第3話

「王太子妃殿下のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」

「堅苦しい挨拶はよくってよ」


 軽やかに返され、リリアージェは面食らいながらもホッとした。高貴なるお人の話し相手を務めることになったが、どのようなお人か伝え聞くだけでは分からなかった。


 こちらを見つめる薄茶の瞳に親愛の色を感じて、リリアージェは心底安堵した。

 席を勧められ、リリアージェはヘンリエッタと共に腰かけた。

 茶とお菓子が運ばれてくる。それに優雅に口をつけたクラウディーネと同じように、二人も口の中を潤した。

 先に口を開いたのはクラウディーネだ。


「公爵夫人から大まかな事情は聞いていてよ。あなたがヴィワース子爵、エルクシードと離婚をして、ブリュネル公爵家の養女になるというのなら、わたくし全面的に応援するわ。誰にも陰口を叩かせないわ」


「ありがとうございます、王太子妃殿下。ご相談をさせていただきました甲斐があったというもの。本当に、心強いですわ」

と、ヘンリエッタが頭を下げた。


「たった八歳の時に国元を離れて隣国へ嫁いできた挙句、適齢期を過ぎても妻をないがしろにするだなんて……、仕事にかまけすぎなのも大概にするべきだわ。わたくしの夫に責任の一端があるわね。もっと早く口出ししておくべきだったわ」


 クラウディーネが眉間にしわを寄せた。

 年端もいかない子供を政略の駒に使うやり方は、歴史を紐解けばよく見られたが、近年ではあまり例がない。クラウディーネが王太子と結婚式を挙げたのは十六歳のこと。


(まあ、わたくしは完全なるお荷物だったものね……)


 実の母は女優で、野心家だった。第三王子と恋仲になり、愛を貫いた第三王子、リリアージェの父は当時、宮廷で失笑されたという。結婚と恋愛は違うものだと。父は平民出身の母との結婚を強行した。


 最終的には王位継承権を放棄し、臣下に下り、軍属になった。不慮の事故で亡くなったとき、宮殿内では母を糾弾する声が強かったそうだが、母はへこたれることなく、リリアージェの養育費を王家にせびった。


 リリアージェの面差しは父によく似ており、その美貌を継承していた。髪の色も輝く金色で、目の色こそ母譲りの明るいエメラルドグリーンだが、一目で父の血を引いていることは明らかだった。


「わたくしが後ろ盾につけば、あなたが離婚をしても声高に非難をする人間はいないでしょう」


「ええ、もちろんですわ。ご配慮ありがとうございます。リリアージェとアレとは白い結婚ですもの。証拠も証言もありますわ。わたくし、しっかりと彼女の離婚をもぎ取り、誠実で優しくて、家庭をないがしろにしない旦那さんを見つけるつもりですわ。それが、この子の母としての役割だと思っておりますの」


 ヘンリエッタが力強く言い切った。彼女はリリアージェの花嫁姿を見るのをとても楽しみにしてくれている。本来であれば、エルクシードの隣で微笑むはずだったのに、彼はリリアージェのことを女性としてではなく妹としてしか見ることが出来ない。


 であるのなら、彼女のためにもリリアージェは誰か別の男性に嫁ぐしかない。それに、養女となり彼の妹になるとはいえ、再婚もせずにブリュネル公爵家に居続けるのもきまりが悪い。


 この気持ちに区切りをつけるためにも、誰か別の男性に嫁いだ方がいい。優しくて暖かい人と結婚をして、子供でも身籠れば、初恋だってそのうち色あせるだろう。


 そう、エルクシードはリリアージェの初恋だった。


 政略結婚ではあったが、エルクシードはリリアージェに対して優しかった。留学から帰国をしたとき、初めて会った。自分と目を合わせて、微笑んでくれたときのことは今でも鮮明に覚えている。


