第26話

「お母様」

「やっぱり、わたくしの娘だけあるわねえ。大人気じゃない。次々とダンスを申し込まれて、わたくし鼻が高かったわ」


 ヘンリエッタは自分のことのように嬉し気だ。娘がモテモテでご満悦なのだ。誰からも誘われず壁の花になることが恥ずべきことだとされているのはリリアージェも知っている。


「皆さん、わたくしが王太子妃殿下のお話し相手に選ばれたことをご存じだからですわ」


 リリアージェ本人は対外的には人妻なのだから、モテる要素などひとかけらも無い。きっと、クラウディーネへのごますりだ。


「まあ。あなたが可愛らしいからに決まっているじゃない。せっかくの社交の場ですもの。舞踏会の花、なんて言われる日もそう遠くない未来だわね」

「立て続けに踊るのも大変でした。なかなかうまく断れなかったのです。さすがに疲れましたから、しばらくダンスは遠慮したいです」


「ふふふ。次は華麗にダンスを断る技術を身に付ける番ね。さあ、座りなさい。疲れたでしょう。エルクシード、冷たい飲み物でも持ってきて頂戴。あなたってば、気の利かない息子ねえ」


 ヘンリエッタが母特有の遠慮のなさで息子をこき使う。エルクシードはそれに逆らわずに一度場所を離れ、グラスを持って戻ってきた。

 手渡されたそれは果実水で、喉を滑り落ちる感覚がとても気持ち良い。リリアージェはあっという間に飲み干してしまった。


「ふう……」

「よい飲みっぷりね」

 ヘンリエッタがころころと笑った。


「たくさん踊って息が上がっていましたの」

「お代わりが必要なら貰ってくる」

「大丈夫ですわ、エルクシード様」


「わたくしはこれからリリーと二人きりで話すのだから、あなたはさっさとお行きなさい」

「……仕方ありませんね。しばらく母上にリリアージェを譲ります」


 体よく追い払われたエルクシードだったが、素直に従いその場から離れた。なんとなく、もう少し彼は粘るのではないかと考えていたため少々呆気にとられた。


(もう、わたくしったら……)


 自分の幼稚な考えに恥ずかしくなる。別に彼はリリアージェ自身に執着をしていないというのに。


「さあさ、邪魔者もいなくなったことだし。あなたのお話を聞かせて頂戴な」


 リリアージェはヘンリエッタに請われるままに、宮殿での生活を話した。手紙では書ききれない、日々の細やかなことや、最近起こった出来事を語って聞かせていく。

 宮殿での生活は華やかで、そのどれもがリリアージェにとっては初めてのことばかり。広い宮殿で迷子になりかけたことなどを大げさに話せば、ヘンリエッタは楽しそうに相槌を打ってくれた。


「ディアモーゼ宮殿はいくつもの館に分かれていますでしょう。最初は曲がる角を間違えてしまったりして、大変でしたわ」

「たしかに、やたらと広いものねえ。この宮殿は」


「最近ではだいぶ慣れましたわ。それに、ようやく女官や侍女の顔と名前が一致するようになりましたの。みんなと力を合わせて、クラウディーネ様を盛り立てていくのですわ。わたくし、とてもやりがいを感じております」


「あなたも成長をしたのね、リリー」


 ヘンリエッタが目に涙を浮かべながらしみじみと頷く。なんだかこそばゆくてリリアージェも顔を赤くした。


 二人で会話に花を咲かせていると、ふいに頭上が暗くなった。

 顔を上げると、そこには壮年の男性が佇み、こちらを見下ろしていた。なにか、既視感のある顔である。金茶髪を後ろに撫でつけ、年を感じさせない頑強な体躯をもつ、健康そうな男性である。


 誰だろうと、記憶の海から当該人物の名前を引っ張り出しているとヘンリエッタが「あなた」と硬い声を出した。


(そうそう、あなた……そうだった。ブリュネル公爵だわ。お義父様!)


 久しぶりに顔を見たせいで、すっかり記憶から消し飛んでしまっていたが、ヘンリエッタのつぶやきで思い出した。それに、どこかエルクシードに面差しが似ている。親子なのだから当然だ。


「どうしておまえがこのような場にいる?」

「あなたこそ、おかえりになっていたのですね」


 久しぶりの会話にしては、他人行儀で温度のない会話が繰り広げられる。


「ああ。報告のために昨日到着をした」

「そうですの」


 その後、両者の間に沈黙が落ちた。

 ヘンリエッタは顔を下に向け、唇を引き結ぶ。

 すると、もう一度ブリュネル公爵が口を開く。


「どうして、おまえがこのような場にいる?」

「わたくしがどこにいようと、わたくしの勝手です」

 ヘンリエッタが吐き捨てた。


「リリー、あちらへ行きましょう。気分が悪いわ」

「だったら早く屋敷へ戻れ」

「外の空気を吸いに行きましょう、リリー」

「え、ええ」


 ヘンリエッタが立ち上がったため、リリアージェも釣られるようにその場を離れた。


「待て」


 ブリュネル公爵が声を掛けたが、ヘンリエッタはそれに応えることなく足早に立ち去ろうとしている。


 リリアージェは一度立ち止まってブリュネル公爵を見つめた。彼の視線はじっとヘンリエッタの背中を追いかけていた。ともすれば睨みつけているような、怖い面差しなのに、どこか目が離せない。

 リリアージェはどう声を掛けていいのか分からずに、小さく膝を折ってヘンリエッタを追いかけた。

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