第30話

「義賊のつもりなのかな。まったく、最近ではずいぶんと市井で人気だそうじゃないか。金持ちの不幸は娯楽っていうことなんだろうね」


 確かに、芝居のネタになるくらい市民には人気なようだ。エルクシードにしてみれば不愉快なこと極まりないが。おそらく、一番腸が煮えくり返っているのは、警邏隊を統括している人間であろうが。


「若干突貫で押し進めたけれど、社交期だからね。向こうも受け入れてくれたし、リリアージェ夫人にはクラウディーネを交えて近日中にも私から話をするよ」


「お気遣い感謝します」

「人使いの荒い上司でごめんね?」

「それに関しては否定しませんが」


 心を許した側近ばかりということもあり、ニコライの空気が砕けたものになった。

 エルクシードとしては、極力リリアージェを政治に利用したくはないが、ブリュネル公爵家の人間として避けられない義務というものがある。ここは己がしっかり彼女を守ればよいだけのことだ。昼間の社交と音楽会のみ出席を許し、あとは宿で待機をしていてもらう。


 でないと、自分の心が持たない。


 先日の舞踏会でリリアージェは注目の的だった。神々しいまでに美しい彼女が次々とダンスに誘われているのをすぐにでも止めたかったのに、挨拶やら義務やらで彼女のもとにたどり着けず、次の曲が始まってしまうということが数度繰り返された。


 舞踏会が初めてということもあり、リリアージェはダンスの誘いを断り切れず、次々と相手にしていたのも心穏やかではなかった。

 離婚後の再婚相手を探しているのでは、と穿った考えを持ってしまうことを止められず、表情がどんどん硬くなっていった。


 しかも、間の悪いことに大して親しくもない、顔見知り程度の友人たちにリリアージェを紹介する羽目にもなった。

 彼らは既婚者だからこそ質が悪いのだ。恋愛を遊戯ごとと割り切り、社交期に適度に浮名を流すからだ。


(私は狭量だな……。彼女に近づきたいのに、本心を拒絶されたくなくて、忘れてくれなどと)


 自分の嫉妬心のせいでリリアージェの機嫌を損ねてしまったとき、エルクシードは精一杯の気持ちを伝えた。虚勢を張ると失敗してしまうことは過去の言動で身に染みて分かっている。

 リリアージェを離したくなくて、伝えた言葉だったのに、その後の彼女の反応を恐れるあまり「忘れてくれ」などと付け加えてしまった。


 リリアージェを想う気持ちは日に日に増している。淡い気持ちはエルクシードの中ではっきりとした形に変化をした。彼女を愛している。あの笑顔を自分のものにしてしまいたい。

 一度触れてしまえば、おそらく我慢が出来なくなる。


 それくらい、彼女に惹かれている。なのに、彼女の拒絶が怖くて本心を伝えられないのだから、なんて臆病なのだろう。己の小胆ぶりに呆れるのに、いざ口にしようとすると喉がからからに乾いてしまう。

 政治的な義務と本音の狭間で、エルクシードは切なげに息を吐いた。


  * * *


 ニコライの執務室を辞し、休憩がてら宮殿内を歩いていると、父であるブリュネル公爵と出くわした。

 仕事優先である父公爵はスフェリの屋敷には戻らずに、宮殿で寝泊まりをしている。久しぶりの帰還で予定を詰め込んでいるのだろう。父とはこれが一年ぶりの対面である。


「お久しぶりです、父上」

「ああ」


 五十を過ぎているブリュネル公爵だが、姿勢も良く、老いとは無縁の頑強な身体を持っている。とはいえ、顔には年相応の細かな皺が刻み込まれている。己のはしばみ色の瞳は彼から受け継いだのだな、とエルクシードは相対する傍らそんなことを思う。


「こたびの帰還では、どのくらい滞在をするのですか?」

「報告事項とその他雑務を終えれば、あちらに戻る」

「そうですか」


 親子とはいえ会話は必要最低限で、これは昔からである。厳しい面差しは常からのもので、特に不機嫌だとかそういう部類のものでもない。


 息子を前に近況報告という気風もなく、彼は早々に立ち去ろうとする。


「そろそろ、こちらに帰ってくる気はないのですか?」

 歩き出す公爵に向かって、エルクシードは問いかけた。


「いや。その予定はない」

「そろそろ部下も育った頃合いでしょう。彼らに任せる度量も、上の者が持つべき資質ですよ」

「若造が、生意気な」


 ブリュネル公爵が吐き捨てた。同じ瞳の色なのに、経験値の差によるものなのか、宿る光の険しさがまるで違う。


 政治家として国家に仕えるその姿勢は立派なのだが、一人の夫としてはどうなのだろう。これまでそのようなことを考えもしなかったのに、最近エルクシードは家族の在り方について思うのだ。


 己が離婚をされそうになって思い知った。ずっと、ヘンリエッタとリリアージェに甘えていたのだということに。母の寂しさを教えてくれたのは、リリアージェだった。

 しかし、この父に母が寂しがっているから帰って来いと言っても、聞く耳を持たないのだろう。公爵にとっての優先順位は絶対だ。


「そういえば、ヘンリエッタあれはあの娘、リリアージェを養女にしたがっているそうだな」

「母上から聞かれたのですか」

「いや。そう報告を受けた。エルクシード、あれの好きにさせてやれ」


 一瞬何を言われたのか分からず、数秒の間が空いた。


「私にリリアージェと離婚しろ、と言うのですか」

「あれがそう望んでいるのなら、そのようにさせてやれ」


 ブリュネル公爵の返答はある意味清々しかった。意図が掴めず、エルクシードは公爵を睨みつける。


「彼女は私の妻です」

「セルジュアから幼い姫君をもらい受けることにしたのは、あれが娘を欲しがっていたからだ。ヘンリエッタは子供を望めなかったからな。おまえの嫁にしたのはついでにすぎん」


「……」


 ずいぶんな言い草に一瞬言うべき言葉を見失う。


「おまえも知っているはずだ。おまえを産み落としたヘンリエッタあれは医者から告げられた。次に子を孕めば、命の保証はないと。もしくは、自身の身体と子のどちらかを選ぶことになると」


 その話は知っている。エルクシードが子供のころから囁かれていたからだ。


「だが、彼女は娘を欲しそうにしていた。だから与えた。それだけのことだ」

「しかし」


 今回ばかりは承諾するわけにはいかない。父の思惑がどうだったかなど、関係ない。エルクシードはリリアージェを愛している。妹に向ける種類の気持ちではない。彼女を、一人の女性として求めている。


「離婚が醜聞だというのなら、そのようなこと話題に上らせなければよいことだ」

 こういうところは夫婦そっくりだった。

「父上の命令であっても、私は承諾できません。私の妻はリリアージェただ一人だ」


 きっぱり宣言をすると、ブリュネル公爵がわずかに目を動かした。

 それに取り合わず、エルクシードは歩き出した。

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