第8話

「しかし。エルにだって言い分はあるわけで」

「ええ。そうでしょうとも。大層な言い分でしたわね」


「その言い草はないんじゃないか。これは、ブリュネル公爵家の、夫婦二人の問題だろう? クラウディーネが口出しするものではない」

「あら、わたくしは友人を心配しているだけですわ」


「それが余計なおせっかいじゃないのかな?」

「まあ、余計なおせっかいですって? だいたい、あなたがいつもいつも仕事だ公務だ、視察だとエルクシードを連れまわしているのも問題なのでは?」


「それは仕事なんだからしょうがないだろう」

「ええ、ええ。分かっておりますわ。男には男の世界があるというのでしょう」


 クラウディーネの声が徐々に高く、感情的になっていく。

 いつの間にか話し合いの場は、王太子妃夫妻の言い合いになっていた。


「このようなわからずやのもとで働けば、エルクシードがリリアージェを蔑ろにするのも至極当然。ということは、わたくしにもリリアージェを無事に離婚させる義務というものが生じます!」


「いや、無いと思うよ」

「だまらっしゃい!」


 クラウディーネが立ち上がった。

 その双眸は完全に据わっていた。彼女は閉じた扇をぎりぎりと締め上げている。


「さあ、おかえりになって、お二方。わたくし、急に気分が悪くなってきましたわ。ああもう、こんなときに男どもの顔なんて見ていられません。リリアージェ、一緒に甘いお菓子でも食べましょう。男どもが視界に入らない場所に移動をしましょうね」


「クラウディーネ、そういうのを癇癪だというんだよ」

「このような癇癪もちの妻を持って、お可哀そうなのはご自分だとおっしゃりたいのですか」

「そこまでは言っていないだろう?」


「知りませんわっ! ガルソン夫人、お二方をお見送りして頂戴!」


 途中から何がどうしてだか、ニコライとクラウディーネの夫婦喧嘩へと発展した。リリアージェは二人の顔を交互に見やり、そわそわとその様子を見守っていた。


 それまで気配を消していたガルソン夫人がさっと扉を開いた。退出を促され、エルクシードはクラウディーネのあとに続いて、別の扉から出ていこうとするリリアージェを目で追った。


「リリアージェ」


 もう一度名前を呼んだ。

 リリアージェが立ち止まる。


「……ごきげんよう、エルクシード様」


 リリアージェは少し困ったように眉尻を下げ、小さな声をだしたあと、出ていってしまった。

 彼女の心は完全にエルクシードから離れてしまったのか。


 取り残されたエルクシードは項垂れた。


 彼女のことが嫌いなのではない。本心では、ずっと触れたいと思っていた。己の気持ちを持て余し、それなりに複雑な男心とどう折り合いをつけていいの分からず、二年が過ぎた。また、エルクシードはリリアージェに避けられていると感じてもいた。


 もちろん、このままではいけないということだって重々理解をしていた。

 今年こそは、と胸に決意を込め、彼女と向き合いたいと考えていた。でないと、色々とまずいことだって、ちゃんと分かっていた。


 エルクシードが仕事に逃げている間に、リリアージェは己から離れることを選んでいた。認められるはずもない。


 リリアージェから手紙が届いたのはひと月ほど前のことだった。ヘンリエッタと共に上都する旨がしたためられていた。

 エルクシードは当初難色を示した。最近スフェリでは正体不明の大泥棒が出没していることもあり、万が一にもブリュネル公爵家が狙われる危険性があるからだ。


 だが、良い機会だとも考えた。せっかくリリアージェがスフェリにやってくるというのだ。彼女とゆっくり話せるチャンスでもあった。


 リリアージェを淑女として扱い、二人きりの時間を持てば、彼女もきっとエルクシードを一人の男性として見てくれるようになるのではないだろうか。希望が胸の中に灯った。


「まさか離婚免状を手に入れる算段まで取り付けてあったとは。ブリュネル公爵夫人は相当にやり手のようだね。あれはそう簡単に手に入るものではないよ。そもそも離婚なんて簡単に成立できるものではない」


「……それほど、私と婚姻継続したくないということなのだろう」


 思いのほかどんよりとした声が出てしまった。取り繕う気力もないのだから仕方がない。


「あれは奥方の本心なのか? どちらかというときみの母上の意向を尊重していることが今回の離婚騒動の原因のような気もしなくもないけど」

「確かに母上は立腹しているだろうな」


 彼女はエルクシードに再三にわたって手紙を書いて寄越してきた。リリアージェをきちんと妻にしなさいと。スフェリに呼び、妻として大切に扱いなさいと。それに取り合わなかったつけが回ってきた。


「女性たちはみな、リリアージェの味方か」

「今後の対策を早急に考えないと、エル、あれは本気で捨てられるぞ」


 それも仕方が無いと思う心と、リリアージェを手放したくないという心がせめぎ合う。

 エルクシードと別れたリリアージェが、別の男のものになる。それを思うだけでぎりぎりとどす黒い感情が浮かび上がる。


 リリアージェを誰にも渡したくない。

 だったら、最後まで足掻くしかないではないか。こんな離婚認められるはずがない。


 エルクシードは頭の中で、この離婚劇を回避する手段を考え始めた。


☆☆**☆あとがき☆☆**☆

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