第22話

 帰りの馬車の中でエルクシードは一人反省会を行っていた。リリアージェとの間に立ちふさがる深い溝を埋めたいのに、失敗ばかりしている。


(はあ……またやらかしてしまった)


 先ほども、慰めたくてつい頭を撫でたら、子ども扱いはするな、と怒られてしまった。

 こういうとき、手慣れている男なら口付けの一つでもするのだろうが、そういうことができる性分であれば、彼女のことを二年も放ってはおかなかった。

 いや、手を出すことに後ろめたさを感じていたわけだから、好きな女性に口付けくらいできる。


(だが、私は所詮家庭教師くらいにしか思われていないからな)


 自分で考えて、再びずーんと肩が落ちた。リリアージェと二人でスフェリ散策をした日のことだ。つい調子に乗ってスフェリの成り立ちを話してしまった。そのときの彼女の評が、家庭教師のようだ、というものだった。


 あれは地味に落ち込んだ。リリアージェに、あなたはわたくしにとって家庭教師くらいの立ち位置も同じよ、と言われているかのようだった。

 その後大学教授のようだと言いなおされたのは、それくらい堅物で面白みが無いという比喩表現だろうか。


 どちらにしろ、リリアージェからは相手にもされていないということだ。そう考えると胸にずきずきと来るものがあるが、まだ離婚猶予期間の最中だ。最初の三カ月だって終わっていない。

 どうにか、彼女に男として意識をしてもらえるように頑張りたい。


 昔から眩しかったリリアージェは、この短い間の中でさらにエルクシードの心の中で大きな存在になった。


 馬車がブリュネル公爵家の屋敷へたどり着き、エルクシードは執事と二、三言葉を交わしてヘンリエッタのもとを訪れた。


「あら、珍しい」

 帰宅の挨拶をすると、彼女は目を丸めて息子を見つめてきた。


「ここは私の家でもありますから」

「一人で気ままに暮らしたほうが都合がいいだの言って、別に館を持ったのはどこの誰だったかしら」


 確かに仕事のために宮殿近くに館を借りた。何かと便利だからだ。母親のご機嫌伺いをするのも面倒だと思った若き日の自分が今になって己の首を絞めている。


「これまでのことは反省しています。少しは、家族にも目を向けるべきだった」

「少し?」


 失言だった。

 どうにも、家庭のこととなると迂闊なことばかり言ってしまう。リリアージェに対しても、たくさん失敗をしてしまった。仕事で忙しいという言い訳は妻には禁句なのだと、エルクシードはよくよく学んだ。


 エルクシードが黙り込むとヘンリエッタが口を開く。


「リリアージェは無事にお茶会を乗り切ったようね」


 耳が早い。おそらく、参加者に友人がいたのだろう。茶会のあとに屋敷に寄ったのか、人を遣って様子を聞いたのか。

 しかしそれ以上のことは知らないようなので、エルクシードは余計なことを言わず「そのようです」とだけ返事をした。


 大事な妻をクラウディーネに預けているのである。エルクシードは頻繁に、リリアージェの様子をガルソン夫人に尋ねている。


 今日はリリアージェにとって大事な日であった。だから茶会が終わる頃合いまでに仕事に区切りをつけ、宮殿奥へ足を運んだ。


 リリアージェとの面会を申し込むと、ガルソン夫人から二つ返事が返ってきた。

 詳しいことは聞いていないが、彼女は茶会の前に小さなミスを犯してしまい、酷く消沈しているとのことだった。ガルソン夫人からは「だいぶ落ち込んでいるようだから、ヴィワース子爵、頼みましたよ」と託された。クラウディーネとは違い、彼女は一歩引いた状態で、ヴィワース子爵夫妻を見ている節がある。


 確かにこういう時は第三者が話を聞いた方が心が落ち着くかもしれない。エルクシードは庭園にいるはずだというリリアージェを探して歩き、彼女を見つけた。


 酷く落ち込んだ彼女の華奢な肩が小刻みに震えていて、けれども必死にそれを耐えている様子に、彼女の気高さを垣間見た。

 どのように慰めるのが正解か分からないまま、エルクシードは結果部下に対するような口調になったし、その後頭をぽんぽんと撫でてしまった。


 失敗は誰にだって起こり得ることだ。だからといって開き直るなど愚の骨頂。

 ニコライのもとで、彼の施策を補佐してきた。エルクシードだって、迷うことはあるし、最善だと考え命じたものが正しいのか、振り返ることだって少なくない。


 ものは違えど、彼女も重圧を感じていたのだろう。

 結局、リリアージェを怒らせてしまっただけのようだが、そのあとは普段のように明るい口調になったのだから、あの流れでよかったのかもしれない。まだ無理をしていることはわかったが、ずっと気分を沈ませているよりも、違うものに気をそらしたほうがいいことだってある。


「……あの子にも、悪いことをしたと思っているのよ。リリーのことを思えば、あの子一人だけでもスフェリへやるべきだった」


 ヘンリエッタは独り言のように話し始めた。

 エルクシードは回想から現実へと意識を引き戻した。


「でも……スフェリで一人きりで寂しい思いをさせてしまうのも、忍びないと思ったのよ。それとも、あの子が一人でこっちに来たら、あなたも少しはあの子の相手をしたのかしら」

「……」


 もしもの話は苦手だ。自分の心を持て余していたエルクシードだ。リリアージェが単身スフェリへ来ても、彼女から逃げ回っていたかもしれない。


 お膳立てされることが気恥ずかしくて、一歩踏み出せない状況は変わらなかっただろう。

 彼女に嫌われるのが怖くて、手を出せずにいて、結果リリアージェが離れてしまった。

 大司教を交えての面談の際にも、言葉を間違えてしまい失望を買った。


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