第15話

 月が替わり、花がほころび始める本格的な春が到来した。この季節になるとサフィル各地から貴族たちが王都に集まり出す。

 大陸でも南部寄りに位置するサフィルはすでに太陽の日差しが眩しい季節だ。


 あれから何度かエルクシードと昼食を取り、次はスフェリ散策をするという流れになった。なんだかんだと口車に乗せられた。気が乗らないと思うのに、昨日は目が冴えてなかなか眠れなかった。これではまるで、自分が今日を楽しみにしていたようではないか。


(今日も平常心を保つのよ……)


 心の中で「無心」と何度も唱えるのが最近の日課になりつつある。


「忘れ物は無いですか」

「お見送り、ありがとうございます。ガルソン夫人」


 宮殿の出入り口近くまで見送ってくれたのはガルソン夫人だ。クラウディーネとは奥で出発の挨拶をした。


「せっかくですから、王都見物を楽しんでいらっしゃい。王都の様子を知っておくのもよいことです」

「はい。今日は外出の許可を下さりありがとうございます」

「ヴィワース子爵たっての願いですからね」


 ガルソン夫人は何かを思い出したかのように、顔に苦笑を浮かべた。もしかして、彼が何か迷惑をかけたのではないだろうか。じっと伺うと、彼女は慌ててきりりとした顔を作った。


「男も女も、いいえ、人間とは複雑な生き物です。口から出た言葉だけが真実ではありません」

「え……?」


 ふいに、ガルソン夫人が言った。まるでひとり言のようだった。


「さあ、ヴィワース子爵が待っています」


 ガルソン夫人に促されて、リリアージェは待ち合わせ場所に向かった。

 歩きながら考える。思えば、二人きりでお出かけなんて初めてのこと。いや、昔領地の館の庭を散策したことはあったけれど、あれと今日のこれは別物だ。


 宮殿の馬車寄せにはエルクシードが先に到着をしていた。彼はリリアージェを見つけたとたんに、口元をほころばせた。

 そのとたんに、胸がトクンと高鳴るのだから、呆れてしまう。


(今日の彼は案内人。そう、ただの案内人なのよ。あ、お財布代わりって考えるのもいいかもしれないわ)


 うんうんと頷いているとエルクシードが近寄ってきた。


「リリアージェ」

「お待たせしましたわ」

「私も今来たところだ。今日の装いも似合っている」

「ありがとうございます」


 彼はするりと褒め言葉を口にした。会うたびにこうしてリリアージェを褒めてくれるようになったのだから、離婚猶予期間というのはすごいと思う。

 確かに結婚は義務で、リリアージェとエルクシードは政略結婚で結ばれた夫婦だ。今更離婚だなんて、世間体が悪すぎる。エルクシードがリリアージェに腐心するのも無理はない。


 エルクシードのエスコートで馬車に乗った。ゆっくりと動き出し、やがて馬車はスフェリ中心部へと到着をした。

 乳白色の石を切り出して作られた、新都スフェリだ。陽の光を反射して、きらきらと眩しい。


「わぁ……! とても広いのですね」


 馬車から降り立ったリリアージェは大きな広場を前に素直に感嘆した。


 スフェリを歩くのはこれが初めてのこと。この国に移り住んで十年が経過したが、その行動範囲は驚くほど狭い。基本的にブリュネル公爵家の領地にある大きなお屋敷とその庭、それからヘンリエッタに付き添って毎年夏に訪れるサフィルの北の高原地帯のみである。


 久しぶりに上都した今回だって、すぐに宮殿に上がった。そのためゆっくりと市内を歩く機会も無かった。


「ここは約百五十年前の王都遷都の折に整備をされた広場で、軍の隊列の発着点の役割も担っていた。あそこに英雄像があるだろう」


 スフェリは比較的新しい王都でもある。

 エルクシードがマルゲーニ広場中央にそびえたつ一人の男性像を指した。大きな広場は交通量が多かった。たくさんの馬車が白い石を削り出して作られた英雄像の周りを行き交っている。広場からは放射状にいくつもの道が伸びている。


 軍の行事は現在もマルゲーニ広場で行われていており、騎馬兵たちが並ぶ姿は圧巻なのだとか。

 マルゲーニ広場に建立された英雄像は、七十年前に建造されたそうだ。当時の王が戦争に勝利したことを記念して作らせたのである。この国の歴史は、嫁いで来て以降一通り習っているが、エルクシードの説明は分かりやすく、聞いていて楽しかった。


「エルクシード様は博識ですのね。とても分かりやすい説明ですわ」

 今すぐ観光案内人になれるのでは、というほどの知識量だった。

「……すまない。一人で語ってしまった」

 褒めたのに、彼はずーんと肩を落とした。


「そんなことございませんわ。家庭教師の歴史授業のようにわかりやすかったです」

「……家庭教師」

「はい。今すぐにでも教師になれるのではないかという知識量に感服しましたわ」

「……そうか。教師か」


 褒めたのにエルクシードの声が先ほどよりも抑揚のないものになった。そこではたと気が付いた。


「申し訳ございません。大学教授として教壇に立つことができるほどに素晴らしいですわ、と褒めるところでしたわね」

「……はは。ありがとう」


 よかった。間違ってはいなかったらしい。やはり家庭教師よりも大学教授のようだというたとえの方が正解だったようだ。男心というのもなんとも難しいが、これも人生経験。クラウディーネの付添として、社交に出れば紳士と話す機会もあるだろう。そのとき、スマートに相手を褒められるように、ここはひとつエルクシードに練習台になってもらうのもよいかもしれない。


「次はマラーナ聖堂に案内をする」

 気を取り直したエルクシードが右手で建物を指した。

「中のパイプオルガンが素晴らしいと評判らしいと昔、家庭教師から習ったことがありますわ」


 マラーナ聖堂とは、王都遷都の際作られた由緒正しい聖堂である。エルクシードが目線で示したため、リリアージェもそちらへと顔を向けた。広場の一角に、古代の神殿のように大きくて太い柱でぐるりと取り囲まれた白い建物が鎮座している。


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