第44話

「嘘ではない。リリアージェを愛している気持ちに嘘偽りはない。しかし、きみにとって私のこの気持ちなど重荷だろう」


「わたくしの気持ちを勝手に決めつけないでください!」


 リリアージェはぴしゃりと言った。


「だが……」


 エルクシードは明らかに困惑の色を声に乗せていた。リリアージェは彼に倣って立ち上がった。


「あのときの言葉が真逆だとおっしゃるのなら、それを信じさせて! きみを愛していると、ずっとずっと愛していたのだと、もっと聞かせてほしいのに! そうしたら……わたくしだって、あなたを信じることが出来るのに。どうして……一人ですべてを決めてしまうの」


 リリアージェはエルクシードの前に移動した。

 やるせなくて、彼の胸にこぶしを置いた。


「きみは……私のことが嫌いなのだろう……」

 やり場のない、迷い子のような声が上から落ちてきた。


「あれはっ!……本心ではなかったのです。エルクシード様から気持ちのこもっていない口付けをされて、抱きしめられて……苦しくて悲しくて。つい、口が勝手に……」


 気が付けば視界が涙でぼやけていた。自分だって、大概だ。彼を傷つけた。

 本心とは真逆のことを言って、彼を苦しめた。


「あなたのことが好き。ずっと、ずっと好きだった。それなのに、わたくしは女としてではなく、まだ子供だと。悲しかった。泣きたかった。ずっとずっと、あなたの正式なお嫁さんになりたかった」


 今まで口から出ることのなかった言葉がぽろぽろと零れだす。ずっと、隠してきた本心。


「ごめんなさい……大嫌いだなんて言ってしまって」


 リリアージェは両手で顔を覆った。泣き虫の自分が嫌い。感情に任せて要らないことを言ってしまう自分はなんて子供だろう。


「いや、きみに無理矢理口付けをしたのは私だ。きみが嫌いになるのも無理はない」


「違うのですっ! 嫌だったわけではないのです。ただ、心のこもっていない口付けが嫌だった。あなたが好きだから……ちゃんと、愛されていると実感したうえで、口付けされたかった」


「リリアージェ……?」


 ゆっくりと、エルクシードがリリアージェを包み込む。恐る恐る彼の腕がリリアージェの背中に回された。恐々としたそれは、まるでリリアージェの気持ちを信じていいのか迷うようでもあった。


「わたくしを……愛してください」


 リリアージェは心からの願いを口にした。

 次の瞬間、回された腕にぎゅっと力が込められた。リリアージェはエルクシードの胸に頬を押し付けることになった。


「きみを愛している。いつの頃からか、きみに惹かれていた。笑顔が眩しかった。純粋さが愛おしかった。きみを誰にも渡したくない。きみが必要なんだ」


 その言葉はリリアージェの身体に染み込んでいった。

 ずっと、ずっとほしかったものだった。大地が渇きを潤すように、エルクシードの愛の言葉がリリアージェの体の隅々を巡っていく。


 リリアージェはエルクシードの胸に耳を澄ませた。柔らかな鼓動が耳をくすぐった。

 そっと目を閉じる。ここが、自分の居場所だと信じてもいいのだろうか。


「傷つけてすまなかった」

「わたくしの方こそごめんなさい」

「このまま、私の妻でいてくれるのか?」

「はい。ずっとずっと、あなたのお嫁さんになりたかったのです」

「きみはすでに私の妻だ」


 最初は訳も分からず、この国に来た。ずいぶんと背の高い、怖い人だと幼心に感じたことが懐かしい。


 優しいヘンリエッタから、愛情をたくさんもらって。領地のお屋敷はどこもかしこも居心地が良くて。彼女には息子がいるのだと教えてもらった。

 その彼が、リリアージェの夫なのだと。あなたが大きくなったら、改めて結婚式をしましょうね、とヘンリエッタは優しく微笑んだ。


 次に会ったとき、リリアージェは少しだけ大きくなっていた。

 エルクシードは絵姿よりもぐんとかっこよくて、この人が夫なのだと思うと、走り回りたいような叫びたいような、妙な気持ちに襲われた。


「きちんと愛してくださいますか?」


 夫として、触れる覚悟はあるのか。その隠した意味を彼は感じとり、微苦笑を浮かべた。


「きみは分かっていないんだ。私の、男の劣情がどのようなものかなんて」

「わたくし、あなたのことなら、なんだって知りたいと思います」

「リリアージェ、きみに触れても?」


 ああ、この瞳だと思った。彼の視界に、自分が写っている。そのことが何よりも嬉しい。

 もう触れているのに、これ以上何を、と思ったのも束の間で。


 彼の意図を素早く察したリリアージェは余計に顔を赤くしたが、このまま先へ進んでみたいという、心の声を無視することもできなかった。

 何よりも、彼がこれ以上の触れ合いを求めてくれていることが、リリアージェを女性として見てくれているという証。

 そのことに、歓喜を覚える。


「ええ」


 そっと囁くと、エルクシードの手のひらがリリアージェの頬の上を滑った。リリアージェのそれよりも大きくて、それから頼りになる手。


 あなたを感じたい。わたくしと同じ気持ちだというのなら、その想いを伝えてほしい。たくさんの色を教えてほしい。ぶつけてほしいと思った。


 エルクシードがゆっくりと屈みこむ。そしてそっと、リリアージェの顎を持ち上げた。

 リリアージェは瞳を閉ざした。

 エルクシードの吐息が唇をかすめ、ふわりと温かなものが触れていく。


 とくん、と胸が高鳴った。


 いたわるような、いつくしむような、優しい触れ合いだった。少しの力を入れれば壊れてしまいそうな、繊細な細工を壊さないよう気遣う口付け。

 それにくすぐったくなって、それからほんの少しの物足りなさを感じて。けれどもそれ以上に身体中を幸福感が包んでいった。


「リリアージェ、愛している」


 鼻と鼻がくっつくような距離感に、今までとは違う関係になったのだと実感した。


「わたくしも、愛しています」


 宝物を撫でるかのような、囁きはしかしすぐにエルクシードの口の中に消えてしまった。

 二人はこれまでの距離を埋めるかのように、そのあともたくさん口付けを交わし合った。

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