第13話 祈り

 ドリフトウッド聖堂から離れた貴誠は、そのまま他の気になる場所にも赴いておこうかと考えていた。ただ、姉よりも帰宅が遅れると、宿の近所で急に性が戻ってしまう。今日中に全て回る必要性もないため、途中で方針転換していた。


 ただ、最短距離で戻ろうとしたため、思わず知らない道に入っている。それでも目的地は見失わなかったので、気にせず進んでいた。


 ふと——

「——あ」

 足が止まっていた。道の途中、小さな墓地の横に差し掛かっていたのだが、そこに見覚えのある顔を発見したからだ。ただ、今は性別が違うため、別人として振舞わなければならない。顔は男子の時の面影が確かに残っているが、全体像からは同一人物だと分からないはずだった。


 それでも、慌てて歩き出そうとする。だが、その前に相手に気づかれていた。

「……ん? 何かな?」

 松葉杖の男性——ヴォルガだ。もう宿が近いため、関係する故人の墓が近所にあったらしい。その前でそれまで祈っていたようだが、すぐ真横に出現した人間の気配に気づいた様子だった。


 こうなっては仕方がない。貴誠は努めて平静を装いながら、華麗にスルーしようとしていた。

「……いえ、たまたま通り掛かっただけの小娘です。お気になさらずに……」


 ただ、ここでヴォルガがさらに気づいてしまう。

「ん? その首周りのもの……」

「——⁉」

 トロの本体でもある桜色のマフラーだ。これは絶対にうなじから外れない訳ではなかったが、外出時にその選択はしていない。性格はアレだが、この相棒は利便性が非常に高いのだ。クマノミのさがも手伝って、これだけはなかなか手放せなかった。


 ヴォルガが静かに距離を詰める。

「他でも見た覚えがあるね。最近、若い子の間で流行っているのかな?」

 無論、それも本人のものだ。街中では他に見掛けないので、印象に残るのだろう。とにかく、その事実からは遠い虚言で誤魔化そうとしていた。


「え……ええ! そうなんですよ! 静かなブームというか……」

「……そうか。だが、このアクリールではあまり見ない代物だ。どこから入ってきているものなんだい?」

 ただ、その疑問で閉口してしまう。

「……それは……」


 この異世界にある他の都市の名称を、まだ一つも覚えていなかった。現状、ただ生活をする分には記憶しておく必要もない。他に優先すべきがことが多かったからだが、それがこんな風に追い込まれるとは思わなかった。


 ヴォルガがなおも訊く。

「それは?」

 同じ言葉で続いたその問い掛けに、一方の貴誠はすぐ諦観していた。

「……すいません。生産地までは、よく知りません……」

 無駄に嘘を重ねて、綻びを作ってはいけない。かなり中途半端になってしまったが、これで納得してもらうしかなかった。


 一方のヴォルガは、その微妙な動揺を感じ取っているらしい。

「……ふむ」

 何やら無表情で黙考していたため、貴誠は背中がむず痒くなっていた。


「——そ、それよりも……!」

 と、強引に話題を変える。

「……ご先祖様とかのお墓ですか? 何か特別な想いを感じましたが……」

 先程まで相手が祈っていた墓石。そちらに視線を向けながら訊くと、ヴォルガはどこか遠い目をしながら告げていた。


「……あー……これか。これは……亡くなった妻のものだ」

 ただ、この事実には——

「——⁉」

 さすがに選択を誤ったと即座に後悔する。ただ、一方のヴォルガはあまり気にしていない様子だった。


「……天からの災厄……その尖兵との戦に巻き込まれてね」

「……あの……すいません……」

 貴誠が思わず謝意を示すが、それでも相手の様子に変化はない。

「いや、構わない。ここに妻が眠っていることを、他の誰かに知ってもらえるだけでも、自分には嬉しいことなんだ」


 むしろ本音でそう思っている様子であるため、貴誠も幾分か心が軽くなっていた。

「そういう……ものですか」

「……ああ。自分のことは気にする必要はない。そもそも、自分に力がなかったことが、全ての原因だしな」

 ただ、この言葉は——今の貴誠には重く感じる。


「……力……ですか」

 繰り返されたその単語に、一方のヴォルガは少しだけ拳を握る力を強めていた。

「……ああ。力がなければ、何も守れない。この世の根底には、そういった原始的な摂理が横たわっている。それだけのことなんだ……」

「そう……ですか」


 そのまま双方押し黙ってしまったが——

「……自分はヴォルガという」

 と、急に口を開く。

「え……?」

 貴誠が戸惑っていると、ヴォルガは何気ない笑顔で問い返していた。

「君の名はなんというんだい?」


 これに——

「——!」

 貴誠は思わず本名を口にしそうになったが、そこで思い留まる。次いで、その脳裏では以前から考えていた名詞が過っていた。


「……私は……アネモネといいます」


 クマノミとイソギンチャクの英名に共通している英単語。それがアネモネだ。元は地中海沿岸が原産で、小さな花をいくつも咲かせるキンポウゲ科の球根植物。今の自分を表現するのに、これ以上の言葉はないと思っていた。


 一方のヴォルガは、満足したように頷く。

「覚えておこう。繰り返すが、妻のことを知ってくれてありがとう」

 それだけ伝えると、松葉杖を突きながら、器用にこの場から去っていく。その痛々しい姿が通りの角に消えるまで、アネモネは目が離せなかった。


 そのまま、しばらく立ち尽くしていたが——

「……トロ」

 と、急に話し掛ける。

「何かね、主殿」

 それまで空気を読んでいたトロが訊き返すと、アネモネは意外な提案をしていた。

「……この状態での力……もっと、しっかりと確認しておきたい。ちょっと付き合ってもらってもいい?」


 その発言には、一切の迷いがない。先程までの会話はトロも聞いていたため、その本心はよく分かっていた。

「……仕方がないな。串焼き五本で手を打とう」

 その言葉を待たず、アネモネは既に動き出している。ただ、なんにしても街中で自身の膨大な力を解放する訳にはいかないため、両者は揃って都市の外へと移動していた。



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