第11話
強烈な当てこすりだと我ながら自嘲する。これを言われれば、エルクシードはぐうの音も出ないだろう。
案の定、エルクシードとニコライがそろって頬を少しだけひくつかせた。
「これからは、善処する」
「善処という言葉に期待をするな、という先人の教えがございますわね」
リリアージェがふわりと微笑むと、エルクシードが再度押し黙った。先ほどは思いがけない贈りものに、ペースを乱してしまったが、ようやく落ち着いてきた。
このまま離婚を認めてもらえるよう、畳み掛けたい。
「エルクシード様、これはお互いにとってよいことです。きれいさっぱり、関係を解消しましょう」
「それで、きみは私の義妹(いもうと)になるというのか」
「はい。お母様の好意に甘えさせていただきたいと思います。けれども、きっとすぐに別の殿方のもとに嫁ぐことになると思いますので、あまりエルクシード様を煩わせることはないはずですわ」
この恋心を抱えたまま、ブリュネル公爵家で過ごしていては辛いだけだ。それに、リリアージェはこれまでの恩返しも兼ねて、ヘンリエッタに彼女の望む花嫁姿を見せてあげたい。
優しくて穏やかな夫のもとに嫁いで、子供でもできれば、きっとこの淡い気持ちだって薄れていくだろう。この決断は間違っていない。リリアージェはそう信じていた。
「だめだ!」
エルクシードが大きな声を出した。彼にしては珍しい。
リリアージェは目をぱちりと瞬いた。驚いてじっと見つめると、彼はばつが悪そうに、視線を逸らした。
「とにかく……離婚には応じない。応じられるはずもない」
エルクシードは何かを耐えるように、言葉を絞り出した。
「往生際が悪いわよ、エルクシード」
耐えきれないように、ヘンリエッタが口を挟んだ。
「リリアージェ、お願いだ。もう一度、私に機会を与えてくれ。先日言ったあれらの言葉は、本意ではなかった。言い方を間違えてしまっただけだ。すまなかった」
エルクシードが真摯な眼差しでリリアージェのことを射抜いた。
「……いいえ、よいのですわ。あなたにも体面がおありになるのでしょうから」
「本当に、すまなかった。言い方が悪かった」
続けて謝られて、どう返していいのか迷ってしまう。結局無難に沈黙を選んだ。
双方の主張は平行線をたどった。どちらも譲れないのだから当たり前である。この話し合いに意味はあるのだろうか。
リリアージェはちらりと大司教の顔を窺った。彼は黙って自分たちのやり取りを見ている。
「さて、双方ともに言いたいことを口にしたようだな」
大司教が口を開いた。人に聞かせるための声を出し慣れているのだろう。彼の声は、大きくはないけれど強さがあった。
「私は常々、近頃の安易な風潮を疑問に思っておってね」
彼以外の全員が、じっと続きの言葉を待つ。
「最近の安易な離婚免状の発行に、私は思うところがあるのだよ。お布施を積めば簡単に離婚が出来るなど……。それはあまりにも神の前での誓いを軽視しているのではないか。どうにも、ヘルディオ枢機卿の行為は目に余る」
ヘルディオというのが、今回ヘンリエッタが離婚免状の発行を嘆願した枢機卿だ。彼は金次第で簡単に離婚免状を発行する人物としても知られている。言外に当て擦られたヘンリエッタはむすりと口を押し曲げた。
「カルヴァーノ枢機卿からも、よくよく考え決断を下してほしいと手紙を受け取った」
「……なるほど、あなたカルヴァーノ枢機卿に泣きついたってわけね」
ヘンリエッタがぎりりと歯噛みをする。
離婚の成立には、属する教区の司教の承認が必要となる。庶民であれば、これで事足りるのだが、ブリュネル公爵家のような貴族階級の家ともなると、大司教へ届けることになる。
「私はただ、カルヴァーノ枢機卿に、離婚免状の発行の在り方について相談をしただけですよ」
「彼は教義に忠実だものね」
どうやらエルクシードはヘルディオ枢機卿から離婚免状が届く前に彼に相談をもちかけたらしい。そして同時に裏で手を回し、離婚免状の到着を遅らせた。
「反対に、ヘルディオ枢機卿は、金次第では何の免状もすぐに発行することで知られていましたね。母上、一体いくらつぎ込んだのです?」
「あら、少し教会建立の援助をして差し上げただけだわ」
「出所は公爵家の財布ですか」
「ふふ。わたくし個人のお財布から。文句は言わせなくってよ」
再び親子が火花を飛ばし合う。
「ともかく、だ。夫君であるエルクシード殿は、誠実さを持って妻と今一度向き合いたいのだと、私に申した。リリアージェ殿、もう少し、そなたの時間を彼のために使うことはできまいか?」
「大司教殿! それはあんまりですわ! わたくしは今すぐにでも二人を離婚をさせたいのに!」
「公爵夫人、これはエルクシード殿とリリアージェ殿、二人の問題だ。夫であるエルクシード殿は歩み寄りを望んでいる。もちろん、重大なる命の危険など、婚姻契約を続けるに不適合な事態が起こっているのならば、考慮も致し方ない。しかし、今回の場合はそれともまたちと違うだろう」
ヘンリエッタを諭した大司教が今度はエルクシードに顔を向ける。
「結婚は家と家を繋ぐもの。特に、ブリュネル公爵家のような、王家の血を引く家ともなれば、結婚に個人の意思が反映されることはほぼないだろう。そなたたちは縁あって夫婦となった。そして、貴殿は、ここにいるリリアージェ殿と離婚をしたくないという」
「はい」
「確かに高貴なる家の人間にとって、結婚は義務だ。だが、夫婦となったからには、今後何十年という長い時間を共に歩むことになる。義務を押し付けるだけでは、リリアージェ殿の心は動かないのではあるまいか?」
「申し訳ございません。……先ほどの発言は……本心からではなく、焦りがあのような形になりました」
「ふむ……。そなたは、もう少し己の本心を妻に伝えるところから始めるべきだろう」
大司教が口ひげを触りながら目を細めた。
エルクシードは神妙に彼の言葉に頷いた。
「そして、リリアージェ殿。そなたの時間をもう少しだけ、この若者のために使ってはくれぬだろうか。心を入れ替えると、エルクシード殿は誓った。それを、見極めるだけの時間を、彼に与えてやって欲しい」
大司教はその後、沙汰を下した。
結果、二人には離婚猶予期間が定められた。
一年間のうちに相互理解に努めること。三カ月に一度、面談をし、経過報告をすること。一年後の双方の気持ちの変化を受けて、改めて離婚審議を行うこと。
リリアージェは呆気にとられながら大司教の言葉を聞いていた。
この決断をするのに、どれだけ心を揺るがしたのか。ようやく、エルクシードを諦める決心がついたというのに。
それなのに、心のどこかでホッとしている自分がいることに、リリアージェは狼狽えてしまった。
(一年経っても同じなのに……わたくし、もう少しエルクシード様と一緒にいられることに、安堵している……?)
自分の心の中の天秤がぐらぐらと動き出す。
「リリアージェ」
名を、呼ばれた。ゆっくり視線を合わせると、はしばみ色の瞳が安堵の色に染まっていた。
リリアージェはそれから目が離せなかった。
「……はい」
「これまでの分も、これからは……その。よろしく頼む」
「……はい」
一体なにがよろしくなのか、ちっとも理解が追い付かないのに、リリアージェは呆然と返事をしたのだった。
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