第51話

 その月の最終日、宮殿で舞踏会が開かれた。


 リリアージェにとっては二回目の舞踏会だ。秋を先取り、今日は温かみのある赤色のドレスを身に纏った。その横に寄り添うのはエルクシードだ。

 ディアモーゼ宮殿の大広間は、夏の余韻を楽しもうという多くの招待客で溢れていた。


 最初の円舞のあと、リリアージェのもとにエルクシードがやってきた。

 手を差し出され、ダンスを請われる。夢にまで見た、好きな人に誘われるというシチュエーションに、リリアージェは胸をときめかせた。

 楽団が奏でる舞踏曲に乗って、リリアージェはステップを踏んでいく。


「わたくし、大人になってエルとこうして踊ることがずっと夢でしたのよ」

「私もこうしてきみと踊りたかった」


 リリアージェのそれよりも大きな手。すらりと高い背に、広い肩。昔は高い位置にあった彼の顔が、いまでは少し見上げた場所にある。ようやく、彼に追いついた。こうして、一緒にダンスを踊るくらいにリリアージェは大人になった。


 揃いの花をそれぞれ身に付けているのも、特別な関係であることを示しているようで嬉しい。

 恋する乙女の顔でリリアージェはうっとりと頬を赤く染めた。


 二曲を続けてエルクシードと踊り、一度彼と別れてクラウディーネのもとへ向かった。今日は夫以外とはあまり踊らないと心に決めている。


 エルクシードが挨拶回りから帰ってきたため、二人は大広間を抜け、小休憩をしようと続き間へと移動をした。

 冷たい飲み物で喉を潤しているそのときだった。


 突然に外から轟音が聞こえた。


「なっ……」


 頭を揺さぶる大きな音にリリアージェは思わず立ち上がった。

 エルクシードも同じく椅子から身体を浮かし、即座に周囲の様子を窺う。周りの人間も何が起こったのか分からず呆然としていた。


 音は断続的に続いている。人々の驚きの声が大きくなっていく。

 招待客の誰かが、窓の外を指さした。釣られてリリアージェもガラス窓のその先に目を凝らす。


「花火?」


 暗闇を照らす、大きな大輪が浮かび上がっている。それも何度も。花火の音と分かれば、確かにそうだ、と腑に落ちた。


「こんな演出、聞いていない」


 エルクシードは急いで大広間へと戻った。リリアージェも彼と行動を共にする。

 大広間では、招待客の多くが窓の近くへと集まっていた。規則正しい間隔で花火が上がっている。彼らは、これが演出だと思い込んでいる。


 だが、ニコライやエルクシード、それから衛兵は険しい顔を作っていた。花火の轟音と、空に上がる大輪の大きさ。これらから総合すると、宮殿から近い場所で打ちあがっているからだ。


 衛兵たちの幾人かが動き出す。エルクシードの顔つきも緊張を孕んだままだ。

 まずは誰が何の目的で花火を打ち上げているのかを知ることだ。

 リリアージェは男たちの緊迫した様相を近くで見守っていた。


「一体誰が何の目的で」

 せわしなく指示を出す合間に、ニコライが呟いた。


「なんだあれは⁉」


 誰かが叫んだ。その声に釣られて人々の視線が室内に集まる。

 天井から、ひらりひらりと紙切れが幾枚も舞い降りてくるではないか。しかもその一部は炎をまとっていた。


「きゃぁぁぁ」


 誰かが悲鳴をあげた。大広間に集っていた人々が扉に向かい始める。


「慌てるな!」

「誰か、水を持ってこい!」

「火を消せ!」


 怒号が響き渡る。

 リリアージェも大変な事態に身体が固まってしまったが、エルクシードがすぐ近くに居てくれているから、まだ落ち着いていられる。


 それにしても、天井から舞うこの紙切れたちは一体なんなのだろう。どうして突然にこんなものが降ってきたのだろう。

 一枚の紙切れがリリアージェの頭上に舞い降りてきた。ちりちりと、一部分が燃えている。


「リリアージェ」


 エルクシードが気づいて、咄嗟に彼の方へ身体を寄せられる。はらりと床に落ちた紙を、エルクシードが踏みつけた。おかげで火はあっさりと消えた。燃えた部分が黒くなっているが、それ以外の箇所は文字が書き連ねてある。


