第47話

 あれから、ブリュネル公爵夫妻の離婚危機はなんとか回避することができた。

 どうやって仲直りをしたのか、それは夫婦のみが知る話なのだが、結果として公爵は翌日の夕食の席でエルクシードに「公爵位をおまえに譲り渡すから継げ」と言い放った。


 青天の霹靂にさすがのエルクシードも喉に肉を詰まらせそうになっていた。

 リリアージェもそれはもう驚いたのだが、お行儀よく男二人の話を黙って聞いていた。どうやら、ヘンリエッタへの愛情を証明するために、仕事を辞め彼女の側に付いていることを選んだらしい。


 確かに、長年掘り続けていた夫婦の溝である。そんじょそこらの谷よりも深いそれを埋めるためには、それくらいの誠意を見せる必要がある。それにしても、思い切りが良すぎる、というのがリリアージェが抱いた感想だった。


 実際引退をするといってもブリュネル公爵は国の要職についているため、今すぐに辞めるというわけにはいかない。政治の表舞台から引退をするのは、早くても来春以降だとエルクシードが話してくれた。


 リリアージェはというと、ヘンリエッタの容体が落ち着いたため、ディアモーゼ宮殿へと戻った。後ろ髪をだいぶ引かれたのだが「わたくし、演奏会を楽しみにしているのよ」とヘンリエッタに言われてしまったので、仕方がない。


 そして、宮殿に戻ればさらに驚いた。


「まさか、クラウディーネ様のおっしゃっていた、素敵なゲストというのがダリアンだったとは」


 演奏会の本番まであと三日という日に、再び練習の場に姿を見せれば。そこには特別ゲストとして招かれたダリアンがご婦人方に囲まれ談笑していたから、口をぽかんと開けてしまった。


「ああ、あなたがヴィワース子爵夫人だったのですね。マリボンでは馴れ馴れしくしてしまい、申し訳ございませんでした」


 彼はこちらを警戒させない、ふわりと人の良い微笑を携えている。

 ダリアンの言葉に敏感に反応をしたのは、その場にいたご婦人方だった。みんな興味津々という瞳をこちらに向けてきた。


「マリボンの宿泊先がたまたま同じだっただけですわ。中庭で偶然お会いして、挨拶をしたのです」

「まあ、そんな素晴らしい偶然があるだなんて。羨ましいですわ」

「ね~」

「私も皆さんとどこかでお会いしていたのなら、忘れることなどありませんよ」


 いくつになってもミーハー心は変わらないらしい。練習そっちのけで演奏会のメンバーたちは黄色い悲鳴をあげて、ダリアンを取り囲む。

 リリアージェの知らないところで、すっかり宮廷貴族のご婦人方を虜にしてしまったらしい。気障な言い回しも相変わらずだ。


「はいはい。皆さん、一度通しで演奏をしますわよ」


 クラウディーネが手をぱんぱんと何度か叩いた。この場は、一応演奏会の練習のための集まりであることを、一同思い出す。

 それから、通しで二度練習をした。


 本番まであと三日だが、仕上がりは上々で、リリアージェはしばらく練習を休んでしまった分、心配をしたが、屋敷でもヴァイオリンを弾いていたため、指は滑らかに動いた。


 練習が終わると今度はダリアンが一度ヴァイオリンを弾いた。

 当日に弾く楽曲は軽やかでこの季節にぴったりなもの。本番前に聞けるのは、演奏会参加者の特権でもある。


 ダリアンの演奏が終わると、どこからともなく拍手が沸き起こった。

 みんな頬を染めうっとりと聞き惚れていた。


「トラバーニ伯爵も鼻が高いのでしょうね。あなたを最初に見出したのは、彼なのでしょう。あなたさえよければ、わたくしもパトロンになりたいですわ」

「まあ、抜け駆けは厳禁ですわよ。それを言うならわたくしだって」


「皆さん、申し出ありがとうございます。セルジュア音楽院を卒業して、力試しとばかりに各国を渡り歩いていた私を拾ってくださったトラバーニ伯爵への御恩はまだ返せていないのです。皆さんのお力を貸していただくのは、彼への恩を返した後にしたい」


「義理堅いのねえ」

「そういうところも素敵だわ」


 きゃっきゃと高い声を上げているご婦人方とダリアンの会話を、リリアージェは何とはなしに聞いていた。同じ室内なのだから、自然と耳が拾ってしまうのだ。


(あの人、セルジュア出身なのね)


 思わぬところで共通点を見つけた。リリアージェの同郷ということになるが、あいにくと八歳でこの国に嫁いできたため、セルジュア音楽院がどのくらいすごいのかも分かっていない。

 彼はそこを卒業した後、音楽家として活動を始めたということか。


「あの、トラバーニ伯爵ってどのようなお方なのですか?」


 リリアージェはダリアンを取り囲み隊、から外れていた婦人に尋ねてみた。リリアージェよりも数歳年上の彼女は朗らかに答えてくれた。


「南の隣国エルメニドとの街道を領地に有していて、彼自身も貿易業を営んでいるのよ」

「エルメニドとの交易ですか。船を使った方が早そうですけれど」


 サフィルの東南にあるのがエルメニドだ。共に大陸端の海岸線を国土に抱えているため、海に面している土地は多い。多くの荷物を運ぶのであれば、船が断然に有利だ。


「それはもちろん。でも、陸続きでもあるもの。ちょうど、エルメニド統治領とも近いのだし、道中に難所があるわけでもないから、昔から交易は盛んだったのよ」


 その分、戦争になれば進軍の恐れがあって大変なのだけれどね、と彼女は続けた。

 リリアージェはエルメニドという国について思い出す。あの国の歴史は少々変わっている。何しろ、国王は元々海賊だったのだ。大陸全体から見れば、エルメニドは西南という立地で、海の荒くれ者たちが国の土台を作ったという。そのせいか、エルメニドは血気盛んなお国柄で、隙あらば周辺諸国を脅かす存在でもある。


「もともと、羽振りの良いお方で、芸術家たちのパトロン活動に熱心なのよ」


 腕の良い芸術家のパトロンになることは、自身のステイタスを上げることにも繋がる。見る目があるのだと、誇示できるからだ。

 ダリアンはまだご婦人方に取り囲まれている。すべての問いかけに丁寧に答えるから、好感度も駄々上がりである。


 なんとなく、その光景を眺めていると、ダリアンがふとこちらに視線を寄越した。

 目が合ったと認識した途端に、彼が微笑を携えた。リリアージェは咄嗟に視線を下に向けた。

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