第24話

 近頃、日差しがぐんと強くなった。

 リリアージェが宮殿に上がり、そろそろ三カ月。新緑からすっかり、葉の生い茂る季節へ移り替わり、社交シーズンもそろそろ盛りである。


「ジェイブ大司教との面談ももうすぐね」


 午後のひと時、ヴァイオリンを弾きおわると、クラウディーネが話題を振ってきた。噴水を望む、小さな部屋は彼女のお気に入りでもある。


「はい。一体どのような面談なのか、少々不安でもありますわ」

「猶予期間が始まったばかりなのだから、ただ途中経過を聞かれるだけだと思うけれど。エルクシードは随分とあなたに心を砕くようになったわね」


「彼にとっては義務のようなものですわ」


「手厳しいわね。けれども、冷静に判断をすることも大切ね。男というのは釣った魚に餌をやらない者もいるから、見極めは重要よ。わたくしたちは政略結婚だから、見極める以前の問題だけれど」


 クラウディーネからエルクシードのことを問われたのは久しぶりのことだった。


 最初の頃こそ、クラウディーネはリリアージェの完全なる味方でいたのだが、日が経過をするにしたがって、中立の立場を取るようになった。


 ニコライから何かを言われたのかもしれないし、エルクシードの態度を見て感じるものがあったのかもしれない。そういうのを含めてクラウディーネはこの件に関してリリアージェに対して意見を言うことが少なくなった。

 だからこうして久しぶりに彼女が結婚観を口にすることが珍しい。


「ですが、わたくしはエルクシード様に多くを求めませんわ。それに……、結婚にも」


 だって、リリアージェは彼の本音を知っているから。彼は単に離婚をすれば面倒になるからと、リリアージェを繋ぎ止めておきたいだけだ。醜聞に巻き込まれてしまうし、新たに妻を娶るにも、煩雑な手順を踏まなければならない。


 エルクシードはブリュネル公爵家の嫡男である。その血を次代に残すために、リリアージェと離婚をしたら、新たな伴侶を得ることを求められる。

 エルクシードの義妹になったら、いつかは彼が新しく娶った妻とも会話をしなければならなくなる。そのことを考えると、胸の奥がつんと疼いた。


「最近はニコライも思うところがあるのか、家族サービスをするようになったのよ。エルクシードにも積極的に休暇を取るよう進言しているのだとか。わたくしにも協力を求められたわ」

「わたくし、今が楽しいので、休暇は必要ありませんわ」


「彼のことはともかく、息抜きもたまには必要よ。そうそう、もうすぐ宮廷舞踏会じゃない?」

「そうですわね」


 王家主催の舞踏会である。これに出席することに、この国の貴族の娘たちは小さなころから憧れる。リリアージェもいつかエルクシードと一緒に参加をすることに思いを馳せてきた。


「せっかくだもの。当日はエルクシードにエスコートをしてもらいなさいな」

「ニコライ殿下から何か言われました?」

「それもあるけれど、わたくしの考えでもあるのよ。あなたを見ていると……ね」


 クラウディーネは困ったような笑みを浮かべた。

 きっと、彼女はリリアージェ自身すら気づいていない、心の奥に溜まっている願いに気が付いている。ささくれ立った胸の奥に眠る、ひとかけらの願い。


「実は、お母様が久しぶりに舞踏会に参加をなさるとのことなので、最初の入場はお母様と一緒にする予定ですわ」

 リリアージェはそれに気が付かない振りをしてからりと明るい声を出した。


「そういえば、公爵夫人からお手紙を貰っていたわ」

「お母様からですか?」

「ええ。娘を少しの間貸してくださいませ、って。久しぶりに会うのだから、わたくしに気兼ねなく楽しみなさい」

「ありがとうございます」


 ただ、少々心配でもある。ヘンリエッタは身体が弱い。気温の変化に敏感で、熱を出すことも多い。舞踏会は夕刻から、深夜にかけて行われるため、夜風が彼女の気分を害さないか気にかけてしまう。


「そうだわ。エルクシードも仲間に入れてあげたらどうかしら?」

「それは……善処します」


 夫のエスコートに憧れていたのは、まだ純粋だった少女時代の頃。いや、今だってまだ十八歳なのだけど。素直に喜ぶにはリリアージェは年を取り過ぎた。

 つい、彼の台詞ひとつひとつに反論したくなる。もう一方では嬉しく思っているのも事実で。


「せめて、三人で入場してあげて。エルクシード一人きりだと、彼可哀そうよ」

「うっ……」


 確かに、男一人ぽつんと佇んでいるのも切ないかもしれない。

 うっかり、哀愁を帯びた背中を想像してしまうリリアージェである。


「初めての舞踏会なのだから、わたくしに遠慮をしないで楽しんで頂戴ね。うんときれいに着飾ってエルクシードをぎゃふんと言わせてあげましょう」


「それは、楽しそうですわね」


 立派に成長をした姿を見せて、もう子供ではないところを見せつけてやるのも一興かもしれない。逃した魚は大きいのだと。これは大人の魅力でメロメロ作戦と銘打つところかもしれない。


「これから忙しくなるわね。準備、頑張りましょう」

 クラウディーネがにこりと微笑んだ。


(あれ、これってもしかしなくてもクラウディーネ様に誘導されてしまった?)


 気が付いたときにはクラウディーネが嬉々として段取りを決めてしまっていた。

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