第25話

 月が替わった最初の週、今日は王家主催の舞踏会の日である。

 日が暮れて、宮殿の至る所で明かりが灯されていく。暗闇に浮かび上がる橙色の光は平素よりも多く、昼間のように明るい。


 リリアージェはブリュネル公爵家の二人と一緒に入場をした。ヘンリエッタとエルクシードに挟まれてというわけだ。


 今日に向けて何日も前からお肌にパックを当て、念入りに磨いてきた。髪の毛にも香油を垂らし、何度も丁寧に梳られた。おかげで金色の髪の毛は平素よりも輝いている。


(わくわくなんて……していないはず……なんだから)


 ドレスはふわふわと薄い紗の生地が何枚も重ねられた軽やかなもの。公爵家の後ろ盾もあり、スカート部分にはふんだんに輝石が使われていて、シャンデリアの光を反射していてきらきらと輝いている。


 初々しい薄紅色のドレスは、自分には少々若々しすぎやしないか、と思うのにエルクシードから「似合っている」と言われるとドキドキした。


「エルクシード様も、今日のお召しもの、よくお似合いですわ」

「ありがとう」


 宮廷装束に身を包み、髪の毛をあげた彼は、お世辞抜きで素敵だった。

 気を抜くとうっとり見惚れてしまいそうになるため、リリアージェはいつも以上に腹に力を入れている。素直になりたい心と頑固なそれが、リリアージェのなかでせめぎ合っている。


「妃殿下には感謝だな。今日きみを独り占めできる権利を譲ってくれた」

「……っ」


 そんな風に、不意打ちで気障な言葉を言うのだから質が悪い。

 どうして、ずっとほしかった言葉を、今頃になって伝えるのだろう。これは彼の演技だと分かっているのに、胸の奥で星が弾けるように、ときめいてしまう。


「独り占めじゃないわよ。わたくしがいるのをお忘れなく」


 ヘンリエッタがひょこっと顔を出して牽制をした。それに対して息子であるエルクシードがぎゅっと眉を寄せた。


「わたくし、お母様とお話するのを楽しみにしておりましたわ」


 リリアージェは意識をヘンリエッタへ逸らした。エルクシードと二人きりの入場でなくて心底よかった。


「まあ、ありがとう、リリー。わたくしが贈ったドレスよく似合っていてよ」

「ありがとうございます」

「きみたちは本当に仲がいいな」


「もちろんですわ」

「当たり前じゃない」


 エルクシードの嫉妬混じりの声に、女二人が同時に答えた。


 全体がどこか浮足立った空気の中、舞踏会は幕を開いた。


「仕方がないから、今だけはエルクシードにリリーを託すわ」


 ダンスには加わらないヘンリエッタが大広間の隅の方に去っていった。

 リリアージェは内心ドキドキしながら、招待客らが立ち並ぶ列に加わった。もちろん、最初の相手はエルクシードだ。


 はじまりのダンスは円舞で、男女それぞれ並びステップを踏みつつ移動をしていく。

 舞踏会はもちろん今日が初めてで、練習はしたけれどうまく踊れているか自信が無い。おしゃべりをしながら、というには曲が早くてリリアージェは体を動かすことだけに集中をする。


 順番に踊る相手が変わっていくため、エルクシードとはすぐに離れてしまう。

 笑顔を保っているのが精いっぱいで、気が付いたら最初の曲が終わっていた。


 ひと仕事終わったのだと思う間もなく、見知らぬ紳士からダンスを申し込まれてしまい、リリアージェは流されるままダンスを踊った。


 相手の顔を見ている暇もない。とにかく、ステップを間違えないことに精一杯。

 ようやく演奏が鳴りやみ、今度こそダンスの輪から辞そうとすると、再びダンスを申し込まれた。

 何しろ生まれて初めての舞踏会。相手が誰だかもわからないから、下手なこともいえない。

 狼狽えていると再び音楽が始まってしまった。仕方なしに、顔も知らぬ紳士の手を取り踊り始める。


 エルクシードを探そうと視線を動かしていると、ステップを間違えてしまった。

 ようやく曲が終わり、今度こそ立ち去る、と意気込みかけたその直後に別の紳士から声をかけられた。そして仕方がなしにもう一曲踊った。


 幻のヴィワース子爵夫人が初めて宮廷舞踏会に現れた。可憐で愛らしい姿が男性たちの興味を惹きつけ、ダンスの順番を手ぐすねを引いて待ちわびていることなど、リリアージェは知る由もない。

 次は絶対に無理、一度休憩をとる、決意をしたのに、やっぱり見知らぬ紳士から誘われた。すると、リリアージェの前に広い背中が立ちはだかった。


「失礼。そろそろ妻には休息が必要だ。私の母も彼女と話をしたがっているので、ここは譲っていただきたい」


 声で分かった。エルクシードだ。

 紳士は惜しそうにしていたが、エルクシードが頑として譲らず、リリアージェはようやく人心地をつくことができた。


「ありがとうございます、エルクシード様」

 助けてくれた彼に素直に感謝を伝えたのに、エルクシードの表情はいつもよりも硬かった。

「ずいぶんと楽しそうだったな」

 おまけに声も幾分低く感じた。


「よく分からないまま立て続けにダンスを申し込まれてしまいましたのよ。楽しいどころか疲れましたわ」


 リリアージェはげんなりした声を出した。今は早く座りたい。

 大広間隅に置かれた椅子にヘンリエッタが座っていて、リリアージェに向けて手を振ってくれている。


「リリー」


 リリアージェは嬉しさに頬を染め、彼女のもとへ駆け寄った。


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