第33話
翌日、夕方から野外劇場で催される音楽会に出席をするため、リリアージェは午後も早いうちから身支度に追われた。
金色の髪の毛にはこてを当ててもらい、巻き髪を作った。髪の毛の半分を結い上げてもらい、生花を飾る。ドレスは鮮やかな青色で、金糸で異国情緒あふれる花模様が刺繍されている。
「リリアージェ、迎えに来た」
「ありがとうございます」
「今日のドレスも良く似合っている」
「ありがとうございます」
迎えに来たエルクシードもまた、音楽会に相応しい装いで、リリアージェの目は勝手に彼に釘付けになった。
(ううう……やっぱり素敵なのよ……)
エルクシードのエスコートで馬車に乗り、少し走らせた街の外れに野外劇場はあった。白亜の石を組み立て作られた劇場の中へ着飾った紳士淑女らが吸い込まれていく。
手ごろな金額の切符も売られているため、生活に余裕のある平民たちも一張羅を身に付け劇場へと入っていく。
空が藍色へと変化を始める間(あわい)の時。真っ赤に染まった西側の反対側からゆっくりと夜の闇に侵食されていく。
そんなどこか物悲しい時刻だが、音楽会の会場は熱気に包まれている。劇場内はすでに多くの人で賑わっている。
劇場はすり鉢状になっており、これは音をよく響かせるための構造だという。半円の階段状の観覧席の前方部分に貴賓席があり、リリアージェたちはそちらに通された。マリボンの有力者であるセルディノ公爵と一緒ということもあり、多少の注目を浴びた。
貴賓席はゆったりと作られており、リリアージェの隣に座るのはエルクシードだ。
「今回はこのような形だが、来年は二人きりで訪れたい」
「来年ですか……」
それは彼の本心だろうか。ただの世間話の一環なのではないのか。一年後の先を予感させる言葉に期待をしてしまう自分が嫌になる。
リリアージェが顔を曇らせると、エルクシードが少々急いたように言葉を変える。
「他にも行きたい場所があるのなら、来年は別の場所にしよう」
「わたくしはきっと、お母様と避暑に向かいますわ」
「だったら私も同行する」
「それは、べつに止めませんけれど……」
エルクシードの実の母の避暑なのだから、同行を止める権利はリリアージェにはない。
「それよりも、寒くはないか? この間も思ったが、どうして女性のドレスはこんなにも薄着なんだ。肩が丸出しだと風邪をひく」
「それが様式美というものですわ」
「私の上着を貸す」
「それはそれで目立ちますのでお断りしますわ」
またエルクシードの香りに包まれたら、今度こそ彼を手放せなくなってしまう。
リリアージェは侍女から手渡されていた薄手のショールを肩にかけ「これで大丈夫ですわ」と笑みを深めた。
そうこうしているうちに、奏者たちが舞台上に姿を見せ始めた。もうすぐ始まるのだと、意識を前方へ集中させる。
楽器の最終調整を始める奏者たちを、リリアージェはじっくりと眺めていく。舞台からほど近いため、彼らの顔も良く分かるというものだ。
探すのは、今話題のダリアン・ロンターニというヴァイオリン奏者。うわさ話とはすごいもので、会ったこともないのに、彼が赤みがかった金の髪と紺碧の瞳を持つ、二十代の若者だということをリリアージェはすでに知っている。
件の青年は比較的すんなりと見つけることが出来た。
なるほど、確かに柔和で穏やかそうな顔立ちをしている。他の奏者たちがそれなりの緊張感を醸し出しているのにも関わらず、彼だけはどこか飄々とした印象だ。
(たしかに、女性にもてはやされそうな顔立ちだわ)
素直な感想を心の中に浮かべると、ふいに肩にぽんと手が置かれた。
首を傾げて隣を見ると、なにやら不機嫌そうに眉を寄せるエルクシード。こちらを見るでもなく、けれどもリリアージェの肩に手のひらを置いている。
「どうしました?」
「……いや、なんでも」
と、そのときだ。
周囲から黄色い悲鳴が上がった。女性たちの小さくない嬌声に、舞台に顔を向ける。周囲の音を拾って総合してみると、どうやらダリアンが手を振ったようだ。
「いい場面を逃してしまいましたわ」
「リリアージェはああいう男のほうがいいのか?」
ひとり言をエルクシードが聞きとめた。
「それとこれは別腹というものです」
女性はそれなりにミーハーなものだ。ダリアンの顔はリリアージェの好みではないのだが、客観的に見れば、麗しい顔なのだと思うし、柔和な雰囲気は親しみも沸く。それに好みはともかく、みんなと同じ場面を共有したいという気持ちもある。
「それはどういう……」
「始まりますわ」
舞台の上では今まさに指揮者が棒を振り上げようとしているところだった。
