第29話
「いくら船での不正貿易に目を光らせていても、陸側でやられたのではたまったものではない」
ニコライが険しい目つきで手に持った書類を弾いた。
舞踏会から数日後のことである。現在エルクシードはニコライの執務室に呼ばれていた。
室内にはエルクシード以下、彼の腹心が数名集められている。
サフィルと南の隣国エルメニドは共に海に面している。そのため、貿易といえば船を介したものが一般的なのだが、そのぶん役人の目も厳しい。
近年頭を悩ませているのが陸続きでのルートを使った不正品の密輸。調べていくと、背後に貴族の名があがった。
「ブリュネル公爵が捕らえた証人の証言がこれか」
「はい。トカゲのしっぽ切も同じで、情報がとぎれてしまっております」
ニコライが書類を眺めるその顔にははっきりと忌々しいと書かれている。側近の一人が言い添えると「難儀なものだ」と浅く息を吐いた。
ブリュネル公爵は長い間、エルメニド統治領のトップに就任をしている。
先の戦争でエルメニド側の一部を併合したのは現在の国王が王位を継いでまもなくのことだった。王の交代を好機と見たエルメニド側からの侵略を返り討ちにしたのがニコライの父である。
以来エルメニド側の有力者に力を持たせないよう、現王は統治領への締め付けを強くしている。抵抗する気を削ぐための必要措置でもあったが、あれから二十年ほどが経過した。一度統治領のトップが交代することになり、ブリュネル公爵が派遣をされた。
前代から続く統治方針は継続をしたままだが、ここにきて問題が発生した。
エルメニド側を食い物にしようとするサフィルの人間の行動が目に余るようになってきたのだ。この政策を隠れ蓑にエルメニド統治領内の家を没落させる輩が現れたのである。
彼らは巧妙に家々から財産を奪い、それを秘密裏にサフィル側へ流し、売りさばいている。商人だけではここまで上手く立ち回ることはできない。背後にはサフィル国内の貴族がいた。
「上から締め付けるやり方は彼らの独立心に火をつける恐れがある。今は圧政ではなく、融和が必要な時期に来ている」
基本的に国王とニコライの政治的な方向性は一致しているのだが、一つだけ食い違っている。それがエルメニド統治領内の扱いだ。
手綱を緩めたくはない国王に、ニコライは根気強く主張をした。力を削ぐやり方も間違いではないが、サフィル側の横暴が目につくようになってきた。これでは彼らの反抗心の芽が育つようなもの。
ニコライはブリュネル公爵を説き伏せ、統治のあり方を変えようと模索している。その一環で、これまで統治の名のもとに甘い汁を吸ってきた者たちの検挙に乗り出した。
エルメニド側の名のある家から財産を剥いでいた黒幕として浮上したのが、トラバーニ伯爵という人物だった。
彼はサフィルとエルメニドを繋ぐ街道を領地に持っている。
「一連の黒幕はおそらく、トラバーニ伯爵で間違いないだろう。彼には不正貿易と通行税の不正徴収の疑いもある」
とはいえ、疑いだけで証拠がない。現在は限りなく黒に近い灰色といったところ。隙がなく、手が出せない。
「しかし、リリアージェをこの件に関わらせるのは本意ではありません」
「きみ一人よりもリリアージェ夫人のように純粋な娘がいたほうが、相手を欺ける。これは決定事項だよ、エル。そのための口実だって用意をしたのだから」
「……かしこまりました」
ニコライはこの国の王太子だ。政治に私情をはさむことはしない。それが有用であると判断をすれば、家臣を配置する。
頭では理解をしているが、それでも何も知らない彼女をマリボンへ連れて行くのは気が重い。
トラバーニ伯爵は社交界でも名を馳せている。多くの芸術家のパトロンになっているからだ。芸術家の支援は貴族の道楽のようなものだ。
パトロンとして庇護した者が有名になれば、見る目があったのだと誇れるというわけだ。
「トラバーニ伯爵が支援している音楽家がマリボンの野外劇場に出演しているのだったか。ずいぶんと評判になっているそうじゃないか。クラウディーネから聞かされたよ。ええと……」
「ダリアン・ロンターニという名だそうですよ、殿下」
別の側近が言い添えた。
「ああそれだ」
エルクシードにも覚えがある名前である。リリアージェも同じ名を以前口にしていた。たしかヴァイオリン奏者だったはずだ。彼女が興味を惹かれる男の出演する音楽会にどうして己が彼女を誘わなければならないのか。
ものすごく面白くないが、これも任務だ。
自然にトラバーニ伯爵と接点を持つためにニコライはマリボンを拠点とする旧家セルディノ家への用事を作った。かの家に宮殿で所蔵している美術品を短期間貸し出すというものだ。セルディノ家と王家は過去確執を持っていた。というのも、百五十年前の王都遷都は、この家が権力を持ちすぎ、王家を傀儡と扱うことに耐えかねた当時の王の決断だったからだ。
現在では幾分関係も改善し、かの家を冷遇しているわけでもないという対外的なアピールも兼ねて美術品を貸し出すことにしたというのが対外的な名目だ。
そして何人かいる使者に選ばれたのがヴィワース子爵夫妻というわけだ。交流を温める名目で社交をしつつ、トラバーニ伯爵に近づくのが今回の目的だ。
現在のセルディノ家当主は美術品の蒐集家としても有名で、そちら経由で何かボロが出るかもしれない。
「それにしても……大泥棒と呼ばれるコソ泥が盗んでいったものが、エルメニド統治領からの密輸によって持ち出されたと見られる品物と合致している、か」
ニコライが面白くなさそうに嘆息した。この数か月スフェリを騒がせている泥棒の被害者たちは、当初口をつぐんでいた。
最近になり、新聞社に犯行声明文が贈られるようになり、被害が明らかになった。調べていくと、先にニコライが述べたような結果に行き着いた。これは偶然なのか。それにしては、見逃せない共通項であった。
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