第19話

 王太子妃クラウディーネ主催のお茶会は四月も残りわずかだという日に行われた。


 隣国王家の出身で、現在は公爵家の人間でもあるリリアージェは一般女官たちを監督し、指示を与える側となる。その指示に従って細かく動き回るのが一般女官や侍女たちの仕事だ。

 午後のお茶会に向けてせわしなく準備が進められていく中で、問題が生じた。


「厨房から出来上がったお菓子を届けられたのですが、数がその……少ないのです」


 一般女官の一人がガルソン夫人に早口で伝えた。

 急いで確認をすると、確かに届けられたケーキは随分と少ない数であった。


「このお菓子はスフェリで最近流行っているものでしょう。だから数は多めにと頼んだはずだけれど」


 ライア酒とレモン風味のケーキである。お茶会は各テーブルにあらかじめ何種類ものケーキを用意しておく。ひとそれぞれ好みがあるため、一人一人の前に皿が置かれるわけではないが、ご婦人たちに人気の菓子は全員に行き渡る数を準備する。


「わたしは……あの、その」


 すぐに厨房にお菓子の数を伝えた一般女官が呼び出された。彼女の口調は歯切れが悪く、ガルソン夫人から出される空気が重苦しいものへと変化していく。


 ガルソン夫人のただならぬ様子にリリアージェは足を止めた。

 何が起こったのか、聞くうちに、顔から血の気が引いていった。ガルソン夫人が詰問をしている女官に、お菓子の数を伝えたのはリリアージェだったからだ。


「申し訳ありません。わたくしが彼女に指示を出しました。わたくしの言い間違いが原因です」


 別のお菓子の数と伝え間違えてしまった。なんてこと。息苦しくなり、浅い呼吸を繰り返す。こんな初歩的な間違いをしてしまうだなんて。


 ライア酒とレモン風味のケーキはおそらく多くのご婦人たちが食べたいと思うだろうと、数を多めにするよう申し合わせをした。一般女官の返事が中途半端だったのは、彼女はリリアージェの指示通りの数を厨房に伝えたからだろう。しかし、そう主張をすればリリアージェがミスをしたことを指摘することにもなる。身分の高いリリアージェに遠慮をしたのだ。


「ガルソン夫人、申し訳ございません」

「わかりました……」


 リリアージェはもう一度、深々と頭を下げた。ガルソン夫人はため息を吐いて、詰問中だった一般女官に「あなたはもう行きなさい」と指示を出した。


 件の女官は、立ち去る前にちらりとリリアージェを見たのだが、顔を白くしたまま頭を下げているため気が付かなかった。


「ヴィワース夫人、頭をあげなさい。……過ぎてしまったことは仕方がありません。今はどうするかを考えましょう」

「で、でも」


 ため息をひとつ吐いたガルソン夫人は思考を切り替えるかのように歩き出す。

 リリアージェはどうしたらいいのか分からなくて、その場から動けない。他の女官たちは皆自分たちの仕事に集中をしている。


 上級女官たちの役どころは、クラウディーネの側に付き従い、お茶会を盛り上げることにある。リリアージェも最後の確認を済ませれば自身の身づくろいのため一度下がり、お茶会出席のために身支度を整えなければならない。

 ガルソン夫人はてきぱきと準備に勤しむ女官たちに現在の状況を確認していった。


「別のお菓子の数が確かに入れ替わりで多い数になっていたわ。そちらは、まあどうにでもなるでしょう。余れば女官や侍女たちに配ればよいことだから」


「あの、本当に申し訳――」


「泣いてはだめ。あなたはこれからクラウディーネ妃殿下と同じお茶会に出席をするのだから。目が腫れてしまうわ」


「でも」

「とにかく、泣くのならお茶会が無事に終わってからになさい」


 正面ごなしに叱らないだけ、とても堪えた。ミスをしたのはリリアージェなのだから、叱ってくれればいいのに。胸の奥がきりきりと痛んで視界が滲んでしまう。


「あの、ガルソン夫人。わたし、考えたのですが……」

 黒髪の一般女官がガルソン夫人の前に進み出た。


「何かしら」

「ケーキの数が足りないのであれば、細かく切って、シロップに漬け込んで――」


 それは、既存のケーキを別のお菓子に作り替える提案だった。発言をした女官はスフェリの名のある商家出身だった。

 ケーキを細かく切り、干し果実と合わせて、シロップに漬け込む。それを冷やして、涼し気な硝子の器に盛って提供をする。黒髪の女官の説明にガルソン夫人が考えを巡らせていく。


「以前招かれたときに供されたお菓子ですわ。涼し気な硝子の小椀に盛れば、夏を先取りする演出にもなるのではないでしょうか」


「そうねえ……」

「スフェリで流行っているお菓子を出すのであれば、これがスフェリ流だと押し切ることもできるのではないかと思います」

「確かに細かく切ってしまえば、全員に行き渡らせることも可能だわね」


 一度決めてしまえばあとの指示は迅速だった。即座に頭を切り替えたガルソン夫人の采配によって女たちが動き始める。


 クラウディーネのお茶会に傷をつけてしまうところだったリリアージェは、新しい提案にホッと息を吐いた。自分のせいで、大変なことになるところだった。


「ここはもう大丈夫だから、あなたもきちんと準備をなさい。今日は多くのご婦人方が集まる場よ。実質あなたのお披露目の場にもなるのだから、いつまでもそのような顔をしていてはだめよ」


「……はい」


 このあとはお茶会へ出席のため、ドレスを替えなければならない。

 自分のミスのせいで、余計な手間をかけさせる羽目になったのに、申し訳が無い。けれど、ここでのリリアージェの役目はもう終わってしまい、これからはクラウディーネと一緒に客人をもてなさなければならない。


 いつまでも暗い顔をしているわけにもいかないのは理解しているのに、感情がついてこない。

 立ち去る間際、どこかから戻ってきたのであろう、黒髪の女官とすれ違った。


「あの。さっきはありがとう。あなたの機転のおかげで助かったわ」

「いいえ。わたしはわたしの務めを果たしただけですから」


 黒髪の女官は慇懃に膝を折り、さっとリリアージェの前から立ち去った。


(わたくし、まだまだだめね……)

 気分を切り替えるには、もう少し時間が必要だった。

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