた誕生日。

 クラウディーネが「せっかくなのだから楽しんでいらっしゃい」と休暇をくれ、エルクシードと一緒にスフェリのブリュネル公爵家の屋敷に帰った。


 ヘンリエッタを交えて三人で昼食を取りつつ賑やかな時間を過ごした。

 母と息子は相変わらず舌戦を繰り広げ、それを聞くのが最近楽しくもある。二人ともなんだかんだで仲がいいのだ。

 のんびりと過ごし、夕暮れ前の時間。中庭を望む部屋でエルクシードと二人きりになった。


「リリー誕生日おめでとう」

「ありがとうございます、エル」


 エルクシードが小箱を取り出した。

 中に入っているのは彼からの誕生日の贈りもの。一緒に選んで作ってもらった指輪だ。アームは金で爪の上に乗っているセンターストーンはダイヤモンド。微妙に色味の違う中から一番エルクシードの瞳に近いものを選んだ。きらりと輝くそれは、エルクシードの柔らかな眼差しと同じくらい温かい色をしている。

 エルクシードが指輪を取り出した。


「リリー、手を」

「!」


 これはもしかして、今リリアージェの指にはめてくれるということだろうか。彼を窺うと目が合った。どうやら予想は当たっているらしい。

 リリアージェはおずおずとエルクシードに手を差し出した。

 指輪を持っていない彼の手がリリアージェの手のひらを掬い、そしてそっと指輪をはめる。


「リリー、私の瞳と同じ色の石を、きみにずっと着けていてもらいたい」


 至近距離で囁かれた台詞の破壊力にリリアージェはくらりとした。

 エルクシードはリリアージェのリクエストを覚えていてくれたのだ。

 どうしよう。ドキドキしすぎて心臓が破裂してしまうかも。ああでも、まだ結婚式も挙げていないのに死ぬわけにはいかない。


 彼と触れている手のひらからこの胸の高鳴りが聞こえてしまうのではないかと思った。

 伏せていた視線を上げ、エルクシードと視線が交錯する。


「はい。エルクシード様」


 もっと何か気の利いた言葉があるはずなのに、口から出たのはありきたりなものだった。


「ずっと、ずっと大切にしますわ。ありがとうございます」

 花がほころぶような笑みを浮かべたリリアージェの唇を、エルクシードがそっと塞いだ。

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