第43話
エルクシードと一緒にサロンへと足を運ぶ。夏の盛りを少しだけ過ぎたとはいえ、太陽はまだ力強く空の上から地上を照らしている。
ガラス窓を開け放ったサロンには、時折緩やかな風が入り込む。
冷たい飲み物を言いつけ、それらが二人の目の前に置かれた。
何度かそれに口を付けたあと、エルクシードが少しだけ視線を揺らした。言葉を選ぶように、探しながら、彼がゆっくりと口を開く。
「今更、何を言っても遅いのかもしれない。だが、最後に噓偽りのない言葉をきみに伝えたい」
リリアージェは真意を探るように、黙って目の前のエルクシードを見つめた。
「どこから話せばいいのか……。私たちの結婚は、特殊だった。結婚契約書に署名をしたとき、きみはまだ年端もいかない子供だった」
自分たちの始まり。リリアージェが選ばれた理由は多分にセルジュア王家の思惑によるもの。女優上がりのくせに身の程知らずにも第三王子と結婚をした女から、リリアージェを引き離すため。これ以上、その女に金を与えないため。リリアージェを金づるとしないため。
当時の王族は幼いリリアージェを隣国へ厄介払いした。
「エルクシード様もご存じなのでしょう。わたくしが選ばれたのは、セルジュア王家の事情によるものです。きっと、あなたにつり合いの取れる姫であったら、今頃あなたにも子供がいて、賑やかな家庭を築いていたのでしょうね」
「そのようなもしもの話がしたいのではない」
「……」
では、一体何を話すというのだ。
「私が話したいのは……どちらかというと情けない類のものだ。私は、自分のためにきみから距離を置いた」
「それはどういう……?」
「成長していくきみが眩しかった。特に、年頃になったきみは愛らしくて、私にまっすぐな視線を向けてきた。日々、愛おしさが募った。だが、その無邪気さが怖くもあった。きみは、きっと男がどのように醜い欲望をその身に隠しているのか、考えたこともないのだろうな」
言外に非難をされているのだろうか。話の意図を掴むことが出来ずに、リリアージェは少しだけ眉をひそめた。
「きみに触れたいと思うこと自体、いけないような気がした。純粋なきみに、男の本音を知られて嫌われるのではないかと怯えた。きみを一人の女性として見ていることを、他人に指摘をされることが怖くもあった」
この話は一体どこへたどり着くのだろう。リリアージェは真意を探りたくて、エルクシードをじっと見つめた。
「大して親しくもない男たちから、きみとのことを詮索された。あの園遊会でのことだ。あいつらは、きみに興味を持っていた。あいつらから、リリアージェへの興味を逸らしたくて、本心とは真逆なことを言った。ああ言えば、彼らだってそれ以上のことは口にしないと考えた」
苦しそうに顔を歪めながら、エルクシードは吐き出すように語った。
頭の中に、十六歳の頃に見聞きした光景が浮かび上がる。リリアージェのことを、妻として見ることが出来ないと言ったエルクシードを含む男性たちの会話。
あのときの胸の痛みが蘇る。あの日、枕に顔を埋めて涙した。
それなのに、あれは違うのだと今更エルクシードが言った。
リリアージェの顔が歪んだ。
「まさかきみに聞かれているとは思わなかった。傷つけて申し訳なかった。改めて謝罪をさせてほしい」
エルクシードは真摯な声を出し、ゆっくり首を垂れた。
リリアージェは黙ってその光景を眺めていた。
頭の中が追い付かなかった。喉がからからに乾いた。心臓の鼓動がやけにうるさく聞こえる気がする。
彼はさらに続ける。
「これを言ったら、きみを困惑させるだけだが……最後に伝えたい。きみを愛しているんだ。それなのに、私は自尊心を守るためにきみから逃げていた。嫌われても仕方がない。きみのために……今後は兄としてきみを守ることを誓う」
「――っ」
リリアージェは息を呑んだ。
今聞いた言葉は、本当だろうか。自分の中の、彼を慕う心がつくりあげた幻聴ではなくて、全て現実のこと? 初めて、彼の気持ちを知った。
エルクシードは本当にリリアージェを愛しているというのか。兄が妹を慈しむそれではなくて?
「このような気持ちを今更ぶつけられても、気持ちが悪いだけだろうが、どうしても誤解だけは解いておきたかった」
エルクシードが話を続けていく。
リリアージェは何も返事をしていないというのに、どうして先へ先へと進めてしまうのだろう。感情も理性も何もかも追いついていないというのに。
「きみが離婚を望むのなら、私はそれを受け入れる。母上は離婚免状をすでに手に入れている。まったく、我が母ながら行動力と人脈には脱帽した」
(いや……違うの。やめて)
「これからは、兄として頼りにして欲しい。本当に……今まで酷い夫ですまなかった……リリアージェ」
(どうして……どうしてそんな風に熱のこもった声でわたくしを呼ぶの? 勝手に話を進めないで)
胸が軋む。嫌だ。何か言わないといけないのに、何も出て来てくれない。
リリアージェの唇が戦慄いた。
駄目。この部屋を出たら、きっと彼はもうリリアージェのことを異性として見てはくれなくなる。予感ではない。確信だった。
身体が震える。
「時間を割いてくれてありがとう。速やかに離婚が成立するように私も協力をするし、きみの評判は私が何に代えても守る」
身体が熱くなった。奥から、つよい激流が生まれた。
この男は何も分かっていない。リリアージェが何を望んでいるのか。本当に欲しかったものなど、絶対に分かっていないのだ。
エルクシードは話が済んだとばかりに、立ち上がった。
「わたくしを……」
腹の底から、低い声が出た。それに反応したのか、エルクシードが立ち止まった。
「わたくしを愛している? そんなの……そんなこと、どうして信じられると言いますの? だって、愛していると言ったその口で、あなたはあんなにも軽々しく離婚など! どうして!」
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