リリアージェの指摘に、エルクシードが押し黙り前を向く。
夕暮れの、どこか切ない空気の合間を縫うように、美しい旋律が音を奏で始めた。
優しくも物悲しい調に、観客たちが酔いしれる。
ゆっくりと闇夜が世界を侵食し始めると、曲目が変化をしていく。
何曲目の折、ヴァイオリンのソロが始まった。
甘さの中に物悲しさを孕んだ、美しい旋律。音を奏で続けるダリアンという男の腕は確かに一流だった。自分にはここまでの音は出せない。それが少々悔しくもあるが、素直に聞き惚れてしまうほどの腕前が彼にはある。
確かに人気になるのも頷けるものだ。リリアージェは音楽会をたっぷりと楽しんだ。
* * *
マリボン滞在もあと一日で終わる、その日の晩。
エルクシードはリリアージェを置いてセルディノ家の仮面舞踏会に向かった。
宿でお留守番なのはリリアージェただ一人だけ。お腹の具合が悪いということにされてしまった。
おかげで今日は昼からずっと室内に籠る羽目になった。マリボンに同行したご婦人からお見舞いの伝言を貰った。
納得をしたはずなのに、今頃エルクシードが舞踏会に出席をしているかと思うと、やはり寂しく感じてしまう。頭と心は繋がっているようで別物なのだ、と思った。
マリボン滞在自体は楽しかった。旧都は歴史があり、スフェリとは趣が違った。滞在中は、セルディノ公爵家の人間が旧市街や史跡を案内してくれたり、屋敷の中でも特に由緒ある美術品を見せてくれもした。
露台に出てマリボンを見渡す。世界に一人だけ取り残されたように感じたのは、エルクシードに一人前扱いされないことへの寂しさが原因だろうか。
旅の最中だということがそうさせたのだろうか。
リリアージェはそろりと、部屋から出た。古い邸宅を改造したこの宿はいくつかの中庭を有しており、日が落ちると至る所に設えられた角灯に灯が灯る。幻想的な風景に吸い寄せられる形で、リリアージェは階下へ降り立った。夕食も終わり、数時間が経過をした頃合いで、宿はそれなりの静けさに包まれていた。
何か目的があったわけでもない。ただ、歩きたかった。さすがに宿の外にまで足を延ばす勇気はないけれど、中庭くらいなら別に構わないだろう。
今頃、エルクシードは誰かと踊っているのだろうか。ニコライの密命とはどんなものだろうか。内緒にしておくことも出来たのに、彼はリリアージェに教えてくれた。
彼なりに歩み寄ってくれている。きっと、これまでのエルクシードであれば、頭ごなしに「ここにいろ」と言うだけだった。
舞踏会なのだから、一、二曲くらいは礼儀で誰かと踊るはず。想像の中のエルクシードのダンスの相手は、妖艶な美女でリリアージェはぎゅっと眉を寄せた。
なんだかとっても面白くない。つい、自分の胸元に視線を下げた。
「わたくしだって、一応胸はそれなりに成長したのに」
顔が童顔なのがいけないのだろうか。生まれてからずっと同じ顔を見て育ってきているため、客観的な意見を持つことができないことが難点だ。
お化粧の仕方を変えてみようかなどと思案していて、はたと我に返った。どうしてエルクシードの好みを追求しなければならないのか。
虚しくなって頭を左右に振った。
気が付くと、宿と街を隔てる壁の近くまで足を運んでいた。壁の周りは植物が豊富に植えられている。
少し歩いていると、敷地内の茂みがガサゴソと動いた。何だろうと、訝し気に、音のする方へ足を動かした。明かりが灯っているとはいえ、今は夜。光の行き届かない場所はいくらも存在するし、宮殿のように警備兵が巡回をしているわけでもない。
(もしかして、これが噂の逢引きというものかしら)
宮殿に上がるようになって、色々な話を聞くようになった。秘めたる仲の男女は人目を忍んで逢瀬を楽しむのだという。女官仲間であるお姉さま方から仕入れた話を思い出しながら、リリアージェはドキドキした。こういうときは気が付かない振りをした方がいいに決まっている。
ということは、反転してもと来た道を戻った方がいいだろう。謎な大人の対応力について考えていると、影が素早く動いた。
「え……」
それはおそらく人だったのだろう。暗がりから出てきたそれはリリアージェの前を横切った。
一瞬目が合ったようにも思えたが、錯覚だったとも思う。わずか数秒の間のことだったのだ。やはり逢引きだったのか。ともかく、自分がいつまでもここにいては、もう一人の方が出るに出られないだろう。リリアージェは今度こそ、くるりと足の方向をもと来た方角へと向けた。
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