第12話 ドリフトウッド聖堂
貴誠と亜矢がフィルターズに加入して、既に二週間程が経過していた。組織からは支度金が給与の前払いの形で支払われており、とりあえず一文無しからは脱却している。また、ヴォルガの実家の居心地が良かったため、有償でしばらく居付くことにしていた。
姉弟は簡単な訓練と座学の後、すぐに現場へと配属されている。二人ともこんな簡素でいいのかと思っていたが、アクティアの身体能力ならさほど問題はなかった。
この間、貴誠と亜矢はいくつかの任務を既にこなしている。ただ、それは事前の説明の通り、ほとんどが雑用に近い小事だった。だが、それに文句はない。なるべく目立たないよう、貴誠は唯々諾々と仕事をこなしていた。
その過程で、自身の身体能力もおおよそ把握する。ついでに亜矢の客観的な評価もしており、二人では無理そうな任務が来た場合は、即刻断るつもりだった。ただ、今のところそのような展開はない。ヴォルガもリシールも姉弟の実力を見抜いているようで、問題という問題は特に起きなかった。
ただ、貴誠は今それ以外のことで少々頭を悩ませている。気にしているのは、余暇の過ごし方だ。このプライベートな時間に関しては、姉弟で別々の行動を取ることが多くなってきていた。
二人が四六時中一緒では、お互いの息も詰まるというものだ。そのため、亜矢は休日の度に単独で外出していた。そうなると、残された貴誠は否応なく性別が反転する。その状態で、何をすべきかが悩ましかった。
元の世界ならば、単に引き籠ってゲームでもしていればよい。だが、この世界の文明レベルでは、娯楽は基本的に屋外だ。自身は本物の女子ではないため、室内で延々と取り組める暇つぶしは、なかなか思いつかなかった。
かといって、外にはあまり出たくない。男性目線というものをよく知っているため、そういった人目が気になるからだ。しかし、ずっと引き籠っていては、第三者に不審がられる。隠密能力も万能ではないため、場合によっては、居住者が変わっていることに気づかれるかもしれない。そんな理由から、貴誠もなるべく外へ出るようにしていた。
以前にヴォルガと世界観のすり合わせをした際、この街の施設でいくつか気になる話も聞いている。ついでにその確認もしておけば、一石二鳥だった。
この日、貴誠は自室で性別が反転したことを認識すると、支度金で購入した新しいスケールスーツに着替えていた。ただし、デザインは違うが、配色はほとんど変わらない一品だ。店舗で選択している最中は、もっと落ち着いた色合いのものを手にしていたはずだが、いつの間にかそれを購入していた。
少々思うところはあったが、その点はもうあまり考えないことにする。それよりも、この世界特有のスケールスーツは男女にほとんど差異がないため、急に性別が変わる彼にとっては好都合だった。
また、この異世界は年中を通してそれほど気温が変わらないらしく、余計な出費を気にすることもない。一部には露出度の高いバージョンもあるようだが、それに袖を通す気は全くなかった。
とにかく、貴誠は同時に揃えていた大きめのキャスケット帽を目深に被る。首に巻き付いているマフラーもどきも使って不自然ではない程度に顔を隠すと、誰にも見つからないように注意を払いながら外出していた。
最初に向かったのは、街の中心部にある宗教施設——ドリフトウッド聖堂だ。ここには、この都市の存続に関わる重要な鍵があるらしい。直接拝むことはできないようだが、一度近くまで行っておきたかった。
宿を出てから十分ほど歩くと、聖堂へと続く大通りが現れる。参道と思しきその通りを真っ直ぐに進むと、すぐに香ばしい匂いが鼻腔をくすぐっていた。
ふと、急に桜色のマフラーが喋り出す。
「主殿。あれを見よ」
「?」
トロに促されて通りの横に視線を向けると、そこには小さな屋台が出ていた。熱せられた炭の上で、均等に切り揃えられた動物性タンパク質が火に炙られている。そこから、食欲をそそる匂いが漂ってきていた。
トロが近くにある幟を確認して続ける。
「
眼がないのにどうやって認識しているのか不明だが、とにかく貴誠に促していた。だが、当の本人は眉間を狭めている。
「……いらない。蛙と鶏の味は近いらしいけど、さすがに……」
実物を見たことはまだないが、この世界特有のその動物の肉は、字面だけで忌避していた。食わず嫌いなだけかもしれないが、積極的に消費したいとは思わない。そんな心境だったが、トロにとっては全く別の事情があった。
