第20話
太陽の位置が傾き、地面に出来る影が長くなりはじめてもまだ、リリアージェは宮殿の奥に広がる庭園のベンチに一人座っていた。
今日は初めて王太子妃クラウディーネの茶会に出席をした。茶会の主催と采配は貴族夫人にとっては必須能力ともいえる。
リリアージェはクラウディーネのもとで、経験を積むために茶会の準備を手伝った。
けれども。
(はあ……失敗をしてしまうだなんて……。わたくし、ぽんこつだわ)
茶会では笑顔を張り付けていたリリアージェだったが、それが終わった今はそのような気力もない。ひたすらに落ち込んでいた。まさか、お菓子の数を伝え間違えてしまうだなんて。
自分の至らなさ加減に落ち込んでしまう。もうこのまま穴の中にでも埋まってしまいたい。消沈のあまり思考がずるずると負の方向へ持っていかれる。
「リリアージェ」
ぼんやりと座っていると、後ろから声がした。よく聞き知った声である。
「どうしたのですか?」
振り返ると、そこにはエルクシードの姿があった。
リリアージェはぽかんと口を開け、それから慌てて前を向く。少し瞳が潤んでいるからだ。こんな姿、彼には見せたくない。だって、恥ずかしいではないか。
エルクシードには話の折に何度も茶会を話題にしていた。あんなにも張り切っていたのに、まさか当日に失敗が明らかになってしまうだなんて。
リリアージェは必死に瞬きをして通常よりも潤んだ瞳を正常に戻るよう努めた。
「お茶会、お疲れ様。よく頑張っていたと聞いた」
「……優しい言葉をかけないでくださいませ。……それとも、これも作戦ですの? 今優しくされると、困ってしまいますわ」
リリアージェはわざと澄ました声を作った。こんなところで取り入ろうととするだなんて。作戦だとしたら秀逸だ。だって、いまリリアージェはとっても弱っているから。
もしかしたら、誰かに様子をみてくるよう頼まれたのかもしれない。そろそろ戻る頃合いなのだろう。
「ガルソン夫人に言われたから来たわけではない。きみにとって今日は大事な日だと考えたから、前々から今日はきみに会いたいと思っていた」
「……やっぱり聞いているのではないですか」
「そこは否定しないが」
エルクシードに告げ口をした犯人はガルソン夫人らしい。彼女もまた、クラウディーネと同じように、リリアージェのことを見守ってくれている。
エルクシードがゆっくりとリリアージェの前に回ってきて、それからベンチの端に腰を落とした。
ほんの少しだけ二人の間に隙間がある。
その空間が、物悲しい。たぶんこれは二人の心の距離。
彼は何も言わずに前を見ている。
居たたまれなくなったのはリリアージェだった。
「……わたくしのことを、ガルソン夫人は厳しく叱咤してくださらなかったのです。……わたくし、失敗をしてしまいましたのに」
たぶん、誰でもいいから聞いてもらいたかった。エルクシードじゃなくてもいい。この悔しさを吐き出したかった。それだけのこと。
「ガルソン夫人はきみが十分に悔やみ反省していることを理解している。反省をしている人間にそれ以上追い打ちをかける必要などないだろう」
「ですが……」
「大事なのは、次にどう繋げるかだ。同じ失敗は繰り返さないことが大切だ。そうだろう?」
「……その通りですわ」
エルクシードの声は静かだった。
大げさに慰めもしない。けれども、突き放すこともない。上司と部下、そのような口調だった。そういう風に考えたのは、リリアージェが今、宮殿で過ごしているからだろうか。
この人は、たぶん公平な人なのだ。リリアージェが今必要とする言葉を的確に与えてくれる。
「けれど、初めてだからと失敗を許されるのも、悔しいのです。わたくしが指示間違いをしたのは事実ですもの」
みんな、もっと怒ってくれればよかったのに。ガルソン夫人もクラウディーネも、最初だから、と強く叱咤をしなかった。それが悔しかった。
そして、ミスをした自分に嫌気がさしてしまう。
隣にいるエルクシードの存在も忘れて、再び思考の渦に飲み込まれてしまう。
すると、隣から手が伸びてきた。頭の上に手のひらが置かれた。確認するまでもなく、エルクシードのものだった。
「わたくし、もう子供ではありませんわ」
冷たい声が出た。こんな慰め必要ない。
すると、エルクシードが慌てて腕を引っ込めた。ほんの少しだけ、寂しく思った。自分の心なのに、ややこしすぎる。
「すまない」
「優しくしないでくださいな」
「だが、きみは私の妻だ。一人で泣いていたら、慰めたくなる」
「泣いてなどいませんわ」
実際、瞳に涙を浮かべていたことを棚に上げてリリアージェは強がった。
「そうだな。きみは強い。いつの間にか、大きくなっていた」
「今頃、気が付きましたの? わたくし、もう大人ですのよ」
「可愛いらしい女性に成長した」
可愛いという言葉に心が反応してしまう。
それに、エルクシードはもう一度腕を伸ばしてきて、リリアージェの頭の上に乗せた。ぽんぽんと撫でられる。存外にあたたかくて、ホッとしてしまう自分に狼狽える。
「宮廷の殿方というのは口だけはうまいのだと、お母様がおっしゃっておりましたけれど……。わたくし、今そのことを実感していますわ」
揺れ動く心を悟られたくなくて、皮肉を口にした。
「私は普段から軽薄ではない」
「いつまで頭を撫でているつもりですの?」
早く離してもらわないと、大変なことになる。なにせ、リリアージェは単純なのだ。
いささか強めに訴えると、今度こそエルクシードがリリアージェの頭から手を離した。
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