第16話

「エルクシード様は訪れたことはありますの?」

「たしか、何かの行事の際に殿下のお供として訪れたことがあった。私的な用事では今日が初めてだ」


 手を差し出されたため、その上にそっと手のひらを置いた。


 エスコートにも慣れてしまった。淑女は男性のエスコートに恥じらいなど持たぬもの。とはいえ、相手はエルクシードなわけで。

 心の底ではくすぐったい。大きくなったら大好きな人にエスコートをしてもらう。少女時代の淡い夢を思い出した。


 そっと上を窺うと、エルクシードと視線が絡んだ。リリアージェは慌てて気を引き締め、自分の頬がだらしなく蕩けていないことを願った。


 到着をした聖堂内には、なるほど、天井まで届く立派なパイプオルガンが設えられていた。聖女の像も美しく、天井画も色鮮やかだ。

 少し時間をかけて聖堂内を見学し、馬車に乗って次の目的地へ移動した。

 そこは商業地区だ。目抜き通りには重厚な建物ばかりだが、地上階がカフェや店になっている。


「この辺りには劇場も多い」


 歩きながらエルクシードが王都遷都の話と合わせた都市整備計画の説明を始める。真面目な話題だが、エルクシードは言葉選びが的確で聞いていて飽きない。


「すまない。また私一人で話をしてしまった」

「構いませんわ。エルクシード様のお話は興味深いものばかりです」

「そろそろどこかで休憩をしよう」

「いいですわね」


 にこりと笑ってリリアージェは顔を色々な方向へ向けた。王都にはおしゃれな店も多いと風の噂で知っている。年相応のミーハー心を発揮してしまう。

 辺りを見渡していると、道化師が紙をばらまいているのが見てとれた。顔や手を白に塗りたくり、目元に星が描かれている。


「さあ! 我がドン・ピエール座の最新演目が始まるよぉ」


 劇場の宣伝のようで、リリアージェは興味を惹かれた。

 エルクシードから離れて近くに落ちたちらしの紙を拾って演目に目を走らせる。


「いまスフェリを騒がしている、大泥棒を題材にした、浪漫活劇! 見ないと絶対に損をするぞ~! さあ、我がドン・ピエール座へ!」


 独特の口調で紡がれる口上は耳によく残った。題目は『大泥棒』と書かれている。泥棒が主役とは、一体どのような芝居なのだろう。


 通りを行き交う人々が「噂の大泥棒で芝居を考えるとはさすがはドン・ピエール座だな」「そういえば、また例の泥棒が出たらしいな」「正体不明なんだろう? 一体どんな芝居をするのだか」などと言い合う。


(今、スフェリでは泥棒が流行っているのかしら?)


 世事に疎いリリアージェは首を傾げた。


「リリアージェ、人通りが多いから勝手に離れてはだめだ」

「あ、エルクシード様」

 追いついたエルクシードがリリアージェの持つ紙を見下ろした。


「こんなものが芝居になるとは、お気楽なものだな」

 エルクシードははっきりと不愉快とわかる声を出した。


「エルクシード様も大泥棒について、ご存じなのですか?」


 道化師はまだ芝居の宣伝を行っている。通行人の中には興味を惹かれ、ちらし紙を拾いそのまま手に持って歩き出す者もいた。


「……ああ。今スフェリを騒がせている犯罪人だ。今回、きみの上都に難色を示したのも、こいつが原因だ」

「まあ」

「こっちだ。店を予約してある」


 エルクシードはリリアージェを近くのカフェへと連れて行った。上階の個室へと案内をされた。広場が見えるように大きな窓辺に長椅子が置かれているため、二人は並んで座ることになった。


 リリアージェは渡されたメニュー表に目線を落としてたっぷり悩んだ。


 選んだケーキは、薄いパイ生地で、卵黄と牛乳を混ぜて作った固めのクリームをたっぷりと挟んだもの。スフェリでは一般的なお菓子で、歩き疲れた身に、甘いクリームがゆっくりと染み込んでいく。


「エルクシード様、大泥棒について、詳しく教えてくださいませ」

「ああ」


 芝居の題材にもなるような泥棒とは一体どのような存在なのだろう。好奇心を抑えきれずに尋ねると、エルクシードはあからさまに面白くなさそうな顔を作った。

 彼は国政に携わる人間なのだから、犯罪者を嫌悪していても仕方がない。


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