第7話
それは痛烈な皮肉だった。エルクシードの父である公爵は長い間不在にしている。この国に尽くしており、王を支え、その命に従ってエルメニド統治領を治めている。帰国をするのは年に一度あるかどうか。それだって仕事を抱えているから、ゆっくり家族の時間を持ったためしもない。
彼女はヘンリエッタを側で支え、そのうえで結論を出したというのだ。
仕事にかまけ、家を蔑ろにする夫よりも、側にいてくれる男の方が良いと。たしかにそれだって結婚の形ではあるだろう。
しかし、エルクシードはリリアージェを憎からず、いや好意を抱いている。
今こうして、彼女がエルクシードから離れたあとのことを語るだけで、苦しくて息苦しいと感じている。
「母の意に従って離婚をするなど、ふざけている。では、私のことはどう考える。きみが考えるのは母ではなく、私のことではないのか」
「ですから、エルクシード様のこともきちんと考え、この結論と致しましたわ」
「私のことを考えるのなら、離婚という決断には至らないはずだ。離婚をすれば、少なからず人々の口に上る。きみは私を笑いものにするつもりか?」
苦しくて悔しくて、どうにかして彼女を思いとどまらせたくて、エルクシードはリリアージェを非難するような口調になった。
「あなたを笑いものにするつもりはありませんわ。わたくしが泥をかぶります」
「リリアージェのことはわたくしも守りますわ。ですから、安心なさって、ヴィワース子爵」
「クラウディーネ、きみは一体どこまでこの件に噛んでいるんだ」
ニコライがクラウディーネに非難めいた口調で問いただした。
「わたくしは、ただ公爵夫人に相談をされただけですわ」
クラウディーネはさらりと躱した。
「しかし」
「エルクシード様、大丈夫ですわ。お母様もおっしゃっていました。醜聞なんて、上の人間次第でどうにでもなると。幸いにもわたくしたちは白い結婚。離婚の際に、きちんと証明できるよう、お母様が手を打ってくださいました。それと、そろそろ聖教庁から離婚免状が届きますので、あとは必要事項を書いて提出をすればいいだけですわ」
「ちょっと待って。離婚免状を手配したのかい?」
エルクシードの驚きを、ニコライが先に表した。
「はい」
リリアージェが首肯した。
「いったい、いくらお金を積んだの? 離婚免状なんて、そう簡単に手に入れられないだろう」
サフィルを含め、大陸の多くの国で信じられている神は、基本的に離婚を認めていない。神聖なる神の前で夫婦の誓いを交わしたのだ。その中身が政略結婚だろうが、神の前で宣誓すれば、その夫婦は生きている限り別れることは許されない。
しかしそれは建前のようなもので、一定の手続きを踏めば離婚は可能だ。自分たちの属している教区に所属をする司教らに、婚姻関係をこれ以上続けることが難しい理由を訴え出て、双方交えて話し合うのだ。司教は夫婦それぞれの意見を聞きつつ、公平に判断を下すことになる、というのが建前なのだが、実際には機能しているとはいいがたい。
世間では女の地位が低く、女の方から訴えても夫側の家に握りつぶされれば終わりだ。また、相当の理由がなければ司教は離婚を認めない。
一方で枢機卿に金を積みさえすれば、離婚免状を手に入れることが出来る。免状さえ手に入れることが出来れば、手続きは非常に簡単だ。免状に夫婦関係を解消したい者同士、名を書けばよいのだ。
建前として、婚姻関係を継続することが困難である理由を申し出て、枢機卿を納得させなければならないのだが、金次第でなんとでもなるのがこの世の中だ。お布施さえ積めば簡単に離婚免状を発行してくれる枢機卿も存在する。
「お母様がすべてを整えてくださいましたので、わたくしは詳細を存じません」
「なるほどね。相当に動かしたわけだ」
ニコライが呆れるような、感心するように片眉を動かした。そこにはブリュネル公爵夫人への敬意も見え隠れしている。
「しかし、性急すぎやしないかい? たしかに彼は、これまで仕事に打ち込みすぎて奥方を領地に預けっぱなしにしていた。これには私にも責任の一端がある」
「エルクシード様が殿下のもとで活躍をしていることは存じております。殿下に欠かすことのできない方だということも誇りに思っております。わたくし、これからは妹としてエルクシード様を支えて参りたい所存です」
妹として。その言葉がエルクシードにどれほどの痛みをもたらすのか、リリアージェは分かっていないに違いない。
「私に妹など必要ない」
気が付くと、エルクシードは口を開いていた。
リリアージェが小さく口を開いた状態でこちらを見つめている。
「結婚をして十年経過をした段階で、離婚など。一体どのような目で見られるか、きみは考えたのか? このようなことで、私の手を煩わせないでほしい」
彼女に振られるのが恐ろしくて、ついリリアージェを諭すような言い回しになり、最終的には非難をしてしまっていた。
その直後、エルクシードは己が失敗したことを悟った。
リリアージェの瞳が悲しみに染まった。
そして、隣に座るクラウディーネの瞳もまた、諦観のような、失望の色に塗り替えられた。
「わたくし、女にも女の幸せを考える権利というものがあるのだと、考えますわ」
リリアージェではなく、クラウディーネがゆっくりと話し始めた。
「ヴィワース子爵が殿下を支える有能な人材であることを、わたくしは存じております。しかし、ご自分の甲斐性の無さを棚に上げ、あのような言い方はいかがなものでしょうか。彼女はたった八歳でこの国に、あなたのもとに嫁いできましたのよ。そのことを、覚えていらして?」
「もちろん、覚えております」
エルクシードは平静に頷いた。ここで余計な口を叩くな、と本能が告げていた。
「クラウディーネ、エルは愛想があるほうではないし、今は動揺をしていて少々キツイ物言いになってしまっただけだ。決して本心ではない」
「あなたはお黙りになって」
ニコライのとりなしを、クラウディーネがぴしゃりと跳ねのける。
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