第28話

「先ほどの続きを話そう」

「あ、そうでしたわ。お母様なのですが、先にお帰りになられましたの。ですから、公爵家の馬車が宮殿に戻ってくるまでエルクシード様はこちらに足止めですわ、と伝えに参りました」


「わかった。まだ会場にいるから問題はない」

「あの」

「なんだ?」

「お友達は大丈夫ですの? あのように断ってしまい、角が立ちませんか?」


「彼らとはそこまで親しい友人でもない。少し、情報収集をしていただけだ」

「そうですの? そのわりには親しい間柄に見えましたけれど」


「確かに友好的な態度はとるが、あくまで社交の一環としての対応だ。きみが気にする必要はない」


 エルクシードが眉間の皺を深くした。


「ダンスくらい、別にわたくしは構いませんが」


 エルクシードの友人なのだから、今後付き合いもあるだろう。何の気負いもなく返事をすると、彼のまとう空気が変わった。


「きみが気に掛けることではないと今しがた言ったはずだ」

 まるで子供を叱るような、上から押さえつける言い方だった。


「なっ……」


 リリアージェが顔色を変えると、エルクシードが我に返ったように目を軽く見張った。


「すまない……。強く言うつもりは無かったんだ」

「ええ。本当に強い言い方でしたわ」


 胸の奥がずきりと痛んだ。どうして彼の機嫌が悪くなったのか分からない。


 まだ彼はリリアージェのことを子供だと思っているのだろうか。さっきだって、リリアージェと彼らの会話を遮るかのように、彼は慌ただしくあの場を締めてしまった。

 まるで、リリアージェが子供だから恥ずかしくて隠しておきたいかのようにも思えた。自分だってもう立派な大人だというのに。


 大体、エルクシードが誰とどのくらい親しく付き合っているかなんてリリアージェは知らないのだ。教えてもくれなかった。それなのに、あのように上から言うのはどうなのだ。


「リリアージェ。機嫌を直してくれ」


 リリアージェはその言葉に取り合わずに、一人歩き出した。

 寂しさが身体をじわりと浸食していく。


「リリアージェ」


 すぐにエルクシードが追い付いて、リリアージェの隣を歩く。大広間は目と鼻の先だ。

 リリアージェの耳に、優雅な音楽が届いた。背が伸びて、身体もまろやかになって、形ばかり大人になって。それなのに、今の自分はこんなにも幼稚だ。彼の言葉に腹を立てて意固地になっている。

 リリアージェは立ち止まった。項垂れ、彼の目を見れないまま、本音を吐き出す。


「わたくし、あなたに子ども扱いされるのが何よりも嫌いなのです」


 彼に追いつきたい。それがリリアージェの小さなころからの願いだった。十の年の差は埋まらない。そんなことは分かっているけれど、懸命に背伸びをした。


「きみを子ども扱いしたわけではない……。ただ、これ以上、きみが私以外の男性と踊るところを見たくなかっただけだ」


 しばしの静寂の後、静かな声で紡がれた。


 リリアージェはゆっくりと顔を持ち上げた。はしばみ色の瞳と目が合う。

 エルクシードの瞳からは言葉以上の意味を探すことはできなかった。


 彼は、何を思ってリリアージェにそんなことを言ったのか。期待してしまいそうになる心をぐっとこらえた。


 それは嫉妬をしてくれたということ? 唇から言葉が零れそうになる。寸前のところで止めたのは、この先の会話を続けることへの恐怖があったから。妻を宥めるための台詞かもしれないのに、真に受けてしまえば心に傷を負うのはリリアージェの方だ。


 けれども、もしも彼が次の曲を誘ってくれたら。そうしたら、彼を信じることができるだろうか。

 ほんの少しの期待を込めてリリアージェは彼を見つめる。

 長い間なのか、短い間なのか分からない。ふと、彼がリリアージェから視線を逸らした。


「すまない。忘れてくれ」

「え……」


 寂しさが胸を侵食する。


 どうして。さっきの言葉は、やっぱり本心ではなかったの。期待を持つなという牽制をしておきたくなったのだろうか。


 だったら、あんなこと言わなければよかったのに。


 自分からエルクシードに手を伸ばす勇気もない癖に、彼から差し伸べてほしいだなんて。リリアージェだって大概にわがままだ。

 すきま風が長い間吹く胸の奥を持て余し、リリアージェはそれを紛らわせるために顔に笑みを張りつけた。


 不毛なやり取りは、互いの心を消費するだけ。彼も謝ったのだから、リリアージェも引くところだ。確かに、エルクシードが踊る必要が無いと言ったのだから、その通りなのだろう。


「わたくし、そろそろ下がろうと思いますわ。やはり、初めての舞踏会で気が張ってしまっていたようです。先ほどは、わたくしも可愛くありませんでしたわね。申し訳――」

「いや。私の言い方がきつかっただけだ。きみが悪いわけではない。下がるというのなら、途中まで送らせてほしい」


「ありがとうございます。まずは、妃殿下にご挨拶をしてきますわ」

「ああ」


 クラウディーネを探して、退出する旨伝えると、彼女はリリアージェを労わってくれた。もうすぐ舞踏会の一部が終わる頃。このあと、休憩をはさみ二部が始まる。深夜まで続く舞踏会なのに、早々に退散する自分は、やはりまだ精神的にも子供なのかもしれない。立派な淑女には程遠く、修業が足りない。


 会場から少し離れただけで、喧騒が嘘のようにひっそりと静まり返っている。

 夏とはいえ、夜はそれなりに涼しくなる。幾分冷気をはらんだ夜風が肌を撫でていると、ふわりと肩に布地をかけられた。


「夜風は身体に障る」


 横を見上げると、エルクシードの上半身から上着が取り払われていた。ふわりと清涼な香りが鼻腔をくすぐった。おそらく彼の付けている香水か何かだろう。まるでエルクシードに包み込まれているかのような錯覚に陥って、リリアージェは必死になって理性をかき集めた。

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