 興味を惹かれてリリアージェが腰をかがめると、ひょいとエルクシードが摘まみ上げ、文字に目を走らせる。

 何やら怖い顔をして文字を追うエルクシードが、息を呑んだ。


「殿下!」


 収拾のつかない事態を治めるべく、近衛兵に指示を出すニコライのもとへエルクシードが駆け寄って、紙切れを見せた。二人は二、三話し込み、ニコライが衛兵の一人に命令を下した。


 一体、どうしたというのだろう。急にエルクシードのまとう気配が変わった。

 大広間の中は未だに動揺の色が濃く漂っている。

 いつの間にか、外の花火の音が止んでいた。


 リリアージェは辺りを見渡し、大広間の奥に、近衛兵らに守られているクラウディーネと王妃の姿を認めた。


(よかった、お二人ともご無事ね)


 頭上を舞っていた紙切れもいつの間にか、その大方が床へ落ちていた。


「誰だ! あそこに何かいるぞ!」


 誰かが大きな声を上げた。人々のざわめきの間をすり抜けるような、良く響く声に、大勢の視線が吸い寄せられる。


(何? どこ? 何があるというの?)


 動揺が広がっていく。やがて客人たちは、天井近くの窓にその目を集中させた。なにか、黒い影のようなものが、室内の明かりに照らされ、浮き上がっていた。はらひら、と影が揺らめいている。


「なっ……あれは、なんだ?」

「誰かいらっしゃるの?」

「まさか、あんな高いところに、人が登れるはず」

「まさか屋根から伝って?」


 動揺の声がゆっくりと室内を侵食していく。リリアージェはごくりと生唾を飲みこんだ。舞踏会の余韻など、きれいさっぱり消えてしまっている。今は、この得体のしれない出来事がひたひたと胸を侵食する。


 リリアージェはゆっくりと、足を動かしクラウディーネらの方へ歩いた。

 視界は、エルクシードに据えられたままだが、今ここで彼に不安をぶつけるわけにはいかない。彼はニコライと一緒に事態の収束を図ろうと動いているのだ。


「あれは何だ⁉」


 またしても、大きな声が響いた。

 黒髪の紳士が、カードを掲げている。それを、近くにいた別の紳士が読み上げる。


「今宵の演出を楽しんでいただけましたでしょうか。……大泥棒より……。なっ、なんだと⁉」


 これを機に、人々の喧騒が一気に大きくなった。


「リリアージェ」


 クラウディーネの側に近寄ると、彼女が労わりの顔で招き入れてくれた。彼女はこの場でも背筋をまっすぐ伸ばして、不安の色一つ見せていない。それは王妃も同じだった。

 リリアージェは、すぐに「大丈夫ですわ」と微笑んだ。

 彼女たちのように、自分も強くあらねばと改めて身を引き締める。


 それにしても、まさか大泥棒だとは。そちらの方に気を取られてしまう。

 衛兵たちが大泥棒の署名入りのカードを紳士から回収する。いつの間にか、床の上はきれいになっていた。


「まさか……さっきの天井窓近くの影は、大泥棒?」


 クラウディーネが小さな声で訝しんだ。リリアージェも釣られて、思考の海に沈んでしまう。だとしたら、一体何のために。それに、ここは宮殿だ。警備だって万全なのに、どうやって彼は侵入をしたというのだろう。

 リリアージェは足を踏み出しかけた。


「どうしたの?」

「い、いえ」


 クラウディーネが気遣うように声を掛けてきたため、リリアージェはその場に踏みとどまり、咄嗟に作り笑いをした。


「心細いのはわかるわ。でも、わたくしがあなたを守ってあげる」

「妃殿下」


 このようなときですら、臣下を気遣うクラウディーネにリリアージェは瞳をうるうるさせた。自分の方こそが、彼女の役に立つべきだというのに現状気を使ってもらっている。


「でも、こんなこと初めてね。舞踏会は中止かしら」


 クラウディーネが眉を寄せた。

 たしかに、今日は宴を楽しむどころではないだろう。大広間には先ほどよりも衛兵の数が増えている。


 成り行きを見守っていると、ニコライとエルクシードがこちらへ歩いて来た。

 二人はまず国王夫妻と話を始めた。小さな声のため、こちらまで話が漏れてくることは無いが、あえて素知らぬ顔をして会話が終わるのを待つことにする。

 国王が頷き、ニコライが再び動き出す。


「リリアージェ、今日の舞踏会はお開きだ。きみたちは奥の館へ戻るんだ」

「はい」


 視界の端ではクラウディーネが国王夫妻と何事かを話し合っている。おそらく、いま自分が伝えられたことと同じことを聞いているのだろう。

 リリアージェは夫の目を見てしっかりと頷いた。

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