第31話

 王宮舞踏会から数日後、リリアージェはニコライからエルクシードと共にマリボン行きを打診された。クラウディーネと一緒の席でのことで、これは王太子からの正式な要請で、決定事項も同じだった。


 旧王都マリボンに居を構える旧家セルディノ家に宮殿で所蔵している美術品を短期間貸し出すための使者にエルクシード夫妻が選ばれたということだった。

 リリアージェも聞いたことのある一族の名前だ。セルディノ家と王家との確執は昔家庭教師から歴史の授業で習った。


 急なことにクラウディーネは「まったく、殿下も急なのだから」とぷりぷりと怒っていた。


 しかし、これは王太子としての決定事項で覆すことはできない。クラウディーネははきはきものを言うが、王太子としての決断に口をはさむことは滅多にしない。


 ガルソン夫人曰く、彼女が夫を尻に敷くのは主に家庭面だけとのこと。決定事項には逆らえないが、今この場で愚痴を言うくらいはしてもいいと、クラウディーネ自らお手本になってくれたのだ。

 リリアージェも「まったく、急ですわね。ドレスを選ばなければならないというのに、出発は四日後だなんて」と相槌を打った。


 そして出発当日。

 リリアージェを乗せた馬車は王都から一路マリボンへ向けて出立をした。王家の使者として六人が選ばれ、それぞれ従者、侍女を従え、馬車の周囲には護衛騎士が並走する。


 王家の威厳のためにそれなりに大所帯になった。大人の世界は色々と大変らしい。王家から貸し出されるのは絵画だ。二百年前の宗教画で、当時の人気宮廷画家が王妃のために描いたものだという。


 到着をすると、使者の一人が王家からの親書を読み上げ、セルディノ家当主も同じように感謝の言葉が記された文書を読み、互いに交換をした。

 確執のある家と聞かされていたリリアージェは、もっとこう嫌味の応酬があるのではないかと内心危うんでいたのだが、杞憂に終わった。


 和やかな時間が過ぎ、晩餐の席へ交流の場が移った。

 聖餐用の細長いテーブルの上にはたくさんの豪華な料理と酒が並べられている。野鳥を丸ごと焼いたものや、このあたりの名物子豚の丸焼きもある。かと思えば塩漬け鱈の身をほぐしたスープやパイも供される。


「マリボンは初めてとな。それはよい。この街は非常に趣があり、美しい街だ。人はなんでも新しいものがいいというが、そういうことでもないのだよ」


 リリアージェが初めてマリボンを訪れたことを知ると、当主直々のマリボン歴史講義が始まった。

 街への愛、ひいては古き血を引く自身のお家自慢に、なるほど現在も多少なりとも確執はあるのかもしれないとの感想をリリアージェは持った。


「明日は皆で音楽鑑賞だろう。あの野外劇場は素晴らしい過去の遺産でもある。実際、あれほどの規模を作るのに、どれほど苦労したか――」


 すっかり興に乗り、街とセルディノ家の歴史を語り出した公爵の弁舌に、晩餐会の出席者一同耳を傾ける。その顔に諦観が浮かんでいるのはリリアージェの気のせいではない。


「今年の奏者の中には、腕の良いヴァイオリン奏者がいるだろう。マリボンの社交場でもずいぶんと名前が挙がっておる、ええと確か……」

「ダリアン・ロンターニという名前の若者ですわ、公爵」


 言葉を詰まらせるセルディノ公爵のあとを、出席者の一人であるご婦人が引き取った。

 一同の前にはデザート用の銀の皿が置かれている。


「おおそうじゃった。なるほど、すでにスフェリでもその名がすでに浸透しているわけだな」

「ええ、もちろんですわ」

「ですから、明日の音楽会を楽しみにしておりますのよ」


 氷菓をスプーンですくいながら女性たちがうっとりと相槌を打つ。

 今回のマリボン訪問では一つお楽しみがあった。それは、昨今社交界の女性たちの間で人気のヴァイオリン奏者が出演する音楽会への招待だった。


 公演切符をとるのも難しいと、先日聞いたばかりだったためこれは嬉しい誤算だった。

 リリアージェももちろんわくわくしている。


「実は、我が家で開催予定の仮面舞踏会に、そのヴァイオリン弾きを招いておるのだよ。」


 セルディノ公爵が自慢げに口の端を持ち上げる。

 晩餐会に出席をするご婦人方が色めき立ち、公爵は「興味があるのなら、是非とも皆を招待しよう」ともったいぶった口調になる。


 王家の遣いとして選ばれたのはヴィワース子爵夫妻を含む三組の夫婦。全員が貴族階級である。このご婦人方が公爵の話に食い付いている。


(仮面舞踏会……大人の響きだわ)


 話に聞いたことはあっても、リリアージェは一度も出席したことが無い。本格的な社交デビューが今年に入ってからなのだ。

 仮面をつけ、出席者たちは身分を伏せ、その場限りの夜を楽しむ。まさに大人の社交場。


「どうだね、ブリュネル公爵家の若夫婦も、出席するかね?」

「ええ、是非とも参加させていただきます」


 エルクシードがあっさりと招待を受けたため、リリアージェはいささか面食らった。絶対に理由をつけて断るかと思っていたからだ。なんというか、彼のイメージではない。


「ほう、ブリュネル公爵家のせがれは硬派だという噂だったが、このような場にも興味があるのかね」

「私はそこまで堅物でもないつもりです」

「だそうだが、夫人。いかがかな?」

「夫の言う通りですわ」


 リリアージェは余計なことは言わずに無難に答えておいた。

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