「こっちの世界に来てからというもの、我はひもじいのだよ。主殿が食事を食い散らかしてくれんものだから」
現在、貴誠は食事を男子の姿で摂ることが多い。その状態だと、トロは能動的な摂食がほとんどできないのだ。全て彼の意思次第になるのだが、その唯一の方法に問題があった。
「……食事の作法を悪くしろなんて、初めて言われたよ」
「主殿も努力はしてくれているようだが、それだけではな。イソギンチャクは基本的に食べこぼしか食せない。これでは罰だよ。まったく……いたいけな猫がいったい何をしたというのだ」
何やら記憶の改ざんが行われているらしい。そのため、貴誠は半眼になって告げていた。
「……自分の胸に訊いてみなよ」
ただ、一方のトロはその言い様を斜に捉える。
「姉御殿に比べると失笑ものでしかない今の主殿の胸に何を訊けばいいのだ?」
この物言いに、貴誠は絶対零度の瞳になりながら独白していた。
「……確か、イソギンチャクってウミウシやヒトデが天敵だったよな。この世界には、その水紋も当然あるんだろうなー……」
「……認識違いがあったようだ。我の胸だな。言葉とは難しいものだ……」
さすがにトロの声も震えている。そんな無為なやり取りをしていると、やがて宗教施設の正門を潜っていた。広い敷地内に入ると、その先に荘厳な聖堂が確認できる。そこより先は基本的に進入禁止だ。フィルターズは警備等で内部をよく巡回しているが、非番の時は一般人と変わらなかった。
貴誠は立ち止まって周囲を見渡す。敷地の隅では、御利益があるという言い伝えの聖流水が振舞われていた。大きな甕から僧侶が柄杓でコップ一杯分を注ぎ、希望者に配っている。ここを訪れた者の多くは、それを口にしてから聖堂の前で祈りを捧げていた。
その奥に——セイクリッド・パールという秘宝が祀られている。大きな真珠であるらしく、それがこの聖堂の御神体の一つだ。ただ、歴史がまだ三年ほどと浅く、持ち込まれた経緯も一般的にはよく分かっていない。それでも既に神格化されているのは、確実に結果を出しているからだった。
眉唾ものだが、この自治都市アクリールを聖なる力で護っているという。約三年前にここに安置されてから、他の都市にはない現象が起きているというのだ。客観的なデータ上のことなので、間違いはないらしい。詳細はよく分からないが、神秘という概念が便利に使われていた。
そして——
貴誠は静かに天を見上げる。
この都市を護るということは、なんらかの敵意が存在するということだ。
その大元が——視線の先からやって来るという話だった。
「……シークホーキ……か」
ヴォルガから聞いた、天からの災厄。それは、そう呼称されていた。まだ詳しくは聞いていないが、世が乱れると、その尖兵が都市を襲い始めるという。そして、いずれは本体が天から降りてくるという話だった。
その行動原理は、よく分かっていないらしい。ただ、記録によると本体は超巨大な人の手だというのだ。それが天から降ってきて、全てを根こそぎ奪っていくという。これを防ぐ手立ては、今のところ皆無。過去にはこの一帯をガラシャント王国という封建国家が支配していたらしいが、その災厄が原因で滅んでいた。
それ以降、人の社会は大きく変わる。各都市が独立して、自治を行うようになったのだ。人が一か所に集中し過ぎると、比例して闇も大きくなる。それを尖兵に察知されないようにするための、苦肉の策だった。
ただ、それでも人の社会にはどうしても問題が起きる。そのため、多少は尖兵に襲われることがあるようだ。この対処にもフィルターズが当たっており、それが組織にとって最優先事項となっていた。
ところが、このアクリールでは三年前からその襲撃がないらしい。そこに、セイクリッド・パールとの関係性が自然と想起されていた。
もっとも——
今の貴誠は他の参拝者と一緒になって、聖堂の前で祈りを捧げる気にはならない。その心境に至っている原因は、自分がいた元の世界にあった。
「ここは……まるで、水槽の中みたいだ……」
それだけ独りごちると、押し黙ってしまう。トロもその発言には特に反応せず、無言を貫いていた。
しばらくそのまま時間が止まっていたが、やがて踵を返す。なんにせよ、もうこれ以上この場所に留まっている意味はなかった。
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