 先ほどのヘンリエッタの言葉にもあった通り、あまりに幼いうちから互いに顔を合わせていると、肉親の情しか持てなくなるのではないか、と年頃になるまでの期間は、エルクシードと会うのも年の数度の休暇の間だけだった。


 少ない交流ではあったが、会うたびにリリアージェはエルクシードへの恋心を募らせていった。


 彼は、幼いリリアージェにも優しく接してくれた。

 こちらの他愛もない話にじっと耳を傾けてくれ、散歩に付き合ってくれたりもした。

 そうやって年を重ねていって、いつかは本当の妻になれるのだと信じて疑わなかった。


 しかし、そうやって呑気に信じていられたのも、十六歳の園遊会までであった。


 八歳のあの頃に比べれば、リリアージェは背も伸び、女性としてのまろやかさも身に付けた。もうどこを見ても子供だった自分は存在しない。

 それでも、エルクシードは頑なにリリアージェに手を出そうとはしなかった。


 適齢期を過ぎても、彼は自分に無関心。だったら、仕方がないではないか。淡い期待を持ち続ける方が辛くなってしまう。エルクシードがリリアージェを子供としてしか見られないのなら、この先ブリュネル公爵家は継承問題を抱えてしまうことにもなる。


 そろそろ、お互いに第二の人生を歩むべきなのではないか。

 そうやって、今後のことを悩んでいたのはヘンリエッタも同じだったらしい。


 だから、ヘンリエッタからエルクシードとの結婚を解消してブリュネル公爵家の養女にならないかと打診されたとき、リリアージェは承諾をしたのだ。


「色々と思うことはあるだろうけれど、せっかく宮殿に上がったのだから、これからは気分を変えて若い娘らしく楽しく過ごしてちょうだいね」


 クラウディーネがからりと口調を変えた。


「あの、わたくしはこの宮殿でどのようなことをすればよろしいのでしょうか」


 ヘンリエッタからは、難しいことは何もない、あなたはクラウディーネ妃のお話相手をすればいいのよ、とだけ聞かされている。


「そうねえ。おもにはわたくしの話し相手だけれど、お茶会の準備を手伝ってもらったり、来客時の応対や招待状やお礼状の代筆……たまには娘たちとも遊んであげてほしいわ。そうそう、あなたヴァイオリンが得意なのですってね。わたくし、毎年演奏会を開いているの。わたくしもチェンバロを弾くのよ。今年はあなたも参加してね」


 クラウディーネが口にした内容は、貴族の家の妻たちが家を采配する内容とほぼ変わりない。どうやら花嫁修業も兼ねているらしい。


 ブリュネル公爵家ではあまり大掛かりな催しを行わない。記憶にあるのはリリアージェが十六歳の頃にスフェリのお屋敷で行われた園遊会だ。


 平時はヘンリエッタが気の置けない友人を招くくらいなもの。貴族の家の妻は家格に合わせて夜会や園遊会などを開く。女主人として采配を振るうのは妻の役目である。ヘンリエッタは王太子妃のもとで、これらの技能をリリアージェに取得させたいということらしい。


「はい。わたくし、妃殿下のお役に立てるよう、頑張りますわ」

「真面目な子ね。最初から肩を張ってはだめよ」

「申し訳ございません」


 咎められたと思い、リリアージェはしゅんとした。


「わたくしのことは、クラウディーネと呼んで頂戴ね。もちろん、格式ばった場所では王太子妃殿下と呼んでもらうことになるけれど、今のように奥にいるところでは名前で大丈夫。わたくしも、あなたのことはリリアージェと呼ぶわ」


「はい。クラウディーネ様」

「詳しいことは、そこにいるガルソン夫人が教えてくれるわ」


 クラウディーネは近くに置いてあったベルを鳴らした。

 すると、四十頃であろうかという落ち着いた雰囲気の女官が一人入室をしてきた。彼女がガルソン夫人とのこと。

 クラウディーネの生活全般を取り仕切る女官で、リリアージェは緊張しつつ挨拶をした。

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