第46話
「そ、それは……仕事なのだから仕方のないことだ」
「わたくし、仕事を言い訳にして家庭をないがしろにする男が一番嫌いなのよ!」
「それは……私のことが嫌いだということか」
「ええそうですわ。わたくし、あなたのことが――」
「お母様。駄目ですわ。それ以上は、言ってはいけませんわ」
我慢できなくてリリアージェは口を挟んだ。
だって、それはヘンリエッタの本心ではない。リリアージェはつい勢いに任せてエルクシードに酷い言葉を投げつけた。そのことをとても後悔した。
ヘンリエッタには同じ想いをさせたくない。
「リリー、言わせて頂戴。わたくしたち、もう終わりなのよ」
ヘンリエッタが唇を震わせた。
「いいえ。そんなこと、ありませんわ。……ずっと寂しかったのでしょう? ずっと、お義父様の帰りを待っていらっしゃったのですよね? わたくしに離婚を薦めるのも、わたくしにお母様と同じ想いをしてほしくないからですのよね」
リリアージェは寝台のそばに膝をついた。
彼女がエルクシードにことさら強く当たるのは、彼の向こうに自身の夫を見ていたからだ。ブリュネル公爵は長い間ヘンリエッタを放置し、仕事に明け暮れていた。
一人気丈に振舞い、リリアージェの世話をすることで気を紛らわせてきたけれど、本当は何年も夫の帰りを待っていた。彼女の隣に寄り添ってくれることを、願っていた。
リリアージェがまくしたてると、ヘンリエッタは気まずそうに視線を泳がせた。生意気なことを口にした自覚はある。
けれども、ここで本心と真逆のことを言ってほしくはなかった。そんなことになれば、ヘンリエッタは絶対に後悔する。
「わたくしのことなんて……放っておけばよろしいんですよ。別に、わたくしのような女が死んだところで、あなた様はちっとも構いやしないのでしょう」
ヘンリエッタの中の想いは、彼女の中で相当に鬱屈していたらしい。意地を張る子供のように彼女はぷいとあらぬ方向に顔を向けた。
「構うに決まっているだろう」
「嘘おっしゃい! この唐変木! ずっと、ずっとわたくしの寂しさに気が付かなかったくせに」
とうとうヘンリエッタは叫んだ。ブリュネル公爵が息を呑む。
「大体、おまえだって私がいなくてせいせいしていたのではないか? 手紙だって寄越さなかったではないか」
「わたくしが悪いとおっしゃるの?」
「そうではない。おまえが私を嫌っていたから私はおまえのためを思って顔を見せないように――」
「ほら、わたくしのせいにするじゃない!」
「私は傷つきやすいんだ。おまえから冷たくされると心が千切れるんだ」
「どのへんが傷つきやすいんですか。図太い、の間違えではなくって?」
「ほら、そうやって私をいじめるだろう」
「ああもう、いいですわ。結局はわたくしを悪者にしたいのでしょう? そんなにもわたくしのことが嫌なら、わたくし離婚でもなんでもしてさしあげますわ! 幸運なことに離婚免状だって持っていますもの。さあ今すぐに署名をして聖教庁に提出をしましょう!」
「お母様!」
リリアージェは思わず叫んだ。この流れでいくと、本気でブリュネル公爵夫妻は離縁をしてしまう。
「リリー、ごめんなさいね。わたくし、ほとほと疲れてしまったの。こんな男とはもう一緒にいたくはないわ。修道院にでも入って、余生を静かに過ごすわ。ああけれど、あなたの結婚式には参加をさせて頂戴ね」
ヘンリエッタが柳眉を下げた。
「それはもちろん構いませんけれど、もう一度よくお考えになって」
「だめだ」
重たい声が割って入った。
リリアージェとヘンリエッタは同時に声の主であるブリュネル公爵に顔を向ける。
「離婚など認めるわけがないだろう。私がいつおまえのことを嫌だと言った。嫌な訳が無いだろう。そんなことも分からないのか。だいたい、離婚免状って何だ。おまえ、私を捨てる気か?」
「分かるはずがないでしょう。ずっと人のことを放っておいて。ええ、あなたのことなんて捨ててやります!」
「それは……、おまえの側にいれば私は欲望のままにおまえを求めてしまうからであって。私は、再びおまえが身籠るのが怖かった……。次に身籠れば、おまえの身体に負担がかかり過ぎて万が一のこともあり得ると、ガーソン医師に忠告をされていた」
「なっ……」
ヘンリエッタが絶句する。
「おまえさえ、生きていてくれれば私はそれでよかったんだ。だから捨てないでくれ」
ブリュネル公爵は最後、抑揚のない声を出した。
予測不能な真実に、ヘンリエッタが固まった。
「リリアージェ」
上からエルクシードの声が降ってきた。見上げると、彼が小さく頷いた。それに促されて、リリアージェは立ち上がる。
ここまで来たら、あとはもう、なるようにしかならない。自分たちだって、先ほど本音をぶつけ合って気持ちを確かめ合った。この先は二人だけで話し合うべきだ。
「お二人とも、大丈夫でしょうか」
部屋から静かに抜け出しても、ブリュネル公爵夫妻のことが気にかかる。
「ああ」
エルクシードが力強く頷いた。不思議と心が軽くなった。根拠なんて何もないけれど、彼が言うのだから間違いない。
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